2013年6月24日月曜日
在来の「説」が全滅した理由
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録25:4頁
彼等は、
狗邪韓国または対馬から、一大、末盧、伊都国までと、
伊都国の東南にある奴国、
その東にある不弥国、
その南にある投馬国と、
さらに多くの旁国から成る女王国との全域を
「邪馬台国」または「邪馬壹国」と呼んでいるからである。
それは頭から邪馬臺はヤマトで、
奈良時代の「大和」朝廷の前身だから、
「邪馬台とは大和=日本(ヤマト)全体の国号だ」と
思い込んで自説を展開している。
直接、それに触れてはいなくても、
卑弥呼を漢のような統一国家の皇帝同様に扱っているから、
著者の考えははっきり見えている。
しかし陳寿の原文を少し注意して読めば、
伊都国から南へ海路を10日行き、
さらに陸路を南へ1か月行ったところにある国が邪馬壹国であって、
それは女王国の『首都=都市国家』だと書いてあり、
倭国全体が邪馬壹国だなどとはどこにも書いてない。
在来の邪馬台国論者たちが、
まるで漢文が解読できなかったことを、
はっきり暴露しているのである。
正しく「邪馬壹国」と書いてあるものを、
ヤマトに似ているというだけで、
頭から邪馬臺が正しくて邪馬壹は間違いだと思い込み、
そのためそれ以外の記述もすべて間違っていると、
方角も距離も地名も自説に都合のいいように「訂正?=訂悪」までして、
大々的に唱えられた「説」が、
どれくらい日本人として恥ずかしいものだったか、
実に情けない限りだ。
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