『Yahoo!天気・災害』
『Matのジオログ』
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
課題:古代の絹の産地と魏書倭人章の国々
―西方絹貿易商人たちの居留地―
阿曇・安曇(118)『後漢書』東夷傳倭章(4)
『後漢書』東夷傳倭章
自女王國東度海千餘里至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王。
自女王國南四千餘里至朱儒國。
人長三四尺。
自朱儒東南行船一年、至裸國、黒齒國、使驛所傳、極於此矣。
會稽海外有東鯷人、鯷音達奚反。
分爲二十餘國。
又有夷洲及洲。
傳言秦始皇帝遣方士徐福將童男女數千人入海、
事見史記。求蓬莱神仙不得、徐福畏誅不敢還、遂止此洲、
世世相承、有數萬家。
人民時至會稽市。
會稽東冶縣人有入海行遭風、流移至sen[扁三水旁右檀]洲者。
所在絶遠、不可往來。
女王国から東へ海を渡ること千余里で狗奴国に至る。
同じ倭の種族なのであるが、女王に属していない。
女王国から南へ四千余里で朱儒国(こびとの国)に至る。
人の背丈は三、四尺しかない。
この朱儒〔国〕から船で東南へ行くこと一年で裸国・黒歯国に至る。
使者や通訳を〔中国に〕伝える〔国〕は、ここにおいて極まるのである。
會稽の海外には東鯷人(不詳)がいて、
分かれて二十余の国をつくっている。
また夷州および澶州もある。
〔澶州は『史記』に〕「秦の始皇帝が、
方術の士であった徐福を遣わし、
童男・童女数千人を率いて海上に出、
蓬莱の仙人を捜させたが、得ることができなかった。
徐福は誅せられるのを畏れて帰還を諦め、
〔澶〕州に止まった」と伝えられている。
〔澶州には〕代々相承けてそれらの人たちの子孫が繁栄し、
数万の家があって、
人民が時として會稽郡にやって来て商いをする。
會稽郡東冶県の人で、
海に出たところ風に流されて澶州に行き着いたという者もあるが、
あまりにも遠いので往来はかなわない。
※出典:YAMATO:184~186頁
「天武天皇は仙境を求めてやってきた除福の子孫」
このハ行とカ行の関係が理解できると、
この「ホ」の国と、それをめぐる国々の国名が、
何から生まれて、どう分裂して増えていったかが完全にわかる。
沖縄語の「ク」は本土語の「コ」だとわかるから、
高麗は「コマ=コ国(マ)」で、やはり同じ国だとわかる。
この高麗は本来「コーライ・コーレイ・コーリー」などとと
呼ばれていた。
それはこの地方が3000年前には、
古代世界で最大の貝貨幣・宝貝の産地で供給国だったが、
そのため宝貝は今でもインド語で「コーリー」、
学名も英語も「カウリー」と呼ぶ。
産物の名の多くは、その生産地の地名と同じになるから、
これは「高麗」が世界を代表する産地だったことを
記録しているのである。
そして、学名と英語の「カウリー」は、実は沖縄語なのだ。
那覇(なは)と反対側の中城湾(なかぐすくわん)には
「高離島」という島があって土地の人は
それを「カウリー・ジマ」と呼んでいるのである。
それは沖縄発音で、もとは「コーライ」だったことがわかる。
なぜならすぐ隣りにある台湾は、秦の始皇帝のころから「
蓬莱=ホーライ」島と
呼ばれているからである。
「ホ」と「コ」が入れかわっているだけであることは、
ご説明しなくてもいいと思う。
では「蓬莱」という漢字のついた台湾は中国領だったのだろうか?
始皇帝はその島を神仙の住む別世界の仙境と信じて、
「真人」になるために神薬を授かりに
徐福らをその島へ派遣したのである。
この「蓬莱」を徐福らの作り話だとする者が多いが、
それは間違っている。
それは実在し、徐福は場所も知っていた。
彼は野蛮な独裁者・始皇帝の力を逆に利用して
無事に中国を脱出する唯一の手段として、
また万一の場合に備える「保険=人質」として、
始皇帝の第三女ら多数の少年少女を連れて移住したのである。
その子孫が首都を沖縄に移して大琉球と称し、台湾は小琉球になった。
さらに種子島に移って女王国家「ホの国」を建国、
南種子町の広田遺跡の墓に
「山字文」の貝製装身具を残した。
豊玉姫の伝統は弥生時代からのものだったのである。
その後の足取りは、大隅の「襲(ソ)」という
別名と「徐(ソ)」は同じ発音だから、
そこが「徐の国」だったことがわかり、
『日本書紀』と『三国史記』の記事で、
さらに多数の証拠が見つかる。
写真の「天慧甗(テンエゲン)」もそこに伝えられて実在する。
天武天皇はその子孫の一人だったから、
あれほどまでに「ヤマト=仙」にこだわり、
それを国教にし、国名にしたのである。
では元の名の「ホーライ」とは何だったのか?
それは台湾の先住民・ギリシャ人の神話に出てくる
大神ゼウスの娘で三人姉妹の
「季節の女神(ホーライ)」のことである。
台湾はギリシャ以上に温暖な気候と豊富な果物に恵まれた仙境だから、
季節の女神の島と呼ばれたのだ。
「徐福が運んできた天慧甗」
この徐福の徐は与や邪の字と全く同じ発音で、
与那国がギリシャ人を意味している通り、
イオニア系ギリシャ人だった。
だから「与ナ」は国をマという人には「邪マ」と書かれた。
邪馬壹国もギリシャ人の国という意味なのである。
その「徐」は「ソ」とも発音する人々がいた。
韓国のソウルも「徐伐」と書かれている。
そのソの国は今の大隅地方で、
そこにこの中国・秦の時代に作られた徐の国製だと銘記された
銅器が現代まで宝として
伝世してきたのである。
『天孫降臨』の一部に
この「ソの国」を「添」とか「曾堡里」とか当て字しているのは、
内容とは別の史料として重要な意味をもっている。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
0 件のコメント:
コメントを投稿