2014年7月21日月曜日

阿曇・安曇(83)インド神話伝説:ヤージャYaja~ヤドゥyadu

 浦和レッズレディース
 『Yahoo!天気・災害
 『Matのジオログ

 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(83)インド神話伝説:ヤージャYaja~ヤドゥyadu

 課題:龍の登場しない龍宮伝説の真相
    ―海洋安曇族の主祭神「海童(わたつみ)」の故郷―

 出典:「インド神話伝説事典」:322・323頁
   :菅沼 晃
   :東京堂出版

 ヤージャ Yaja

  高潔さで知られるバラモン。

  パンチャーラのドルパダ王の懇願によって、

  雌牛一○○○万頭を供え、

  祭祀を行なった結果、

  その祭火の中からドリシュタディユムナとドラウパディーが

  生れ出たといわれる。

 ヤジュニャ Yajna

  「犠牡」「祭祀」の意で、プラーナでは人格化されてルチの子、
 
  ダクシナー(「供物」の意)の夫とされる。

  彼は鹿の頭をもっていて、

  ダクンヤの祭肥のときにヴィーラバドラによって殺された。

  『ハリ-ヴアンシャ』によれば、

  彼はブラフマー神によって天空に昇り、

  ムリガンラス(鹿の頭)と呼ばれる星座となったという。

 ヤージュニャヴァルキヤ Yajinavalkya

  ウパニシヤッドの哲学者として知られる聖仙で、

  『ヤジュルヴェーダ』、

  『 シャタパタ・ブラーフマナ]、

  『 ブリハドアーラニヤカ]、

  『ヤージュニャヴァルキヤ法典』 の伝説上の著者。

  『シャタパタ・ブラーフマナ]によれば、

  彼はヴィデーハ王ジャナカの宮廷で

  しばしば催された哲学上の討論会で多くの論敵を破った。

  ヴィダグダ・シャーカリヤという名のバラモンが

  とくに彼の論敵として有力であったが、

  ヤージュニャヴァルキヤはついに彼を論破して呪いをかけ、

  その結果、ヴィダグダ・シャーカリヤの首は落とされ、

  その骨は盗人に持ち去られたという。

  彼にはマイトレーイーと力ーティヤーヤニーという二人の妻があり、

  ブラフマ・ヴァーディニー(哲学を論ずる女性)といわれる

  マイトレーイーにアートマンの教えを説いた話が知られている

  (『 ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド』 一・四)。

 ヤジュニャセー Yajnasena

  パンチャーラの王ドルパダの別名。

 ヤショーダー Yasoda

  牧人ナンダの妻て、クリシュナの養い親。→クリシュナ

 ヤースカ Yaska 

  ヴェーダの難解な言葉についての註釈書「ニルクタ]の著者。

 ヤーダヴァ Yadava

  「ヤドゥの子孫」の意で、

   ヤドゥを祖とする部族名、その王朝、王国名。

  クリシユナはこの部族の出身である。

  ヤドゥの系譜はアトリから始まり、

  チャンドラ、ブダ、プルーラヴァス、アーユス、ナフシヤと続き、

  ナフシャにはアーヤティとヤヤーティという二人息子があった。

  ヤヤーティには二人の妻サルミシュターとデーヴァヤーニーがあり、

  シャルミンユターとのあいだにドルヒユ、アヌドルヒユ、プールという

  三人の男子をもうけた。

  このうち、プールからプール・ヴァンシャ(プールの系統)が始まる。

  ヤヤーティはデーヴァヤーニーとのあいだにも

  二人の息子ヤドゥとトゥルヴアンユをもうけ、

  このうちのヤドゥからヤドゥ・ヴァンシャ(ヤドゥの系統)

