2013年10月17日木曜日
卑弥呼の先代の実在と天竺僧とシャーマニズム
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:31頁
当時の中国人がいう朝鮮は今の半島だけの名ではなく、
この朝鮮天毒(てんどく)は島国だというから半島以南の日本列島を指す。
天毒は天竺と同じだから、
九州を天竺と呼んでいたことを客観的に立証している。
しかもその住民は「偎(ゥワイ)人」または「アイ人」と呼ばれていた。
これは「ウワイ=倭」のことで、
愛の名は卑弥呼の名でもある。
時代は卑弥呼以前だから沖縄辺りに
の先代がいたことの「聞き書き」で、
それを伝えた人々もわかっている。
壹與が主役である『竹取物語』は、
「チクシュ=筑紫王」物語だと前にお話ししたように、
筑紫の語源が「竹氏=高(タケ)氏」であることは多くの検証で動かない。
その竺(チク)を名乗る僧が当時、中国本土で布教していたのだ。
中央を離れた辺境へ進んだ僧たちは、
極寒の天地に呑まれてしまったが、
その子孫はチュクチ(竺紫)人。
彼等のシヤーマニズムは、
ここで初めて卑弥呼仏教と結びつくが、
それは口寄せや芦響効果による低級な心理治療で食にありつく、
堕落した残滓でしかない。
だが名前は沙門(シャーマン)と、
その歴史を立証する名称を今なお残している。
我が国でも極寒地域の東北地方に、
有名な青森恐山のイチコなどの末裔を残しているが、
ソナカらがもたらした釋迦の哲学仏教からは余りにも退化が激しく、
そんなものを卑弥呼の『鬼道』だと唱える在来学者の想像力は、
余りにも粗雑で史実を曲げすぎるのである。
卑弥呼の先代の実在と天竺僧とシャーマニズム
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