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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
阿曇・安曇(33)ハンムラビの王国
超古代にアラビア海から太平洋へ航路を開いた阿曇族
―「船」を家とした人々の来歴―
出典:「古代のメソポタミア」マイケル・ローフ
:朝倉書店
交易と交戦:122頁
ハンムラビ(前1792 一50)は彼の治世の後半に、
メソボタミアのほとんどの地域の支配を確立し、
多くの都市の独立に終止符を打った。
彼は法典の序文で、
トウットウル、ニネヴェ、アッシュールはもちろん、
彼が滅ぼしたマリやエシュヌンナなどを含む
メソボタミアの多くの都市で、
神殿を修復したと主張している。
ハンムラビの息子サムス・イルナは、
謀反を起こしたラルサのリム・シン2世を鎮圧した。
その後の南バビロニアは荒廃したと思われる。
前1739 年以後、
(バビロニアの南端の諸都市)
ウル、ラルサ、クタッラ、ウルク、ウンマ、アダブ
またはラガシュが占領されていたという証拠はほとんどない。
海の国の王、イルマ・イルの治世にあたる
前1721年にニップルで書かれた文書はいくらかあるが、
その後200 年間に書かれたものはイシンでもニッづールでも皆無である。
このように南部で記録がなくなってしまうのは、
河川流路の激変、
海の国の諸支配者による征服、
官僚制度の習慣の変化などに由来するのかもしれないし、
またはこれら三つが組み合わさって生じたのかもしれない。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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