  すなわち、ヤーダヴァ(ヤドゥの子孫)が始まる。

  ヤドゥには四人の息子

  サハスラジット、クローシュトリ、ナラ、リプがあり、

  サハスラジットの子シャタジットには

  三人の子マハーバヤ、ヴェーヌハヤ、へーハヤがあり、

  このうちへーハヤはへーハヤ・ヴァンシヤ(へーハヤの系統)となる。

  彼の子ダルマにはクンティ(あるいはクニ)という息子があり、

  クンティはサダージット、マーヒシュマット、

  バドラセーナ、ドゥルダマという四人の子を持った。

  このうち、バドラセーナにダナカが生れ、

  ダナカにはクリタヴィーリヤ、

  クリターグニ、クリタヴァルマン、クリタウジャスがあり、

  このうち長子のクリタヴィーリヤから

  カールタヴィーリヤールジュナが生れた。

  彼には五人の息子、ジャヤドヴァジャ、シューラセーナ、

  ヴリンヤバ、マドゥ、ウールッジタがあり、

  このうちのマドウの子としてヴリシュニが生れ、

  ここよリヤドゥの系統は

  ヴリシュニ・ヴァンシャ(ヴリシュニの系統)となる。

  ヴリシュニには四人の子があったが、

  ヤドゥの系統はそのうちのユダージットへと続き、

  そのンニからサティヤカが生れ、サティヤカからサーティヤキが、

  さらにジャヤ、クニ、アナミトラ、プリシュニ、

  チトララタ、ヴィドゥーラタ、

  シューラ、シニ、ボージャ、フリディーカ、シューラと続き、

  このシューラとその妻マーリーシャーとのあいだに

  ヴァス、デーヴァバーガ、デーヴァシュラヴァス、アーナカ、

  スリンジャヤ、カーカーニーカ、シュヤーマカ、ウァツア、

  カヴーカ、ヴァスデーヴァが生れた。

  このヴァスデーヴァとカンサの妹であるその妻

  デーヴァキーとのあいだに生れたのがクリシュナてある。

  クリシュナよリプラディユムナ、アニルッダ、ヴァジュラと続いて

  ヤーダヴァの系譜は終わる。

  バラタ族の戦争ののち、三六年目にヤーダヴァ族は滅亡した。

 ヤートウ Yatu

  あるいはヤートゥダーナ。

  悪魔、あるいは邪悪な精霊で、

  犬やハゲ鷹などの姿をとって人間にを与えるといわれる。

  ヤートゥはラークシャサ(羅利)と別のものであったが、

  叙事詩やプラーナでは両者は同一のものとして扱われている。

  『ヴァーユ・プラーナ』では一二のヤートゥダーナの名をあげ、

  カシュヤパ仙とスラサーから生れたとされる。

 ヤドゥyadu 

  月種族(チャンドラヴァンシヤ)の王ヤヤティの子で

  ヤーダヴァ王朝の創始者。

 浦和レッズレディース
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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(83)インド神話伝説:ヤージャYaja~ヤドゥyadu

