2013年10月21日月曜日
この伊耶那美命は木花佐久夜毘売=沙本毘売(サホンひめ)
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録29:5頁
「狭穂姫事件」
この二つの神話の原形だと思わせる歴史事件が、
垂仁天皇と皇后の狭穂姫事件である。
『古事記』では沙本毘売、
これはサホンヒメで、
名乗りに分解するとサとホの姫、
サの国はサ津国=薩摩。
ホの国はホ津国、
神武天皇紀31年に出てくる
秀真(ホツマ)国で=豊玉(ホツマ)=百済(ホヅン)=ホズミ=オスミ=大隅でもあるが、
これは垂仁天皇がまだ卑弥呼政権を倒す前の位宮時代の事件で、
妻の豊玉姫は南海の海神の子だから、
舞台は南の島でなければならない。
『日本書紀』のサホヒメの名乗りは
「狭=タンネ、穂=百済殿(ポセイドン)の略」で
種子島と海神国を指しているから、
こちらのほうがより精密で正確である。
この種子島の王・狭穂彦は、何かの事情から、
妹の皇后に位宮を殺せと命令する。
しかし心優しい姫はとても夫を殺せない。
位宮は妻の涙から事情を知り、
先制攻撃を仕掛けて義兄を討ったが、
板挟みになった皇后は夫との仲はこれまでと、
兄とともに落城の火の中にとびこんで死ぬ。
位宮は事前に救おうとしたが、
皇后はきかず、ただ生まれたばかりの皇子を、
「もし、この皇子を天皇の皇子と思(おぼ)し召すなら、お育て下さい」と
鹿葦津姫=木花佐久夜毘売と同じことをいい、
「火の中で生まれたから‘火(ホ)ん中(ウチ)”別(ビチ)
(=日子(ビチ)=沖縄語・本牟智和気は後世の当て字)と名付けました」と
言い残して死んでいった。
この伊耶那美命は木花佐久夜毘売=沙本毘売(サホンひめ)
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2013年10月20日日曜日
「火と出産・母のない子」の史実を求めて…
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録29:4頁
まず『古事記』から考えてみよう。
「火の神を生んで伊弉冉尊が死ぬ」
『記・紀』には同じ形の
「火と出産・母の無い子」が主題になった事件が連続して出てくる。
また神話と呼ばれてきたものには、、これまでみてきた通り、
モデルになった史実があるものが多い。
その解明が私たちの史実復元の根拠であり業績なのだから、
この「3貴子生み」神話の元の史実はどれなのか究明してみよう。
この伊弉冉尊のモデルとしては、
木花(コノハナ)佐久夜毘売と豊玉姫と狭穂姫の物語りが、
すぐ浮かんでくる。
「木花佐久夜毘売事件」
大山津見の神の娘・木花佐久夜毘売(記)・鹿葦津(カアシ)姫(紀)は
邇邇芸(ニニギ)の命の妻になるが、
一夜で妊娠したので夫が怪しんで「私の子じゃあるまい」と疑う。
妻は「では証拠を見せましょう」といって、戸のない八尋殿を建てて入り、
「出産のとき火をつけて焼く」。
そして燃えさかる火の中から3人の皇子が無事に生まれる。
「豊玉姫事件」
海神の娘・豊玉姫は山幸と結婚して出産の日が近づいたので、
産殿を建てて夫に「出産の様子を見ないように」と禁止する。
だが山幸はその言葉を不思議に思ってソッと覗(のぞ)いてしまう。
すると妻は八尋鰐(ワニ)(記)竜(紀)になっていた。
それを恥じて怒(いか)った妻は、
生まれた子を置いたまま「海坂を塞(せ)きて」去ってしまう。
「火と出産・母のない子」の史実を求めて…
「火と出産・母のない子」の史実を求めて…
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2013年10月19日土曜日
逆転、また逆転の「貴子生み」の実体
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録29:3頁
大学講義録28では、
『日本書紀』の2貴子生みは、
「伊弊諾尊と伊弉冉尊が”共に”日神を生む。
大日霎の貴と號(なづ)く」と
だけ書いてあるので、
単純に見れば、皇祖は「壹與」だ。
とはっきり主張していることになる。
というところまでお話しした。
しかし、その裏には、さらに複雑な真実が隠されている。
今回はまずそれからご説明することにしよう。
それは「大日霎の貴(おおひるめのむち)」とは何を意味する名か?
