2014年4月23日水曜日

そのまま卑弥呼女王像でもある「金色」の女神像


 『Yahoo!天気・災害
 『Matのジオログ

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録34:37頁

 このアテナの像は異様な冠をかぶっているが、

 中央は女性の頭部、向かって左は馬、右は羊のように見える。

 この発想は十一面観音や馬頭観音に結びつく。

 これまではなぜ?、

 仏が頭の上にコブのような小さな頭を乗せているのか、

 またなぜ?、

 馬の頭の観音がいるのか?、

 いろいろな説明を聞いても納得できなかったが、

 この像を見ればそれはこのアテナ像が発想の源だったとわかる。

 それは当然のことで仏像がギリシャの神象をモデルにして

 ギリシャ人によって作られ始めたことは周知の事実だからだ。

 卑弥呼はその金髪の見事さで両親を驚かせ、

 天照(ゼウス)大神に仕えるピュティア(稗田阿礼)として天に送られた。

 そこで彼女はアマゾン=女性国の指揮者になったとしたら、

 知と技と学と戦さの女神・アテナの地位にあり、

 光華明彩、天孫(アマゾン)族の始祖、天照大女(み)神、機織り、

 スサノオとの対決の武装、剣、弓、曲玉、八爬(ヤアタ)の鏡が、

 このアテナ像に全て揃っているのを見る。

 右手にしているのが剣、左手に持つのが弓である。

 このアテナ像は「金色(こんじき)」に塗られていた。

 卑弥呼の金髪がなぜ、

 両親に愛児を手放(てばな)させるはどの威力をもっていたか、

 それはアテネ人の黄金崇拝に根差している。

 それはソナカ宣布団にも受け継がれていた。

 彼らは東方の金地(スパルナ・ブーミー)国を求めた。

 だからこそミャンマー、タイから奈良まで、

 大仏は皆「金色」なのである。

 《そのまま卑弥呼女王像でもある「金色」の女神像
 「そのまま卑弥呼女王像でもある「金色」の女神像

 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

0 件のコメント:

コメントを投稿