2013年10月15日火曜日
天孫降臨を無価値にする『日本書紀』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:29頁
これで、1200年来の謎だった『記・紀』の実体が、
どんなものだったか明確にわかった。
その伊耶邪岐命の黄泉国行きには、まだ多くの史実が隠れている。
ついでに残りの紙面で、その謎解きをしてみよう。
『古事記』と『日本書紀』の記事の、微妙な表現の差が、
どんな価値をもっているか、よくおわかり戴けると思う。
伊弉諾尊が禊をした地点が、
まず『古事記』と『日本書紀』で違っている。
『古事記』 「黄泉国。 竺紫・日向・橘・小門・阿波岐・原
『日本書紀』「黄泉。(一書)筑紫・日向・小戸・橘・檍 ・原
こうして並べてみるとよくわかるように、
『古事記』は「日向の橘」と書き、
『日本書紀』は「日向の小戸」と地名が逆転している。
どちらが本当かという大論争が、
その裏に隠されていることに気づく必要がある。
だが日向へは
天孫「瓊瓊杵(ニニギ)の命」が降臨したのが後だとする、
矛盾している『日本書紀』のほうが間違いである。
日向の橘なら鹿児島県の種子島で、
イサナキの尊が三貴子と居てもおかしくないが、
日向の小戸(ウド)では、
宮崎県の鶉戸(ウド)神宮のある海岸だから、
天孫が初めて列島の本土である日向に地歩を占めた
「歴史的偉業」だとして特記している『天孫降臨』の意義が、
完全にゼロになってしまうからである。
天孫降臨を無価値にする『日本書紀』
天孫降臨を無価値にする『日本書紀』
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