を追及すると明確な答の出る問題なのである。
お気づきだったと思うが、
天照大神のほうは明かに「神」の字が使ってあって神道の神に見えるから
『古事記』は神道派のように見え、
『日本書紀』の方は大日霎の貴で、
逆に神道ではないように見えるという問題があるのである。
これでは明かに、事実と逆転して見える。
すでに『記・紀』の立場が対立している真相を知っている私たちは、
この理由を追及せずに、放置することはできない。
これは、
旧倭国系の支配者と、
新日本国系の支配者とが、
お互いに相手を強く意識して、
相手の皇祖を自国の皇祖として取り込もうとしたもので、
我が国の宗教界に今も見る「本家はこちら」という争いのように、
自分のほうが本家だという主張、対立を物語るものなのだろうか?。
『記・紀』はこの部分に限らず、こうした視点で再検討してみる必要がある。
逆転、また逆転の「貴子生み」の実体
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2013年10月18日金曜日
シベリヤ、チクシ、ヤナ川、バイカル湖は日本語名
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:32頁
そのチュクチ人が住む中央シベリヤに港湾都市チクシやヤナ川があり、
シベリヤそのものがシバれる、
痺(しび)れる、滑(すべ)る=シベル+土地(ia=ィア)であって、
そこにあるバイカル湖も「バイ(螺)狩る湖」だと前にお話ししたが、
貝を狩るはおかしいという人があったので、
チュクチは筑紫だという話の余白を活かして、
もう少し掘り下げてお話ししておこう。
「カル」は初斯の日本語では
「動植物に関係なく、手に入れることの全てを意味する言葉」だった。
植物を・刈る、動物を・狩る、だけでなく、金を・借る、まで含んでいた。
巻貝の「螺・バイ」も当然、狩る対象だったのである。
ついでにいえばそうした初期日本語では、
買う行為も「カイに行く=貝に行く」だった。
これは金銭経済関係の全ての文字に「貝」の字をつける漢字
(この場合は、正確にいえば「殷字」である)を作りだした殷の人たちに、
沖縄を主要な基地としてその貝貨を供給していたカリエンの人々の言語として、
至極当然なことではあるが、
そのバイカルの名も
その貝の狩猟者・カリエン人の命名であることはいうまでもない。
その筑紫は九州全域を意味する代名詞になり、
筑紫の王は「委奴(イン)国王」の金印を漢からもらった。
カリエン人とは「狩をする殷(燕(エン))人」で、
西シベリヤを横切る「帯」までオビ河であるように、
シベリヤの古代地名ははとんど日本語だと言っていい。
シベリヤ、チクシ、ヤナ川、バイカル湖は日本語名
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2013年10月17日木曜日
卑弥呼の先代の実在と天竺僧とシャーマニズム
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:31頁
当時の中国人がいう朝鮮は今の半島だけの名ではなく、
この朝鮮天毒(てんどく)は島国だというから半島以南の日本列島を指す。
天毒は天竺と同じだから、
九州を天竺と呼んでいたことを客観的に立証している。
しかもその住民は「偎(ゥワイ)人」または「アイ人」と呼ばれていた。
これは「ウワイ=倭」のことで、
愛の名は卑弥呼の名でもある。
時代は卑弥呼以前だから沖縄辺りに
の先代がいたことの「聞き書き」で、
それを伝えた人々もわかっている。
壹與が主役である『竹取物語』は、
「チクシュ=筑紫王」物語だと前にお話ししたように、
筑紫の語源が「竹氏=高(タケ)氏」であることは多くの検証で動かない。
その竺(チク)を名乗る僧が当時、中国本土で布教していたのだ。
中央を離れた辺境へ進んだ僧たちは、
極寒の天地に呑まれてしまったが、
その子孫はチュクチ(竺紫)人。
彼等のシヤーマニズムは、
ここで初めて卑弥呼仏教と結びつくが、
それは口寄せや芦響効果による低級な心理治療で食にありつく、
堕落した残滓でしかない。
だが名前は沙門(シャーマン)と、
その歴史を立証する名称を今なお残している。
我が国でも極寒地域の東北地方に、
有名な青森恐山のイチコなどの末裔を残しているが、
