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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
阿曇・安曇(75)江田神社<宮崎市>
課題:龍の登場しない龍宮伝説の真相
―海洋安曇族の主祭神「海童(わたつみ)」の故郷―
出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
出典:角川文庫
:160・161頁
江田神社<宮崎市>
宮崎市阿波岐原町産母にある神社。
延喜式内社。旧県社。
祭神は伊邪那岐尊・伊邪男ド美尊。
産母神社・産母さまとも呼ばれる。
日向灘に臨むーッ葉海岸に近く、
「和名抄」宮崎郡条に見える江田郷に鎮座する古社で、
社名は地名によるものであろう。
創記は未詳だが、
承和4 年8 月朔日に都濃神・妻神・霧島岑神とともに
「江田神」として官社に列しており(続日本後紀)、
平安期には既に創建されていたことが知られる。
その後、天安2 年10 月22 日に従五位上から従四位下に昇叙し
(三代実録)、
「延喜式」神名帳宮崎郡条では
「江田神社」として日向国式内4 座の1 つとなっているなど、
日向国内でも有数の古社として、
古くから朝廷の崇敬を受けていたと思われる。
中世にはいり、建久8 年6 月の
「日向国図田帳写」(島津家文書/鎌遺922 ) には
妻万宮領98 町のうちとして
「江田社三十丁、右那珂郡内<弁済使宗遠>」と記されている。
京都醍醐寺の鎮守である清滝社で勧請した諸神を記す
「清滝宮勧請神名帳」 には「江田明神」、
文明11年正月の「戒壇院公用神名帳」には
「江田大明神」として記されており、
日向国の代表的神社であったのであろう、
江戸期の寛政元年の「恒例修正月勧請神名帳」(同前)で
「十二月守護」 として記されている西海道の
「依田大明神」は当社のことであろうか。
………
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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