 課題:龍の登場しない龍宮伝説の真相
    ―海洋安曇族の主祭神「海童(わたつみ)」の故郷―

 出典:「インド神話伝説事典」:322・323頁
   :菅沼 晃
   :東京堂出版

 ヤージャ Yaja

  高潔さで知られるバラモン。

  パンチャーラのドルパダ王の懇願によって、

  雌牛一○○○万頭を供え、

  祭祀を行なった結果、

  その祭火の中からドリシュタディユムナとドラウパディーが

  生れ出たといわれる。

 ヤジュニャ Yajna

  「犠牡」「祭祀」の意で、プラーナでは人格化されてルチの子、
 
  ダクシナー(「供物」の意)の夫とされる。

  彼は鹿の頭をもっていて、

  ダクンヤの祭肥のときにヴィーラバドラによって殺された。

  『ハリ-ヴアンシャ』によれば、

  彼はブラフマー神によって天空に昇り、

  ムリガンラス(鹿の頭)と呼ばれる星座となったという。

 ヤージュニャヴァルキヤ Yajinavalkya

  ウパニシヤッドの哲学者として知られる聖仙で、

  『ヤジュルヴェーダ』、

  『 シャタパタ・ブラーフマナ]、

  『 ブリハドアーラニヤカ]、

  『ヤージュニャヴァルキヤ法典』 の伝説上の著者。

  『シャタパタ・ブラーフマナ]によれば、

  彼はヴィデーハ王ジャナカの宮廷で

  しばしば催された哲学上の討論会で多くの論敵を破った。

  ヴィダグダ・シャーカリヤという名のバラモンが

  とくに彼の論敵として有力であったが、

  ヤージュニャヴァルキヤはついに彼を論破して呪いをかけ、

  その結果、ヴィダグダ・シャーカリヤの首は落とされ、

  その骨は盗人に持ち去られたという。

  彼にはマイトレーイーと力ーティヤーヤニーという二人の妻があり、

  ブラフマ・ヴァーディニー(哲学を論ずる女性)といわれる

  マイトレーイーにアートマンの教えを説いた話が知られている

  (『 ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド』 一・四)。

 ヤジュニャセー Yajnasena

  パンチャーラの王ドルパダの別名。

 ヤショーダー Yasoda

  牧人ナンダの妻て、クリシュナの養い親。→クリシュナ

 ヤースカ Yaska 

  ヴェーダの難解な言葉についての註釈書「ニルクタ]の著者。

 ヤーダヴァ Yadava

  「ヤドゥの子孫」の意で、

   ヤドゥを祖とする部族名、その王朝、王国名。

  クリシユナはこの部族の出身である。

  ヤドゥの系譜はアトリから始まり、

  チャンドラ、ブダ、プルーラヴァス、アーユス、ナフシヤと続き、

  ナフシャにはアーヤティとヤヤーティという二人息子があった。

  ヤヤーティには二人の妻サルミシュターとデーヴァヤーニーがあり、

  シャルミンユターとのあいだにドルヒユ、アヌドルヒユ、プールという

  三人の男子をもうけた。

  このうち、プールからプール・ヴァンシャ(プールの系統)が始まる。

  ヤヤーティはデーヴァヤーニーとのあいだにも

  二人の息子ヤドゥとトゥルヴアンユをもうけ、

  このうちのヤドゥからヤドゥ・ヴァンシャ(ヤドゥの系統)

  すなわち、ヤーダヴァ(ヤドゥの子孫)が始まる。

  ヤドゥには四人の息子

  サハスラジット、クローシュトリ、ナラ、リプがあり、

  サハスラジットの子シャタジットには

  三人の子マハーバヤ、ヴェーヌハヤ、へーハヤがあり、

  このうちへーハヤはへーハヤ・ヴァンシヤ(へーハヤの系統)となる。

  彼の子ダルマにはクンティ(あるいはクニ)という息子があり、

  クンティはサダージット、マーヒシュマット、

  バドラセーナ、ドゥルダマという四人の子を持った。

  このうち、バドラセーナにダナカが生れ、

  ダナカにはクリタヴィーリヤ、

  クリターグニ、クリタヴァルマン、クリタウジャスがあり、

  このうち長子のクリタヴィーリヤから

  カールタヴィーリヤールジュナが生れた。

  彼には五人の息子、ジャヤドヴァジャ、シューラセーナ、

  ヴリンヤバ、マドゥ、ウールッジタがあり、

  このうちのマドウの子としてヴリシュニが生れ、

  ここよリヤドゥの系統は

  ヴリシュニ・ヴァンシャ(ヴリシュニの系統)となる。

  ヴリシュニには四人の子があったが、

  ヤドゥの系統はそのうちのユダージットへと続き、

  そのンニからサティヤカが生れ、サティヤカからサーティヤキが、

  さらにジャヤ、クニ、アナミトラ、プリシュニ、

  チトララタ、ヴィドゥーラタ、

  シューラ、シニ、ボージャ、フリディーカ、シューラと続き、

  このシューラとその妻マーリーシャーとのあいだに

  ヴァス、デーヴァバーガ、デーヴァシュラヴァス、アーナカ、

  スリンジャヤ、カーカーニーカ、シュヤーマカ、ウァツア、

  カヴーカ、ヴァスデーヴァが生れた。

  このヴァスデーヴァとカンサの妹であるその妻

  デーヴァキーとのあいだに生れたのがクリシュナてある。

  クリシュナよリプラディユムナ、アニルッダ、ヴァジュラと続いて

  ヤーダヴァの系譜は終わる。

  バラタ族の戦争ののち、三六年目にヤーダヴァ族は滅亡した。

 ヤートウ Yatu

  あるいはヤートゥダーナ。

  悪魔、あるいは邪悪な精霊で、

  犬やハゲ鷹などの姿をとって人間にを与えるといわれる。

  ヤートゥはラークシャサ(羅利)と別のものであったが、

  叙事詩やプラーナでは両者は同一のものとして扱われている。

  『ヴァーユ・プラーナ』では一二のヤートゥダーナの名をあげ、

  カシュヤパ仙とスラサーから生れたとされる。

 ヤドゥyadu 

  月種族(チャンドラヴァンシヤ)の王ヤヤティの子で

  ヤーダヴァ王朝の創始者。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ
 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年7月19日土曜日

阿曇・安曇(82)梵和大辞典(yathopayoga~yad-ahas、yada~yad-pum-gava)

 浦和レッズレディース
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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(82)梵和大辞典(yathopayoga~yad-ahas、yada~yad-pum-gava)

 課題:龍の登場しない龍宮伝説の真相
    ―海洋安曇族の主祭神「海童(わたつみ)」の故郷―


 出典:「梵和大辞典」:1082頁
     編者: 財団法人 鈴木学術財団
     発行:講談社
   
  yathopayoga ゜tha--up゜

   副詞 ゜_,~m 用途・要求または環境に応じて.

  Yathopalambham ゜tha--up゜

   副詞 まさに…を把握またはに着手するように.

  Yathopdhi ゜tha--up゜ 

   副詞 条件または前提に従って.

  Yathopta ゜tha--up゜

   形容詞 播かれたままの、種子に従って.

