2014年4月14日月曜日

我が国の本当の建国は、紀元前3世紀


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録34:27頁

 しかし大学講義録30と大学講義録31で

 「出雲の誕生は5世紀よりあと」だとお話しした。

 それは出水(イズン)人が移住した先が

 大阪の和泉(イズン)であって、

 そのときのイザナキの尊が履中天皇で、

 それを継ぐ倭王・興が失政で国を失ったとき、

 その一族が出雲(イズン)まで逃げたから、

 そこが出雲(イズン)になったのだった。

 ウッタラの大国主は仁徳天皇系の亡命者とは無関係である。

 それは当然で、

 弥生時代のウッタラと、

 古墳時代の亡命者が同じであるはずがない。

 同じなのは漢字の当て字だけである。

 同じことは幾人ものイザナキの尊が実在する例でも見た。

 同じ名だから同一人だとしてきた在来の神話学が、

 根底から崩れ去っていることが、

 ご理解になれたと思う。

 では、銅鐸とサカ~サタは無関係であろうか?。

 これはすでに見たように切っても切れない関係にある。

 それは紀元前の移住にも仁徳天皇系王朝の大移動にも、

 つねについて回った標識地名である。

 これもまた、

 我が国の建国が弥生時代の早期だったことを証明している。

 神武東征にこだわらなければ、

 水稲の分布からみて初代のウッタラの東遷は、

 紀元前3世紀のアソカ王仏教宣布団派遣直後だとみていいし、

 卑弥呼の夫、仲哀天皇・ソナカをみても、

 b同系のアソカ仏教宣布天皇で、

 さらにその伝統を受け継いだのが仁徳天皇朝だったのだから、

 本当の建国と天皇家の皇統譜は、

 在来の説より3世紀、さかのぼるのが正しいのである。

 《我が国の本当の建国は、紀元前3世紀
 「我が国の本当の建国は、紀元前3世紀

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