2014年4月3日木曜日

16代から21代の天皇を切り捨てる大和説


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録34:16頁

 繰り返すが「歴史」の本質は、

 「一瞬に変わったものごと」の記録である。

 永久に不変なものは一度記録すれば、あとは書くことはない。

 『魏書倭人章』の書く世界は、その激しく変動した記録であって、

 同じ張政が書いたものさえ、前と後では異なっているのである。

 その中でも最大のものが卑弥呼から壹與への政権の交替である。

 ヤマトと読めるという説が造られて、
 
 「壹」は「臺」の字の誤写だといわれた邪馬壹(イチ)国という名は、

 この政権交替で生まれた新しい都の名だった。

 それは壹與の倭国女王即位で、
 
 初めてこの世に姿を現した名詞であって、

 国号ヤマトのほうは、

 それから5世紀も後の誕生である。

 そのことは天皇家の系譜・第16代・仁徳天皇から

 始まる『宋書』「倭の五王」の記録にも、

 はっきりと歴代の天皇が常に「倭国」王と名乗ったことが、

 文字の国(くに)、中国の正史に客観的に記録されている。

 大和説や畿内説の主張者は、16代から21代までの天皇を。

 天皇家の系譜から「切り捨てろ」と主張しているのである。

 でなければ『宋書』がダメだと否定するしかない。

 大量の誤りに満ちていると、

 『魏書倭人章』を否定したばかりではなく、

 自己の誤りを弁護するために、

 貴重な記録を次々に誤りだとして葬(ほうむ)り去るしかないのが、

 邪馬台国大和説と畿内説の「哀れな正体」なのである。

 その原因はヤマトを一定不変の国号だと錯覚したことにある。

 《16代から21代の天皇を切り捨てる大和説
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 《参考:年表・資料》 

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