  Yathaucityam ゜tha--auc゜

   副詞 適宜の方法によって.

  Yathaucity ゜tha--auc゜

   副詞 「同上」.

  Yad

   副詞 代名詞 [ya の中、体、業、単、およびその幹゜_]

    … するところのまたはであるもの;

   漢訳:彼、諸有、所有 諸有所有Abh-vy.、

   Ast-pr.やSaddh-p.:~t tac chrruyate 

   昔聞Divy.40. ;~m~m … tam tam

   [仏教梵語ではyam = yad ,tam=tad]一切皆、皆悉Ast-pr.168.;

   yani tani 諸、一切 Ast-pr.195. ;

   Yena bhagavams  tenanjalim pranamya  

   「yena 具=yatra」向仏合掌恭敬 Muyut. 接続詞 … と、いわく … 

   「言う、考える等の動詞に続いて直接話法を導く.

   ただし通例 iti を伴なわない];

   するように[まれに]、… である事実に関しては 相関 tad 、

   それについて;そういうわけで、そのために[まれに];

    …するまたはである時(吠);

   もし…ならば(吠)〔 図)

   [ Br.においては 願 とともに実現されない条件を表わす];

   …であるから、…の故に、…であるをもって[相関 tad 、

   その故に(通例);…するために[まれに];

   漢訳:若、若事;是何、何物、怎麼;如是;謂 

    Abh-vy.,Bodh-bh.,Mvyut.,Nyay-pr. Yena 具

   漢訳:以那箇,為那箇,為想那箇

    Mvyut.: yena grhnati 執具,所用著法 Madhy-v .465;

   ~c ca na vikal=payati I 由此無分別Madhy-bh.yasmat 従:

   漢訳:由;如此;為何,那等Bodh-bh.,Mvyut.yasya 属

   漢訳:敦之;是誰,於誰 Mvyut.. Yesam 属 複

   漢訳:敦們的,為誰們,那幾個的 

    Mvyut.Adha ~たとい…であっても,

   … といえども(RV.) ~ api … といえども.~ idam すなわち;  

   漢訳:曰,所謂;此,如此,既此;所:是何,何物,怎麼

    Das-bh., 

    Mvyut.~u…evam …であるようにそのように(吠).

     ~ uta すなわち(Kar-vy . ) ;

   漢訳:謂,所謂,是謂;是,如是,即是

    Ast-pr.,Bodh-bh., Das-bh.,Mvyut-bh.~ t kim-cit

   漢訳:所有,諸所有,一切

    Bodh-bh .:yani kani-cit 所有 Bodh-bh.263.

    ~t kila すなわち,からt khalu なにとぞ(知られたし)

   vac ca 

     しかも,すなわち,たしかに;

     その上.~ ca … ~ca ならびに…もまた(Divy.).

      ~ va(さもなければ[註においてはきわめて普通];

     しかしながら.…~ va … yadi va

      もし…ならば…またもし… ならば.

  Yad-anna 

   形容詞 その食物を食べる.

  Yad-abhava

   男 :~ e 於 それの無い、または欠けた場合には.

  Yad–artha

  形容詞 それを目的とする.~m 副詞 その故に,

   その理由によって;その人のために;

  … なるが故に,… であるをもって[まれに].~ e 

   於 副詞[同上].

  Yad-avastha 

   形容詞 漢訳:如位 Abh-vy.

  Yad-asana 

   形容詞 それを食する.

  Yad-ahas

   副詞 その日に.

  yada

   接続詞 …であるまたはする時に[相関 tada

   (まれに省略される)または時々 tatas とともに;

   吠 においては ata ,tha , adha , tad とともに;

   繋辞はしばしば省略される,

   過受分の後にあっては特にそうである」;

   漢訳:爾時,是時;若,若時;

    何時Abh-vy.,Bodh.,Mvyut.,Sapt-pr. ~ kad cid 

    何時でも,どんな場合にも.~ tad 常に;

   漢訳:故,由…故 Ast-pr , ~ kada ca … するごとに(RV.). 

   ~~… するごとに[相関tada 且を重複または単一で用いる].

   ~ eva … tadaiva (da-eva )…するや否や直ちに,

   正に… した時その時以来.