ソナカらがもたらした釋迦の哲学仏教からは余りにも退化が激しく、
そんなものを卑弥呼の『鬼道』だと唱える在来学者の想像力は、
余りにも粗雑で史実を曲げすぎるのである。
卑弥呼の先代の実在と天竺僧とシャーマニズム
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2013年10月16日水曜日
天竺とは沖縄と筑紫、種子島が首長国
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:30頁
その地名のいちばん最初の文字も、歴史上重大な答を明記している。
『古事記』は天竺(テンヂク)の「竺(ヂク)」字を使っているからだ。
日本神話に多出する「天=沖縄」に続けて書くと、「天竺」になる。
沖縄と九州とを併せて「天竺」と呼んでいた名残だったのである。
これはソナカが仏教宣布団と来日して、
卑弥呼が連邦に君臨していた時代の前後なら、
別に不思義はないし、
またそれによって卑弥呼政権崩壊後、
天(沖縄圏)と筑紫(九州本島)の2政治圏に分裂したことも、
史実だったことが、容易に理解できるようになる。
鹿児島語はa(ア)をe(エ)と訛る。
愛(アイ)がエ、手(タ)がテだから、タンはテンにもなる。
天竺国はテンジッ国と発音するから、
田の尻(タンジィ)・丹児(タンジ)ッ国とも同じである。
種子島はこの沖縄・九州連邦の首都国だったから、
丹児ッ囲(天竺国)と
呼ばれていたのだとみれば、
この小島が倭国・日本、南天皇家政権の母体であった理由も納得がいく。
中国の『山海経(センガイ)』の、
後漢初期の版の「海内(かいだい)」の部分に、
次のような貴重な記事がある。
「東海之内 北海之隅 有国 名曰 朝鮮天毒
其人 水居
偎人 愛人」。
翻訳すると、
「中国から見て東海、その北部の片隅に朝鮮天毒という国がある。
海に囲まれた島国に住むその国民は、
偎(ゥワイ)人、または愛(アイ)人と呼ばれている」
というのだ。
天竺とは沖縄と筑紫、種子島が首長国
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2013年10月15日火曜日
天孫降臨を無価値にする『日本書紀』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:29頁
これで、1200年来の謎だった『記・紀』の実体が、
どんなものだったか明確にわかった。
その伊耶邪岐命の黄泉国行きには、まだ多くの史実が隠れている。
ついでに残りの紙面で、その謎解きをしてみよう。
『古事記』と『日本書紀』の記事の、微妙な表現の差が、
どんな価値をもっているか、よくおわかり戴けると思う。
伊弉諾尊が禊をした地点が、
まず『古事記』と『日本書紀』で違っている。
『古事記』 「黄泉国。 竺紫・日向・橘・小門・阿波岐・原
『日本書紀』「黄泉。(一書)筑紫・日向・小戸・橘・檍 ・原
こうして並べてみるとよくわかるように、
『古事記』は「日向の橘」と書き、
『日本書紀』は「日向の小戸」と地名が逆転している。
どちらが本当かという大論争が、
その裏に隠されていることに気づく必要がある。
だが日向へは
天孫「瓊瓊杵(ニニギ)の命」が降臨したのが後だとする、
矛盾している『日本書紀』のほうが間違いである。
日向の橘なら鹿児島県の種子島で、
イサナキの尊が三貴子と居てもおかしくないが、
日向の小戸(ウド)では、
宮崎県の鶉戸(ウド)神宮のある海岸だから、
天孫が初めて列島の本土である日向に地歩を占めた
「歴史的偉業」だとして特記している『天孫降臨』の意義が、
完全にゼロになってしまうからである。
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2013年10月14日月曜日
『日本書紀』『一書』追加は691年8月以降
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:28頁
この顔ぶれから『三輪山伝承』群を『記・紀』に入れたのは誰かもわかる。
その姓氏からみても、
大三輪氏らが持っていた伝承であることは考えるまでもない。
すると持統天皇が、その5年(691年)8月に
『十八氏纂記』を提出させたという記事で、
それが追加された時期が明確にわかるだけでなく、
