2013年6月3日月曜日
銅鐸は多目的の仏教用具 兼 稲作教科書
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録24:9頁
弥生時代の銅剣型祭器の分布はその後、
四国西端から瀬戸内沿岸、中国地方へと広がって、
中国以東の銅鐸分布圏とぶつかり次第に重なって行く。
大学講義録21の28頁で少しお話ししたが銅鐸も弥生時代の画期的な祭器で、
ギリシャ教とは別の宗教が、
やはり「冥界=銅」という思想を受け継いでいたものとみる必要がある。
すると当時そんなことが可能だった存在は、
インドでギリシャ文化に洗礼された仏教宣布団のウッタラ長老達しかなく、
どう視点を変えても銅鐸は彼等が考案した仏教用具、
「初期の釣鐘(つりがね)」だったとみる以外ない。
銅鐸の絵画を分析すると
「トカゲ、蛙、トンボ、カマキリ、クモは稲の害虫を食う益虫で、
ヘビ、魚はそれを食う敵、
サギや鶴は魚を食べる益鳥、
鹿や猪は稲を荒らす敵、敵は生物であっても道具で補え、
犬や弓矢で退治て食べてもいい。
稲は高倉に蓄えて、臼と杵で搗(つ)いて食べる。
こうした文明は私たちが敵と戦いながら、
船で苦労して運んできたものだ」と解け、
すでに明かになった歴史と、
インドと周辺諸国での仏教用具発達史とを総合して考えると、
最終的結論は、
ギリシャ信仰から仏教へ人々の信仰を変えさせた流れに合わせて、
ウッタラ達が工夫した
「読経祈祷用の伴奏楽器」兼
「水稲稲作教育用具=生物連鎖の重要牲を教える輪廻転生、殺生戒教育用具」兼
「音響通信器具」だったというのが最も正しい結論だ。
《銅鐸は多目的の仏教用具 兼 稲作教科書》
「銅鐸は多目的の仏教用具 兼 稲作教科書」
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