   ~ eva khalu……tada prabhrty-eva [同上].

   yad-atmaka

    形容詞 そのものの性質をもつ.

   yadi 

   接続詞 [吠はまた yadi(韻律)」もし… ならば[吠においては,

   直,接,願,未または時としてid , u , uta , cid , ha vai

    等の不変辞を伴なう;

   ただし帰結句には通常不変辞を省略する;

   華においてはNanu 以来次の六種の 動詞とともに用いられる:

  1 .現とともに;帰結句には,

    現,願,命,未または人称形の動詞なしに;

  2 .願とともに;帰結句においては,

    願,条件,現,命,未または人称形の動詞なしに;

  3 .未とともにニ帰結句においては

    未,現または人称形の動詞なしに;

  4 .条件とともに;帰結句においては条件;

  5 .一過または三過とともに;帰結句においては条件,願とともに;

  6 .人称形の動詞なしに;帰結句においては,

    現,願,未または人称形の動詞なしに.

  すべてこれらの場合における帰結句はtarhi , tatah , tad , tada ,

  まれにatra , atha , tatra , tadanim , tatah , param を伴なう];

  もし=… が確かであると同様に

  [断言の場合は命±tatha またはtena ,願+ tad を伴なう];
 
  …かどうか[現,願を伴なうまたは人称形の動詞なしに;

   ~… na va …か…またはどうか];

  …であることを(「信じない」,

 「認めない」を意味する動詞の後に);

  もし多分,恐らぐ…ならば[願 iti ,現,未とともに」;

  漢訳:若,設,設使;既Abh-vy., Av-s., Mvyut., 梵千.~ ced 

  もしも… ならば.~tavat もし… ならば(どうなるであろう)

 [現または命とともに]. ~ api たとい… であるとするも,

  … であるといえども

 「まれにapi ~;帰結句には士tathapi (゜thapi )またはtad api].

  ~nama もし実に… ならば(Jat – m).

  ~( va) の… ~va … であるのかまたは… であるのか.

  ~ va… ~[同上].~va…va [同上].Va~va [同上]. 

  Yad va… va[同上].~…va na va,

  … であるのかあるいは… でないのか.

  ~va[単独に」あるいはもし… ならば,あるいはむしろ… ならば,

  [時として]=しかしながら.

  Yadiya 

   形容詞 その人の,それの.

  Yadu

   男[Veda時代の一種族またはその首長の名

  (通例 Turvasa とともに挙げられる:turvasa ~u)両;

   複 その種族またはその子孫=Yadava ;

   叙詩には Yayati またはCedi の王侯.

   Vasu の息子または Haryasva の息子とされる;

   Kresna の出た Yadava 族の先祖].

  Yadu–nandana

   男 Yadu 族の長,[Kresuna の称]. 

  Yadu–nandana

   男 Yadu 族の長,[Kresuna の称]. 

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年7月18日金曜日

阿曇・安曇(81)アプカッルの神話

 浦和レッズレディース
 『Yahoo!天気・災害
 『Matのジオログ

 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(81)アプカッルの神話

 課題:龍の登場しない龍宮伝説の真相
    ―海洋安曇族の主祭神「海童(わたつみ)」の故郷―

 出典:「最古の宗教 古代メソポタミア」
    ジャン・ポール・ボテロ
    松島英子訳
    法政大学出版局
    第四部「神々」―宗教:知性と権力の技術的機能
    372~375頁

 古代メソポタミアの社会においてエアに相当する人物を捜すとすれば、

 あまりよくは知られてはいない神話だが、

 アプカッル(apkallu)の神話を手がかりにすることができよう。

 この神話は、文明と技術の「発明者」であるエンキ/エアが、

 いかにしてそれらを歴史に導入し人間に教えたのかという問題に、

 答えるものである。

 この神話は当初の姿では残っておらず、また正確な内容もわからない。

 部分的ながら復元してみる必要がある。

 まず第一に、前3000年頃「バビロニアのべールの神官」をしていて、

 この古い歴史を持った国の「哲学」と歴史との要説をギリシア語で著した

 べロッソス(Berossos)自身のスケッチに頼ることにしよう。

 彼は説明する。

 バビロニアにおいては、数多くの人間がよそからカルディアの地

 (メソポタミア南部の、ペルシア湾に隣接した地域)に

 やって来て住み着いたが、

 彼らは動物と同様の粗野な生活を送っていた。

 最初の年に、紅海からやってきたオアネスという名の異様な怪物が、

 岸辺に現われた。

 彼の身体は全体として魚のそれであったが、

 頭の下にもう一つの頭が挟み込まれていて、それは人間の頭であった。

 足の陰にも人間の足と同じ足が見えた。

 この姿を人々は記憶にとどめていて、

 今日でもそれを再現した像を作っている。

 この生き物は、人間の間にまじって、食物を何も採らずに日々を過ごし、

 人々に文字、あらゆる種類の科学と技術、

 町の建設、神殿の建造、判例の集成、幾何学を教えた。

 同様に穀物(の栽培)や果物の収穫などについても明かした。

 要するに、彼は人々に文明生活の基本となるすべてをけたのである。

 それが完璧であったがために、それ以来人々は(この問題に関して)

