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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
阿曇・安曇(76)橘・小門・阿波岐原と「エッタ叙事詩」
課題:龍の登場しない龍宮伝説の真相
―海洋安曇族の主祭神「海童(わたつみ)」の故郷―
出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
「橘小門之阿波岐原とエッタ叙事詩」
○『古事記』伊邪那伎大神の禊祓
竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到り座して、禊ぎ祓ひたまひき。
○『日本書紀』伊弉諾尊の檍(あわき)原の禊
筑紫の日向の小戸の橘の檍原に着かれて禊ぎ祓ひ
○阿波岐原・檍原「宮崎市の日向灘沿いの地名」
※九州の呼称では「アリキバル」
「アワキハラ」(SK.)ap-cara 水棲動物、
yadas 「大きな水棲動物」と同義:yadu yadava の語源
メソポタミアの魚人伝承「バビロニアのベール神官」
アプカッル apkallu (ギリシャ語)
シュメル語による解釈「小嶋 秋彦」
ap[ab]-ha[ku]-lulu
海の 魚 人々「複数」 海の魚人たち・魚人
猿野「さるの、阿波岐原:宮崎市」
「サル」(SK.)ap-sara 水棲動物[ap-caraと同義]
○橘(たちばな) ”きはだ”
「キツ」
(シュメル語・阿曇語)gudu 神官「バビロニアのベール神官」
○小門・小戸
「オド」adpa (ギリシャ語)
「エッタ叙事詩」最初のアプカッルはアダパという異名を持っていた
(シュメル語・阿曇語)
a-deb [水-歩き回る]水を歩き回る<水陸両棲動物>
両棲類は陸は元より、
水中においても泳ぐことはできず歩かなければならない。
-dpa 音はサンスクリット語で dvar(英語のdoor)で「門」「戸」
江田神社は阿波岐原の北辺に鎮座する。
○上野(かみの)町「宮崎市、県庁近く、東側隣は橘通(地区名)」
小戸神社が鎮座する。
初めは下別府の地にあったが寛文2年(1662)の大地震で水没したため
上野町に移されたという。昭和9年(1934)橘通の拡張に伴い、
現在地の鶴島3丁目に遷座した。
上野「ウエノ:ギリシャ語 Uanna ウアンナ、
Oannes オアンネス、セレウス朝(B.C.300頃ベロッソス)
※阿曇族の神域志賀島の「上野」に対応する。
○檍 もち 木の語義は樫と同じで船材に多く使用された
※キツ・オドのアワキハラ
神官アダパであるアプカッルのいる所
『古事記』と『日本書紀』の記事の、微妙な表現の差が、
どんな価値をもっているか、よくおわかり戴けると思う。
伊弉諾尊が禊をした地点が、
まず『古事記』と『日本書紀』で違っている。
『古事記』 「黄泉国。 橘・小門・阿波岐・原
『日本書紀』「黄泉。(一書)筑紫・日向・小戸・橘・檍 ・原
こうして並べてみるとよくわかるように、
『古事記』は「日向の橘」と書き、
『日本書紀』は「日向の小戸」と地名が逆転している。
どちらが本当かという大論争が、
その裏に隠されていることに気づく必要がある。
だが日向へは天孫「瓊瓊杵(ニニギ)の命」が降臨したのが後だとする、
矛盾している『日本書紀』のほうが間違いである。
日向の橘なら鹿児島県の種子島で、
イサナキの尊が三貴子と居てもおかしくないが、
日向の小戸(ウド)では、宮崎県の鶉戸(ウド)神宮のある海岸だから、
天孫が初めて列島の本土である日向に地歩を占めた
「歴史的偉業」だとして特記している『天孫降臨』の意義が、
完全にゼロになってしまうからである。
その地名のいちばん最初の文字も、歴史上重大な答を明記している。
『古事記』は天竺(テンヂク)の「竺(ヂク)」字を使っているからだ。
日本神話に多出する「天=沖縄」に続けて書くと、「天竺」になる。
沖縄と九州とを併せて「天竺」と呼んでいた名残だったのである。
これはソナカが仏教宣布団と来日して、
卑弥呼が連邦に君臨していた時代の前後なら、
別に不思義はないし、またそれによって卑弥呼政権崩壊後、
天(沖縄圏)と筑紫(九州本島)の2政治圏に分裂したことも、
史実だったことが、容易に理解できるようになる。
鹿児島語はa(ア)をe(エ)と訛る。
愛(アイ)がエ、手(タ)がテだから、タンはテンにもなる。
天竺国はテンジッ国と発音するから、
田の尻(タンジィ)・丹児(タンジ)ッ国とも同じである。
種子島はこの沖縄・九州連邦の首都国だったから、丹児ッ囲(天竺国)と
呼ばれていたのだとみれば、
この小島が倭国・日本、南天皇家政権の母体であった理由も納得がいく。
中国の『山海経(センガイ)』の、
後漢初期の版の「海内(かいだい)」の部分に、
次のような貴重な記事がある。
「東海之内 北海之隅 有国 名曰 朝鮮天毒
其人 水居 偎人 愛人」。
翻訳すると、
「中国から見て東海、その北部の片隅に朝鮮天毒という国がある。
海に囲まれた島国に住むその国民は、
偎(ゥワイ)人、または愛(アイ)人と呼ばれている」
というのだ。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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