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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
課題:古代の絹の産地と魏書倭人章の国々
―西方絹貿易商人たちの居留地―
阿曇・安曇(120)『後漢書』三國志巻三十・魏書烏丸鮮卑東夷傳第三十倭章(2)
出典:『三国志』(晉) 陳壽撰;(宋)裴松之註
魏書烏丸鮮卑東夷傳第三十倭章
又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國、
官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。
方可三百里、多竹木叢林、有三千許家、
差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴。
又渡一海、千餘里至末盧國、有四千餘戸、
濱山海居、草木茂盛、行不見前人。
好捕魚鰒、水無深淺、皆沈沒取之。
東南陸行五百里、到伊都國、官曰爾支、副曰泄謨觚柄渠觚。
有千餘戸、世有王、皆統屬女王國、郡使往來常所駐。
東南至奴國百里、官曰兕馬觚、副曰卑奴母離、有二萬餘戸。
東行至不彌國百里、官曰多模、副曰卑奴母離、有千餘家。
南至投馬國、水行二十日、官曰彌彌、副曰彌彌那利、可五萬餘戸。
次に南へ海を渡り、千余里進む。
この海の名は瀚海といい、一大国(壱岐)に到着する。
〔この国の長〕官もまた卑狗といい、
次〔官〕は卑奴母離という。
広さはほぼ三百里四方である。
〔この国には〕竹木や叢林が多く、
三千ばかりの家がある。
耕地は少々あるが、
耕地を耕すだけでは食糧を確保することができないので、
〔対馬国と〕同じく南北から米穀を買い入れている。
また一つの海を渡り、
千余里行って末盧国(佐賀県松浦郡)に到着する。
人家は四千余戸あり、
〔人々は〕山裾や海浜に沿って住んでいる。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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