 これ以上素晴らしいものに遭遇することはなかった。

 日没時には、オアネスという名のこの怪物は、

 夜を過ごすため水の中に身を沈めた。

 彼は水陸両棲生物だったからである。

 後になって同じような別の生物が現れた……。

 ベロッソスが別の箇所に書いているところによると、

 やはり紅海からやって来た魚人で、

 それが大洪水前の王朝に関係するこうした存在は、

 合計七人いたという。

 ベロッソスは常に信頼のおける著者である。

 そしてまた、シュメルやアッカドの文学伝統のなかから、

 彼の記述に合致する箇所、

 こうした由緒ある言い伝えを垣間見せる部分を

 少なからず拾い出すことができる。

 ある祓魔テクストのなかに挿入された短い神話は、

 七人の素晴らしいアプカッルについて示唆しているが

 ここでアプカッルはメソポタミア特有の詩的想像力においては

 華麗さと輝きとの典型とされる鯉に比定されている。

 そしてまた、

 「天と地とのために神々が立てた計画の成功を保証した」

 ともされている。

 一方、有名な「エッラ叙事詩」は、

 「そのパトロンであるエアと同様に、

  (彼から)並外れた巧妙さを付与された、

  神聖な鯉なるアプスーの七人のアプカッル」に言及している。

 もう一つ別の資料はセレウコス時代のリストであるが、

 それぞれ1 人の君主の治世にかかわり、

 君主の傍らにあって賢人の役割を果たしたと見られる

 一六人の人物を列挙している。

 こうした賢人たちは、オリエント世界にあっては、

 助言者として伝統的に王のすぐそばに配されているもので、

 アラブ世界ではこうした人々を「宰相」と呼んだ。

 一六人の人々は三つのグループに分けられている。

 最後のグループに属する八人については、

 エサルハッドンの治世(前680-669年)を最後として

 古くは大洪水の時代まで遡るが、

 彼らにはウンマーヌ(unmanu)という呼称が与えられている。

 二番目のグループの人々は大洪水時代に、

 また第一のグループの人々はそれ以前の時代に位置づけられるが、

 両方合わせて八人を数え、どれもアプカッルと呼ばれている。

 これらを総合すると、

 アプカッルは神話時代、

 すなわち大洪水とそれ以前の時代のウンマーヌに他ならないことになる。

 ところで、アッカド語のウンマーヌという語は、

 ある種の器量を備え、全体として賢人、

 文人などと呼ばれる人々を指すが、

 それだけでなく、それぞれの専門分野において

 とりわけ優れた職業人を指しても使われる。

 たとえば、上述のリストが言及している者たちの若干は、

 他の資料によって書き手もしくは「著者」であったことが知られている。


 たとえば一人は「エッラ叙事詩」のそれ、

 別の一人は「ギルガメシュ叙事詩」のそれとされる。

 王に仕える非常に熟練した専門家の様態なのである。

 メソポタミアにおいて、われわれはウンマーヌの典型的な例を

 いくつか見いだすことができる。

 一つだけ挙げれば、マリの王ジムリリム(前一七八〇年頃)

