2013年6月27日木曜日
『三国史記』と高族「欠史天皇」の実体
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録25:7頁
『三国史記』は9世紀に高麗(コウライ)が朝鮮半島を征服してから、
新羅35代景徳王以来、
反日感情にみちている新羅史料をもとに、
中国史料から引用したものを加えて作った作品で、
日本と朝鮮半島とは血縁はないと強調する目的で作った、
意図的に手を加えた歴史書なので、
これまではその内容は全て朝鮮半島だけの歴史だと思い込まれていた。
しかし高句麗王たちは高(コウ)を意味する孝(コウ)の字のついた欠史天皇として、
神武天皇と崇神天皇の間に配列され、
その系譜をみると
卑弥呼も、日葉酢媛も共に、
その王統の出身なのである。
ここで日葉酢媛の名乗りの換討を手抜きしてはならない。
それがパーリ語仏典の教義の名
「ミーマンサー」を奉じる子という意味であることは、
大学講義録24の30頁でおわかり戴いたと思うが、
それは『魏書倭人章』が
弥馬升という当て字で記録したものと同じだった。
その弥馬升には崇神天皇の皇后御間城姫の名も一致するし、
地名にも美作(ミマサカ)(岡山県)が実在するので、
それが正しいことが確認できる。
この御間城姫皇后が卑弥呼が死んだ直後、
卑弥呼の後継者になったが、
気象が激しくて男王・崇神天皇の手に負えず、
別居してしまったことが再び内乱を招いて崇神政権は崩壊した。
(『日本書紀』では
御間城姫皇后は
卑弥呼の死後は「天照大神」と呼ばれている。)
日葉酢媛は卑弥呼からは3代目の天照大神であり、
3代目卑弥呼なのでもある。
《『三国史記』と高族「欠史天皇」の実体》
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