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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
阿曇・安曇(72)江田と淀「ヤドラとヤーダヴァ族」
課題:龍の登場しない龍宮伝説の真相
―海洋安曇族の主祭神「海童(わたつみ)」の故郷―
出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
江田
「和名類聚抄」(高山寺本)
日向郡第百卅一
宮崎郡 飫肥 田邊 嶋江 江田
「延喜式神名帳」
宮崎郡 江田神社 「エタノ」
「全国神社名鑑」
江田神社(産母神社)宮崎市阿波岐原町産母
祭神 伊邪那岐尊・伊邪那美尊
伊邪那美尊は安徳天皇 寿永2年正月配祀
例大祭11月22日
祈年祭 2月17日
新嘗祭 11月23日
大祓祭 6月30日
特殊神事 茅ノ輪潜り
由緒
本神社は太古の御創建にして、その創立の年代は詳かならざるも、
この地一帯は古来所謂「日向の橘の小戸の阿波岐原」として、
伊邪那岐の大神禊祓の霊跡と伝承せられて、
縁起最も極めて深き社ならむ。
禊祓の際、天照皇大神、素佐嗚尊と
住吉三神の神々が御降誕あらせられたる霊域の地と伝え、
即ち上代における中ツ瀬と称せる御池 本社を
去ること約五丁の東北に現存す。
後、世人入江を開墾して江田と称し、
里人俗に当社を産母様と称えて今日に至る。
仁明天皇承和4年丁巳八月官社に列せられ、
文徳天皇仁壽元年辛未正月従四位下を授けられ、
清和天皇貞観元年己酉十月従四位上に進められ、
その後円融天皇天禄元年2月迄に
天変地妖兵革等の年毎に敍位8回に及び、
正一位に昇階ありしと云う。
醍醐天皇の延喜年間に於いて、
延喜式内社日向四座の一社として
神明帳に登載せられ祈年新嘗の奉幣を承け居りしが、
後西院天皇寛文年間に神社の制度に変革を来し、
ついに一村落の産土神と同様の取扱を承けるに至れり。
明治維新に際し、明治6年5月25日に社格県社に列せられ、
同40年2月9日神饌幣帛料共進を指定されて今日に至る。
(以上 現地 江田神社由緒記より)
「恒例修正月勧請神名帳」十二月守護〔江戸期・寛政元年(1789)〕
依田大明神
※「エタ」「エダ」「ヨダ(依田)」の通称からすると
その祖語が「Yeda」であったと推察される。
鎮座の字名及び俗称は
「ヤボ(産母)」だが「母」と「田」は極く近似し、
「ヤボ」は「ヤダ」であった可能性は否定できない。
大淀川
都城市周辺を水源とし宮崎市で太平洋・日向灘に入る大河
「おおよど川」:「ヨド」
エタ・エダ・ヨダ・「ヤダ」
(SK.)yadu ヤドゥ ヤーダヴァ族の祖〔非アーリア人の一つ〕
阿曇族の神域 志賀島〔福岡市東区〕の「矢田」と同祖
ヤボ
(SK.)Yadava ヤーダヴァ、yadu ヤドゥの子孫の意、
ヤドゥを祖とする 部族名で、王朝・国名を表す。
阿曇族の神域 志賀島〔福岡市東区〕の「矢田部」と同祖
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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