 に仕えていたムカンニシュム(Mukannism)がこれに相当しよう。

 思考や精神を純粋に思弁のために用いるということが

 まったく知られておらず、

 実現と成功が知識と知性の最終目標であった土地では、

 これらの概念が同じ一つの語で表現されることは、

 なんら驚くべきことではない。

 そのようなわけで問題のウンマーヌは、

 王の賢い助言者であると同時に、

 メソポタミアの権力者は例外なく、

 若い時分に知識や技術問題の理解という幅広い分野に関しての

 手ほどきを受ける機会を持たなかった。

 しかしこうした事柄の重要性は、

 高度に発展した効率的な手法の伝統にもとづいて、

 生産をあげたり、有用財に加工したりすることに専念する

 「産業」社会においては、とりわけ大きいのである。

 権力者の側近に技術に熟練した専門家がいることは、

 必要不可欠なことであった。

 神話は歴史時代におけるこうしたウンマーヌの像、

 すなわち名高い賢者、深い考察力の持ち主、すべてを知り、

 的確明敏にあらゆる事柄を解決する能力を備えた人物像の記憶を、

 神話の時代に移しかえ、

 さらにそこにシュメル社会でウンマーヌの最上級にあたる

 アプカッルの呼称に示される、いっそう輝かしい光を付与した。

 熟練した技術者、比類なき知恵者、名高い才人アプカッルは、

 いまだ粗野な生活を送っていた人間に、

 文明生活の基盤となるあらゆる事柄を教え、

 文明化を促した英雄と考えられたのである。

 べロッソスがはっきり規定しているように、

 文明生活の基盤とは文字、科学、技術である。

 ギリシア人、さらには現代のわれわれにしても、

 メソポタミアの人々とくらべれば

 これらのカテゴリーを一つ一つ明確に識別している。

 彼らメソボタミア人は、伝統的で効果的なやり方のみを意識して、

 それらのやり方が要請するものが、主として手を使うことなのか、

 それとも精神を使うものなのかという問題を、重要視してはいなかった。

 アプカッルたちはそのパトロンであるエアと結びついていた。

 最初のアプカッルは

 アダパ(「賢者」三七〇頁)という異名をもっていたが、

 先に挙げたセレウコス時代のリストから知られる名前は、

 まさにウアンナ/オアンネス(Uanna:Oannes)であった。

 エアはこの地の歴史に文化を導入するために、

 アプカッルたちを使った。

 技術上の大きな発展、高度な文明の諸要素の継承は、

 メソポタミア南部、

 ついでバビロンの町を世界の文化の中心地に押し上げた。

 ここにおいてもまた、

 われわれはアプカッルの神話のなかに

 痕跡をとどめている遠い歴史の記憶を

 切り離して考えるわけにはいかない。

 少なくとも、当時の人々がエンキ/エアについて抱いていた概念、

 すなわち生活上のあらゆる便利な物事、

 あらゆるテクニック、すべての文化の発明者であり、

 また、彼がそれを時間をかけ、特別に派遣した驚くべき人々

 すなわちアプカッルを通じて少しずつ人々に教えたことを、

 この神話がそれなりの手法で示しているのは、

 白日のごとく明らかである。

 しかしそれと同時に、われわれはそこに人々が、

 エアとアプカッルの間に

 密接な類似性を想定していたことを見るのである。

 人々の信仰心、

 あるいは神学がエンキ/エアに付与した伝統的なタイトルの一つは、

 まさに神々のアプカッル(apkal ilu)であった。

 このタイトルは後にその子マルドゥクに伝わることになる。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

阿曇・安曇(80)オアンネス(Gr. Oannes):Yadava

 浦和レッズレディース
 『Yahoo!天気・災害
 『Matのジオログ

 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(80)オアンネス(Gr. Oannes):Yadava

 課題:龍の登場しない龍宮伝説の真相
    ―海洋安曇族の主祭神「海童(わたつみ)」の故郷―

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 (Sk.)avan-c 下方の、より低き、南の(ava-ñc):avanti

       ava-ni    河流、河床、地、地面

       avana     恩恵、保護

       avani-taka  地面

 ○B.C.300頃 「バビロニアのベールの神官」

  バビロニアの古い古い歴史をもった国の

  「哲学」と「歴史」をギリシャ語で要説した。
 
  ベロッソス=Berossosのまとめたもの。

  「オアネスという名の異様な怪物」が現れた。

  身体は全体として魚、頭の下にもう一つの頭、

  それは人間の頭、足の陰にも人間の足と同じ足がみえた。

  山椒魚=Drache

 [水陸両棲生物]

  日没時に夜を過ごすため水の中に身を沈めた。

  人間の間にあって食物を何も採らず、

  人々に文字、あらゆる種類の科学と技術、町の建設、神殿の建造、

  判例の集成、幾何学を教えた、

  穀物の栽培、果物の収穫などについて明かした。

 ○7人のすばらしいアプカッル(鯉に比定されている)

  (Sk.)apukal-il(神々のためのアプカッル)

 「エリゥ叙事詩」
 
 「そのパトロンであるエアと同様に、

  (彼から)並外れた巧妙さを付与された神聖な鯉なる

  アプスーの7人のアプカッル」

  最初のアプカッルはアダパという異名をもっていた。

  アダパ:

   (Sk.)adapa
 
      <水陸両棲生物の特性で水中でも歩かなければならない>

  アプカッル:

   (Sk.)ap(ab)-ha(ku)-lu-lu
 
      海の  魚  人・人(複数)人類
 
       魚人/人魚 ※海の漁人たち

   (Sk.)ap-su=海/遠い海、地下水zu ab

  最初のアプカッル:

   (Sk.)ap-ha(ku)-lu[アプカル]海の魚人(単数)

   アプカッルは鯉でなく蛙(かえる)[ひきがえる]に

   比定しなければならない。

   (Heb.),כַרֶפַדַה,KRPDH,karepadah ひきがえる
 
   (Heb.),כַרֶפִיֶֻנ,KRPYVN,karepiyuen 鯉

 ○オアンネス[Gr.Oannes]

