2013年10月10日木曜日
天皇の世襲名だったイサナキの名乗り
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:23頁
履中天皇が『魏書倭人章』の
「伊声耆(イサヌギ)」の後継者だったことが明らかになると、
卑弥呼の父の伊是名王(イジナチ)=イザナキを始め、
卑弥呼時代のイサナギ=伊声耆(イサンギ)=伊佐(イサ)ン王(ギ)、
そしてこの履中天皇の伊耶ナ木=イザナキと、
地域が変わったことで訛りが少しづづ違ってきているが、
本質的には同じ名乗りをもった複数の皇族がいたことが、
間違いないことがわかった。
履中天皇のそれは、どこの地名なのであろうか?。
履中天皇の先代、倭王・讃=仁徳天皇の名乗りがヒントだ。
なぜならその名乗りは先にも見た通り
「大鶺鷯(オオサザキ)・大雀(オオサザキ)」で、
どちらも「オオサザキ」と読んできたが、
オオは阿波(あわ)・淡で、
サザキは讃岐(さぬき)を指していた。
しかしさらに考えを進めると、
オオは倭でもある。
これを代入すると「倭・讃岐」で
倭の古音は「イ」だからイサヌキ。
履中天皇はこの領土にワキ=和泉と紀州を加えたものである。
ここまでわかると、
これらの名乗りは地名の組み合わせが偶然、
よく似たものではなく、
名乗りの方が先にあって、
その王が占領した土地が「イサナキ国」と呼ばれたものが、
後世その歴史がわからなくなって、
地名のほうが先にあって、
それを重ねて名乗りに使ったように見えただけだとわかる。
倭の五王の讃・珍・武という名乗りは、
そのままで首都の移動先を教えてくれるが、
『記・紀』の名乗りの方は、
こんな謎解きが必要だったのである。
天皇の世襲名だったイサナキの名乗り
天皇の世襲名だったイサナキの名乗り
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