挿入した本が『日本書紀』だったことも確認できる。
「3貴子生み」は『古事記』には「3貴子生み」だけ、
それは『日本書紀』では、
1つの一書だけ、
生きた伊弉冉尊が2貴子しか生まない話の一書が多数。
これで『古事記』が大三輪氏ら倭王の子孫のもの、
また『日本書紀』の書く日本を全て「倭」と書き改めているので、
「倭人」の史書だったことが、日本と倭との使い分け以外からも、
より詳細より鮮明に確認できる。
『古事記』は天武天皇の作品。
太安萬侶の序文は本物。
『古事記』は『偽書』ではないということとと、
『日本書紀』は持統天皇以後の天智天皇派が、
富本銭(ふほんせん)と同様、
『古事記』と倭国の痕跡を抹殺することに、
神経を集中していた事実の証拠品なのである。
『日本書紀』『一書』追加は691年8月以降
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2013年10月13日日曜日
『十八氏纂記』を提出した人々(倭国出身)の歴史
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:27頁
十八氏の顔ぶれ わかっている関連事項 ※十八氏の出身は「倭国」
大三輪 おおみわ 倭迹迹日百襲姫と 雄略皇后の箸墓などの三輪山伝承
雀部 さざきべ 仁徳天皇の名 大雀
石上 いそのかみ イソンカン イスケンダル 五十狭芹彦 卑弥呼の一族
藤原 ふじわら 百済倭国(フジワラ)
石川 いしかわ 石(ソ)川(ガ)への当て字 蘇我氏 ソナカ
巨勢 こせ 膳部 かしわで
春日 かすが 藤原氏の氏神
上毛野 かみつけの 上州=栃木 都市牛(トチギ)利 卑弥呼の一族
大伴 おおとも 仲哀天皇の大夫・大伴武以の子孫 発音は「大倭(ウハン)の」
紀伊ノ き 倭の五王の一人、倭王・珍の名乗り(キノは沖縄語でチヌ・チン)
平群 へぐり 羽田氏の名。仁徳天皇の一族
阿部 あべ 『隋書』の宇和島時代の天皇・阿毎(アメ=南九州、アベ=沖縄発音)
佐伯 さへき 「載斯烏越=太子淤斯呂(オシロ)=景行天皇」の皇子・倭建命の子孫
采女 うねめ 倭国時代の推古~舒明天皇の重臣
穂積 ほづみ 百済の読み変えへの当て字
阿曇 あづみ 景行天皇の臣・阿曇連百足の子孫
『十八氏纂記』を提出した人々(倭国出身)の歴史
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『一書』の証言『日本書紀』は天武製ではない
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こうして事実が明らかになると、
天武天皇が唐向けの威嚇用歴史書として企画したものと、
今みる『日本書紀』との間にはかなりの違いがあることが見えてくる。
なぜなら天武天皇は「唐向け」に編集させたはずなのに、
そこには多数の『一書』が入っている。
唐向けなら、その歴史の内容はあいまいでなく、
しっかりした権威のあるものにしなければならないから、
確固とした一つの記事だけを書いた
「決定的な史書」にすることが至上命令なのである。
それなのに現実の『日本書紀』には多数の『一書』が並べられていて、
「どれが本当だか、わからない」という実に頼りないものになっている。
現在残っている『日本書紀』は天武天皇が編纂させたものではない。
しかしその内容は、神話部分以外には『一書』はなく、天武企画に合っている。
これは誰かが、もとの本に手をいれて、
編集し直させたものであることは疑いない。
一体?誰が?そんなことを、いっ?したのであろうか…。
その答は明瞭に記録に残っている。
持統天皇5年8月に大三輪(おおみわ)ら十八氏に、
彼等が先祖代々伝えてきた家伝の古記録、
いま私たちが
『十八氏纂記(つぎぶみ)』と呼んでいるものを提出させたという
『日本書紀』の記事によって、
それらが天武天皇の死後に持続天皇の勅命によって、
『日本書紀』の神話部分に、
『一書』として追加編集された真相がわかるのである。
『一書』の証言『日本書紀』は天武製ではない
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謎の旧官幣大杜・伊弉諾神社の祭神
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こうみてくると、