      (Sk.)uh-ni-nisag:uh 蛙・かえる-ni(の)-nisag司祭

     司祭である蛙[水陸両棲生物]としてである。

   (Heb.),הָֻיל,HVVYL,houylはおり/,הָוִי,hoviylかえる 

              導く、指導する、持ってくる

   (Heb.),נִוֶזַה,NVZII,nivezah/,נֶזֶה,nezeh ひきがえる[背の低い人]

 ※ヘブライ語においては、

  シュメル語の「かえる」と「司祭」の対象語が

  ひっくりかえっているのはおもしろい

 ※(Sk.)a-deb[水を歩き回る]:adpa

    (サンスクリット語)ya-das 大きな水棲動物、海の怪物、

  yadu Veda時代の一種族またその首長の名

  yadava,yaduの後裔の子孫、その一族、

  その後裔からKrsnaクリシュナが出、

  その都をドヴァーラカーDva-raka-という。


 ○エリドゥ

  Eridu ← erdhi(Grg.グルジア語) 

  Uri  ← ori(Grg.)

  Urk  ← シュメル時代 Unuウヌ(旧約聖書Erek)

  eme(シュメル語)言葉、舌

  ena(Grg.)言語[この町絵文字の粘土板が発見された]

  Olkhi(Grg.)宗教
 
  [a-r(賛美な)(Grg.)-si(角)(Grg.)→ol-khi   
  
   角をほめること信仰(宗教)]

 ○エリドゥの守護神

  Enki[主<神>―地]地神

  ea[地下水],a-e₃-a 泉

  (Heb.),יהוה ,YY,yeya「主」の別称、

         「アドナイ」「ハシェム」と証する。
  ※日本に渡来して「伊夜彦」の神名になっている。

 ○エリドゥの地域は後にカルディアと呼ばれた

  Chaldea(B.C.15世紀)>chalda(B.C.8.7世紀):khard-a←si角[kert角]


 ○メルッハ:シュメル時代海外のある地域を呼んだ名称、

  インドのマルワ地方等に比定される。

  Kar-me-lu-ha 魚人のいる国=maruha:ma-lu-ha 魚人の土地
  国 いる 人 魚          土地 人 魚

 ○神官 gudu₄ [バビロニアのベールの”神官”]

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
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 Tell Arpachiyah (Iraq)
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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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阿曇・安曇(79)阿波岐原(あわきがはら):宮崎市

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(79)阿波岐原(あわきがはら):宮崎市

 課題:龍の登場しない龍宮伝説の真相
    ―海洋安曇族の主祭神「海童(わたつみ)」の故郷―

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦


 阿波岐原(あわきがはら):宮崎市

 大淀川支流別府川北東に位置し、東は日向灘に面する。

 [古代]阿波岐原

 良期から見える地名。

 日向国宮崎郡のうち。檍原とも書く。

 「古事記」伊邪那岐命と伊邪那美命条に

 「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」と見える。

 「日本書紀」神代上にも同様の記事が見えるが、
 
 伊弉諾尊が死んだ伊弉冉尊を求めて行った黄泉国からの帰り.

 「筑柴の日向の小戸の橘の檍原」でみそぎをしたといい,

 この話は、「日本紀略」「類聚国史」「神皇正統記」などにも見える。

 なお、中世の神道書である「御鎮座次第記」「御鎮座伝記」によれば、

 この時、

 伊弊諾尊の左眼から生まれた神が鎮座したのが多賀宮であるという。

 さらに、当地名は、伊弊諾尊のみそぎの話として、

 住吉神のもととなる底筒・中筒・表筒3神の伝説とともに、

 「釈日本紀」や室町初期の縁起「竜田大明神御事」(続群2下)、

 室町期の「伊勢物語」注釈書「伊勢物語愚見抄」(統群18)に

 継承される一方、

 謡曲集に収める「白楽天」や「雨月」に住吉神にかけて

 「檍が原」が読みこまれているように、

 芸能の重要な素材となったことが知られる。

 [近代]「阿波岐原町」

 昭和8 年~現在の宮崎市の町名。官崎市江田。

 昭和53 年一部が波島1 ~2 丁目となる。

 世帯数・人口は、

 昭和35年181・952 、同50年747・2,841、同55年692・2,597。

 海岸地帯で,海辺を一ッ葉浜といい、

 白砂青松の間に式内社江田神社があり、

 はるか西方には霧島の霊峰が遠望される。

 「古事記」「日本書紀」にある伊井諾尊がみそぎ・祓いをした

 「筑紫の日向の小戸の橘の檍原」はこのーッ葉浜と伝えている。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等


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