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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
課題:古代の絹の産地と魏書倭人章の国々
―西方絹貿易商人たちの居留地―
阿曇・安曇(105)『日本書紀』講義と解釈①
日本紀私記零本 巻首欠 185~187頁
面國遣使奉献。注曰。倭國去薬浪万二千里。
男子皆鯨面文身。似別尊卑大小。云〃。
問。 倭國之中有南北二倭。其意如何。
師説。延喜説云。北倭可為此。南倭女國。云〃。
此説己无證據。未為。
全得。又南北二倭者是本朝南北之邊州也。无可指由。
問。此倭字。訓。其解如何。
師説。延喜説。漢書晋灼如淳各有注釋。然而惣无明訓之字也。今案。
諸字書等中。亦无指讀之。
問。耶馬臺。耶靡堆。耶摩堆之号。若有各意乎。
師説。今案。雖有三号。其義不異。皆取稱倭之音也。
以下省略
「参考」
『続日本紀』に、養老4年(720)5月、
舎人親王が勅をうけて編纂していた『日本紀』が完成したとある。
これが『日本書紀』である。
『日本書紀』についてはその成立直後から講義が行なわれたらしく、
講師である諸博士がその内容を記録した私記(の一部)が残されている。
私記には
「養老私記」
「弘仁私記」
「承和私記」
「元慶私記」
「延喜私記」
「承平私記」などがあり、
これらの私記は『日本紀私記』(『日本書紀私記』ともいう)として、
また諸書(『釈日本紀』など)に引用され今日に伝えられている。
『日本紀私記』『釈日本紀』など、
『日本書紀』の注釈書の類は私の研究対象とするところではないので、
詳細はその道の専門家にお任せするが、
実は『日本紀私記』と『釈日本紀』には、
面白いというか少し気になる記事がある。
そこで今回はそれを紹介するとともに、
その道の専門家とは別の見方で、
その意味するところを探ってみることにした。
『日本紀私記』は『国史大系8』、
『釈日本紀』は『国史大系8』及び『続日本古典全集』によった。
日本紀私記
『日本紀私記』弘仁私記序
①夫日本書紀者
a日本國 自大唐東去万餘里 日出東方 曻于扶桑 故云日本
b古者謂之倭國 伹倭義未詳 或曰 取稱我之音 漢人所名之字也
c通云山跡 山謂之邪麻 跡謂之止 音登戸反下同
d夫天地部判泥濕未慘 是以栖山徃來 因多蹤跡 故曰耶麻止
又古語謂居住爲止 住於山也 音同上 e武玄之曰東海女國也
※a~eは便宜上:矢治がつけた
『日本紀私記』零本
② 面國遣使奉獻 注曰 倭國去樂浪万二千里 男子皆黥面文身
以別尊卑大小 云々
③問 此倭字訓 其解如何
師説 延喜説 漢書晉灼如淳各有注釋 然而惣无明訓之字也 今案
諸字書等中 亦无指讀之
④問 邪馬臺 邪靡堆 邪摩堆之号 若有各意乎
師説 今案 雖有三号 其義不異 皆取稱倭之音也
⑤問 書字之訓乎不美讀 其由如何
師説 昔者新羅所上之表 其言詞大不敬也 仍怒擲地而踏
自後訓云不美 是先師之説也 今案 蒼頡見鳥跡(踏)地所徃之跡
以作此文字也 不美と可謂之訓 依此起歟
※( )内の字はそのように訂正すべきと思われるもの。
※蒼頡は中国古代の伝説上の人物で、
鳥の足跡を見て文字をつくったという。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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