2014年4月2日水曜日

邪馬壹は首都名、国号は壹與時代も一貫して倭国


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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録34:15頁

 しかし、この文章も、一瞬に変動してしまった歴史を記録している。

 旁国としか書かれていなかった巴利国が、

 卑弥呼が魏の侵略を恐れて移動した首都に変わったのも束の間、

 今度は、内戦で卑弥呼が死に、

 男王(崇神天皇)が立ったが連邦が承知せず、

 それに乗じて攻めこんだ位宮軍の軍事的勝利で

 壹與が倭国の女王として戴冠し、

 巴利国は邪馬壹国と名が変わった。

 というよりこの「一瞬に」、

 それまで地球上に存在しなかった新しい「邪馬壹国」が、

 初めてこの世に誕生したのである。

 だから梯儁の書いた伊都国までのコースにつけ加えて、

 その新しい邪馬壹国への行程や、

 大移動した奴国や不弥国や、

 伊都国の戸数の激減などを書いた「最新報告書」を張政が書いた。

 これが邪馬壹国が生まれた「一瞬」なのである。

 幾度もいうが卑弥呼は邪馬壹国など全く知らずに死んだ。

 それが仮に「邪馬臺国」だったとしても卑弥呼は知らない。

 「邪馬台国の女王・卑弥呼」などと呼ぶのが、

 どんなにひどい間違いかすぐわかる。

 また邪馬壹国という名も「首都の呼び名」にすぎず、

 正式の国号ではない。

 それを間違えるのは東京を日本の国号だと主張するのと同じだ。

 ところが更にそれを『日本書紀』の書く神武天皇時代からの、

 日本列島の広域にわたる「統一国家の国号」だと思い込み、

 頑固に主張してきた人々の頭脳指数がどれ位いか、

 はっきりわかるのである。

 《邪馬壹は首都名、国号は壹與時代も一貫して倭国
 「邪馬壹は首都名、国号は壹與時代も一貫して倭国

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 《参考:年表・資料》 

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