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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
阿曇・安曇(38)メルッハ・オフル・メルッハとマルワ
超古代にアラビア海から太平洋へ航路を開いた阿曇族
―「船」を家とした人々の来歴―
出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
第7章 メルッハとオフル
メルッハ Meluhha とは紀元前25世紀のアッカド語に
初めて現れる地名である。
アッカドのサルゴン王の時代に
同王の業績を語る楔形文字の碑文に記されている。
キシュの王シャルキーン。
彼は34回もの戦闘を勝ち抜き、
海の果てに至るまでの城壁を打ち壊した。
メルッハの船、マガンの船、ティルムンの船を
アッカドの港に停泊させた。
シャルル・キンはサルゴン王の正式な王名である。
ティルムンは現在のバーレン島であることが
一般的に容認されている。
しかし、メルッハとマガンの該当地については
確認されていない。
アッカドから出土した他の楔形文字の粘土板には
「海の向こうに行った王や商人」
「船の沈没・海難」
などについての記録が記されているが、
注目されるのは
「外国の港から輸入された積荷のリスト」であり、
その中にメルッハから輸入された品目名が
次のように上げられている。
黒檀、牛、孔雀、銅、紅玉、
金、銀、ラビスラズリ、
錫、象牙、猿、鶏
また、シュメル語の 「エンキと世界秩序の確立」と題される
神話では、メルッハが金と錫によって
繁栄が約束された土地として語られる。
この二つの鉱物は前記のアッカドの輸入品目にも含まれている。
紀元前22世紀のラガシュのグデァ王B像(ルーブル博物所蔵)にも
「その砂金をメルッハ国から出し、洪水の神殿のため使った」
との楔形文字の刻文がある。
メルッハ国は
kur me-luh-ha (国‐ある‐人々‐魚)と刻字されており、
「魚人のいる国」の意味となる。
魚人いえばオアンネス伝説が想起される。
第2章メソポタミアと牡牛のうちの
「エンキ神とメの職能」において触れた、
紀元前300年頃「バビロニアのべールの神官」をしていた
ベロッソスがギリシャ語で要説した
歴史のなかに記されているものであるが、
ジャン・ボテロの引用を転載する。
バビロニアにおいては、数多くの人間がよそから
カルディアの地(メソポタミア南部のペルシャ湾に隣接した地域)
にやって来て住み着いたが、
彼らは動物と同様の粗野な生活を送っていた。
最初の年に、
紅海からやって来たオアネスという名の異様な怪物が、岸辺に現れた。
彼の身体は全体として魚のそれであったが、
頭の下にもう一つの頭が挟み込まれていて、それは人間の頭であった。
足の陰にも人間の足と同じ足が見えた。
この姿を人々は記憶にとどめていて、
今日でもそれを再現した像を作っている。
この生き物は、人間の闇に混じって食物を何も採らずに日々を過ごし、
人々に文字、あらゆる種類の科学と技術、町の建設、神殿の建造、
判例の集成、幾何学を教えた。
同様に穀物(の栽培)や果物の収穫などについても明かした。
要するに、彼は人々に文明生活の基本となるすべてを授けたのである。
それが完璧であったがために、それ以来人々は(この問題に関して)
これ以上素晴らしいものに遭遇することはなかった。
日没時には、オアネスという名のこの怪物は、
夜を過ごすため水の中に身を沈めた。
彼は水陸両棲生物だったからである。
ここにいう紅海は、
現在のアラビア半島とアフリカ大陸に挟まれた狭い範囲ではなく、
ギリシャ語でエリュトゥ海といわれ、
その当時は現在のアラビア海を、広い概念としては
インド洋全域を指していた。
魚人とはこのオアネス Oanes あるいは Oannes のことである。
水陸両棲生物というと大山椒魚を想起させられる。
オフル Ophir は、
旧約聖書列王紀上にソロモン王の交易に関する記述に
見られる地名である。
オフルから金(きん)を載せてきたヒラ ムの船は、
またオフルからたくさんの白檀の木と宝石とを運ん来たので、
王は白檀の木をもって主の宮と王の宮殿のために壁柱を造り、
また歌う人々のためには琴と立琴と造った。
これは王が海にタルシシの船隊を所有して、
