2013年7月13日土曜日
平和共存思想と排他強国主義の葛藤
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録25:23頁
16頁で、この騒乱は宗教戦争の「一種」だとご説明したが、
これでおわかりの通り、それはありふれた宗教戦争ではない。
殺生禁断、平和主義の仏教徒・卑弥呼と、
現実に魏の侵略と戦って、
必ず襲いかかる魏の野望から倭人を守るためには、
軍国主義以外にないと決意した位宮との、
平和共存を理想とする思想と
排他戦闘しかないとする現実主義の葛藤が、
信仰の差として強調されたと見るのが正しい。
だが当時の倭人たちが、
そんな高度の思想戦争をしただろうか?
と疑問にお思いの方もあると思う。
これまでギリシャやインドからの移住者が、
倭人の中核だったという証拠を、
多くご覧に入れてきたのは、
私たちが世界の人たちに孤立した
奇妙な特異人種とされてきたことを是正したいためだが、
それだけではない。
当時の倭人の常識中にこの卑弥呼と位宮の悲劇と全く同じ歴史が、
幾つも先行してあったことを、ご理解戴きたかったためなのである。
その第一に挙げなければならないのは、
アレクサンドロス大王の両親が迎えた悲惨な流血の破綻である。
父のマケドニア王・プヒリプ(Philip)2世が
即位したB.C.E.359年当時の
マケドニアは都市も港も産業もない貧弱な農業国に過ぎなかった。
それが20年たらず後には
ギリシャ全土を支配する大ギリシャ・マケドニア連邦の
盟主国になっていたのである。
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