2014年4月9日水曜日
ウッタラと銅鐸が残した多数の言語遺物
『Yahoo!天気・災害』
『Matのジオログ』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録34:22頁
「銅鐸」というのは現代の考古学が仮につけた学名だから、
古代からあった名前ではない。
古代には何と呼ばれていたか。
ウッタラが使った言葉はパーリ語だから、
金属製で宗教用の打楽器には
銅鑼(どら)、鐃鈸(ねうはち)、鼓(つつみ)などを
意味するalamba アーラムバ、alambara アーラムバラ=太鼓などがある。
ところがalambati アーラムバチと変化すると、
「ぶら下がる・懸(か)ける」という意味になる。
銅鐸はその上部の形からみて、
間違いなく「ぶら下げる」構造になっており、
下に置いたのでは鳴らないのは明白である。
そしてアーラムバチの「バチ」は、
打楽器を打つ「ばち」と同じで、
鐃鈸(ねうはち)の「ばち」でもある。
また昔の僧侶などが、
門(かど)づけをする際には鐘を叩いて鳴らしたが、
それを鐘叩きとはいわずに「鉢(はち)叩き」といった。
このハチもまたウッタラ時代のアーラムバチの遺物だとみられる。
こうみてくると植木鉢は銅鐸を逆さにした形と共通牲が多く、
鉢というのは底のある食器だけとは限らないことに気付く。
そして打楽器というものは
「打ったら鳴るが、打たねば鳴らない」
その「打ったら鳴る」銅鐸が
ウッタラの持ってきた聖器だったのだから、
「打ったら」という日本語の語源が
この「ウッタラ」に結びつく。
銅鐸以前には打楽器は見られないから、
これらの複数の日本語は、
ウッタラと銅鐸が残した言語遺物だったとみて無理はない。
《ウッタラと銅鐸が残した多数の言語遺物》
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