2013年10月11日金曜日

謎の旧官幣大杜・伊弉諾神社の祭神


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録28:25頁

 こうみてくると、

 このミヅハノメ=ミヅチは、

 先に見た箸基(はしばか)伝説の倭迹迹日百襲姫の小蛇や

 「三輪山伝承」群の蛇神、

 その根源である「漲(ハリ)水岳伝説」に結びつき、

 その名から「巴利と水」=海人(ハイト)=隼人、

 海神国→豊玉姫と山幸→竜宮=琉球、

 水の国=水間(みづま)=海人国=種子島、

 さらに丹児(じ)、淡(たん)路、多遅比(たじい)、田尻へと、

 果てしもなく繋がって行く。

 その淡路(あわじ)島に旧官幣大社・伊弉諾神社がある。

 そこに祭られているのは歴代のイザナキの尊のうちの一人、

 現実にこの島を支配した天皇なのか?、

 それとも全部なのか?。

 一天皇だとすれば、その位置から考えて、

 倭・讃岐(オオサザキまたはイサナキ)の尊=仁徳天皇だということになる。

 だが、仁徳天皇の墓は大阪府堺市にある大仙(だいせん)陵で、

 ギゼーのピラミッドよりはるかに大きい世界最大の墓である。

 前方後円墳は須弥山(しゅみせん)をかたどった仏教遺跡だから、

 廃仏棄釈の明治以後は別だが、

 仏教徒の仁徳天皇たちを、神として祭ることは絶対にない。

 『延喜式(えんぎしき)』にも「播磨国五十座」の中になく、

 揖保(いぼ)郡に阿波遅(アハチ)神社があるだけである。

 それはまた奈良時代以後の朝廷は、

 仁徳天皇系人々を忌み嫌って、

 官職にも就けないことが、

 当時の官吏名簿であり紳士録だった

 『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』を詳しく検討すれば、

 明瞭に読み取れる。

 このことからも伊弉諾神社の祭神は仁徳天皇ではない。

 と断言できる。

 謎の旧官幣大杜・伊弉諾神社の祭神

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