ヒラムの船隊と一緒に航海させ、タルシシの船隊に3年に一度、
金、銀、象牙、猿、孔雀を載せてこさせたからである。
ソロモン王の時代は紀元前965年から932年が統治の期間であった。
エゼキル書第27章はまた次のように述べる。
デダンの人々はあなたと取引し、多くの海沿いの国々は、
あなたの市場となり、
象牙と黒檀とを貢ぎとしてあなたに持ってきた。
このデダンについては、
日本聖書協会版は西欧の聖書版にローヅ島とあることに従って
ローヅ島にされているが、
エーゲ海の島である同島からの貢物が
象牙や黒檀であるのは妥当性がなく、
すでに述べていたようにフィリステルの
アシュドドとするのが相当と考えられる。
サルゴン王の時代は紀元前25世紀、
ソロモン王の時代は紀元前10世紀と
その隔たりは1500年程度あるが、
前者がメルッハから、
後者がオフルから輸入した品目のリストを比較すると、
その内容が極めて類似している。
メルッハの比定地がインドであるとの見解が一般的である。
その見解を妥当とするが、
オフルもまたインドとみる。
双方の交易品目の大半がインドに特有な産物であるからである。
黒檀はインド南部及びスリランカが原産地である。
白壇はサンスクリット語でマラヤ Malaya といい、
インドの南部アラビア海のマラバール海岸にある
マラヤ山脈の名に依るもので、この地域に産する。
またその名がマラヤ半島、マレーシア国になっているように
インドシナからインドネシアまでの
アジア南部に広く分布しているアジアの特産である。
孔雀も南アジア特有の鳥類である。
孔雀には二種あり、
マクジャクが中国南部からインドシナ、マラヤ半島、ジャワ島に棲息し、
インドクジャクがインド、スリランカに分布している。
象牙はアジア南部のアジア象のものと考えられる。
猿はサンスクリット語で markaha というが、
その呼称はメルッハに類似する。
貴石類のうちラビスラズリはアフガニスタンの東北部
バタキスタン地方しか算出しないものである。
以上のようにその産物の搬出地として
インド地域の妥当性が高いことが明らかである。
メルッハの遺称をマルワ Malwa と考える。
なぜならば、
「マルワ」Malwaの祖語を
シュメル語の Ma-lu-ha「土地・人・魚」とみるからで、
これはメルッハ Kur-me-luh-ha 「国・ある・人々・魚」と
同義であるからである。
現在のマルワは西部インドのヴィンダヤ山脈の北方に広がる地域で、
カンベイ湾を通ってアラビア海に抜ける。
その名称は紀元前4世紀にアレキサンダー大王が遠征してきた際、
勇敢に戦いをいどんだギリシャ語では Malloi族、
サンスクリット語で Malava族と呼ばれた人々の故郷である。
その中心的地域は紀元前8、7世紀頃16王国といわれた国の一つ
アヴァンティ Avanti であった。
ウジャインがその首都名である。
サルゴン王碑文にメルッハと併記されているマガンは
紀元前500年頃 マカ Maca と称されたとみられる
現在のイランとアフガニスタンの国境にまたがる
アラビア海岸のマクラン地方に比定される。
オフル名は、
マルワの西北に現在ウダイプール市があるが、
その東方わずか3㎞のところに
紀元前2000年から1400年にわたる
金石併用文化のアーハール Ochare 遺跡があるように、
インド」のしかもマルワ地方に該当されるものと考える。
その原義はサンスクリット語の ahare (日、昼)とみられる。
オフルを西欧の専門研究者は
アフリカ(ソマリア)に比定しているが、
アフリカ名はローマ時代にローマ人がカルタゴを
征服した(紀元前146年)後、領土名に使い始めたもので、
ヘロトドスの『歴史』などにはリビアとしており、
アフリカの呼称はない。
紀元後140年頃作成されたらしい
プトレマイオスの世界地図においてさえ、
同大陸の北部の広範囲をリビアとし、
カルタゴの狭い地域をアフリカとしているに過ぎない。
オフルは既述の産物を輸出できる地域でなければならない。
ソマリアが紅海の入口にあって貿易の中継地であったにしても、
インドとする方が妥当であろう。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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