2013年10月16日水曜日

天竺とは沖縄と筑紫、種子島が首長国


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録28:30頁

 その地名のいちばん最初の文字も、歴史上重大な答を明記している。

 『古事記』は天竺(テンヂク)の「竺(ヂク)」字を使っているからだ。

 日本神話に多出する「天=沖縄」に続けて書くと、「天竺」になる。

 沖縄と九州とを併せて「天竺」と呼んでいた名残だったのである。

 これはソナカが仏教宣布団と来日して、

 卑弥呼が連邦に君臨していた時代の前後なら、

 別に不思義はないし、

 またそれによって卑弥呼政権崩壊後、

 天(沖縄圏)と筑紫(九州本島)の2政治圏に分裂したことも、

 史実だったことが、容易に理解できるようになる。

 鹿児島語はa(ア)をe(エ)と訛る。

 愛(アイ)がエ、手(タ)がテだから、タンはテンにもなる。

 天竺国はテンジッ国と発音するから、

 田の尻(タンジィ)・丹児(タンジ)ッ国とも同じである。

 種子島はこの沖縄・九州連邦の首都国だったから、

 丹児ッ囲(天竺国)と

 呼ばれていたのだとみれば、

 この小島が倭国・日本、南天皇家政権の母体であった理由も納得がいく。

 中国の『山海経(センガイ)』の、

 後漢初期の版の「海内(かいだい)」の部分に、

 次のような貴重な記事がある。

 「東海之内 北海之隅 有国 名曰 朝鮮天毒 

  其人 水居 

  偎人 愛人」。

 翻訳すると、

 「中国から見て東海、その北部の片隅に朝鮮天毒という国がある。

  海に囲まれた島国に住むその国民は、

  偎(ゥワイ)人、または愛(アイ)人と呼ばれている」

 というのだ。

 天竺とは沖縄と筑紫、種子島が首長国

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