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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
課題:古代にローマ帝国は極東の絹を熱望した
―古代世界における海洋交易の実相―
阿曇・安曇(94)大牟田市の弥生時代遺跡
弥生時代の人々は、農耕(水田)を営み、
竪穴式住居や、高床式倉庫をつくり、村を形成しました。
また、共同墓地に土墳墓や髪棺墓をつくり埋葬しました。
現在、確認されているこれらの弥生時代の遺跡は、
白銀川流域の丘陵地帯に多く、市の北部にかたよっています。
今後、調査が進めば、市の南部からも発見されるかもしれません。
「羽山台遺跡]は、
福岡県南部における代表的な弥生時代の墓地の一つです。
大牟田市大字草木字羽山の草木八幡宮と大牟田高校にはさまれた、
南北に延びた丘陵の東側にあります(一部、大牟田高校の敷地も含む)。
現在までに確認されたものは、
甕棺墓64基(内1 基は支石墓)、
土墳(木棺)墓43基の合計107基です。
しかし、今後、調査が進めばかなりの数になると予想されます。
羽山台遺跡で最も古い甕棺は、支石墓下の甕棺で
弥生時代中期初頭(今から約2100年前)のものとされています。
「写真」支石墓下の甕棺
(羽山台遺跡出土弥生時代約2100年前)
支石墓とは巨石を据え、
その下に土壙、甕棺などの埋葬施設のあるもの。
支石墓は朝鮮半島中部以南に多い南方式のもの。
「図」弥生時代の遺跡(「大牟田市遺跡等分布地図」による)
ア 山下の上
イ 倉永小学校
ウ 下方
エ 神屋原
オ 南辻
カ 北辻
キ 土定原
ク 東神屋原
ケ 熊野神社
コ 豊持
サ 甘木中学校
シ 東原
ス 陣内
セ 堂の後
ソ 池田天満神社
タ 白銀辻
チ 西
ツ 辻
テ 門前
ト 高須
ナ 内畑
ニ 上畑
ヌ 城
ネ 三池高校
ノ 柿添
ハ 草木八幡宮裏
ヒ 室尾
フ 田隅
ヘ 銀水小学校
ホ 久福木納骨堂
マ 立山
ミ 宮部納骨堂
ム 大久保
メ 大鳥居
モ 羽山台
ヤ 柿又
ユ 今町
ヨ 白川堂※
ラ 白川※
ロ 庄屋原
ワ 井毛谷
ヲ 上徳
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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