このミヅハノメ=ミヅチは、
先に見た箸基(はしばか)伝説の倭迹迹日百襲姫の小蛇や
「三輪山伝承」群の蛇神、
その根源である「漲(ハリ)水岳伝説」に結びつき、
その名から「巴利と水」=海人(ハイト)=隼人、
海神国→豊玉姫と山幸→竜宮=琉球、
水の国=水間(みづま)=海人国=種子島、
さらに丹児(じ)、淡(たん)路、多遅比(たじい)、田尻へと、
果てしもなく繋がって行く。
その淡路(あわじ)島に旧官幣大社・伊弉諾神社がある。
そこに祭られているのは歴代のイザナキの尊のうちの一人、
現実にこの島を支配した天皇なのか?、
それとも全部なのか?。
一天皇だとすれば、その位置から考えて、
倭・讃岐(オオサザキまたはイサナキ)の尊=仁徳天皇だということになる。
だが、仁徳天皇の墓は大阪府堺市にある大仙(だいせん)陵で、
ギゼーのピラミッドよりはるかに大きい世界最大の墓である。
前方後円墳は須弥山(しゅみせん)をかたどった仏教遺跡だから、
廃仏棄釈の明治以後は別だが、
仏教徒の仁徳天皇たちを、神として祭ることは絶対にない。
『延喜式(えんぎしき)』にも「播磨国五十座」の中になく、
揖保(いぼ)郡に阿波遅(アハチ)神社があるだけである。
それはまた奈良時代以後の朝廷は、
仁徳天皇系人々を忌み嫌って、
官職にも就けないことが、
当時の官吏名簿であり紳士録だった
『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』を詳しく検討すれば、
明瞭に読み取れる。
このことからも伊弉諾神社の祭神は仁徳天皇ではない。
と断言できる。
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2013年10月10日木曜日
古代人の「ミヅハノメの神」観
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:24頁
『古事記』の筆者は、
ギリシャ神話をよく知っていたから、
それを現実の歴史に重ねて、
うまく神話化して後世に残した。
それは永く解明されることなく真相は闇に埋もれていたが、
今ようやく光の中に姿をあらわした。
それがこの講義録によって、
世界の史学者にさきがけた御教養になったことは、
たゆまぬご精進の成果であって、
御同慶の至りに存じている。
では本題に戻って、
ミヅハノメ、イヅノメが、
どういう意味をもっていたか?みてみよう。
ミヅハノメは尿から生まれる。
尿は古代人にとっては「水+?何か」であった。
その何かとは、
当時の人々の経済基盤が農耕だったことを考えると、
尿は貴重な肥料であって、
現在の私たちがもっている価値観とは正反対に、
植物に生命を与え、穀物を実らせ、
私たちの生命を守る「神=生命の源」だったのである。
「尿に成る神」をオカシく感じる人は、
私たちが古代史を検討していることを、
無意識のうちに忘れているのだと、気付く必要がある。
古代人はまた、それと精液の区別がつかなかったから、
それが母の体内に入れば人間の子供になるが、
野原では何になるか?
と思いめぐらせたとき、
考えられたのは蛇である。
その姿や動きが流れる水に似ているだけでなく、
水中には
その仲間のウナギやドジョウやアナゴ、ハモや太刀魚、海蛇がいる。
蛇や竜の仲間が水神とされたのは当然のことだったのである。
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天皇の世襲名だったイサナキの名乗り
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:23頁
履中天皇が『魏書倭人章』の
「伊声耆(イサヌギ)」の後継者だったことが明らかになると、
卑弥呼の父の伊是名王(イジナチ)=イザナキを始め、
卑弥呼時代のイサナギ=伊声耆(イサンギ)=伊佐(イサ)ン王(ギ)、
そしてこの履中天皇の伊耶ナ木=イザナキと、
地域が変わったことで訛りが少しづづ違ってきているが、
本質的には同じ名乗りをもった複数の皇族がいたことが、
間違いないことがわかった。
履中天皇のそれは、どこの地名なのであろうか?。
履中天皇の先代、倭王・讃=仁徳天皇の名乗りがヒントだ。
なぜならその名乗りは先にも見た通り
「大鶺鷯(オオサザキ)・大雀(オオサザキ)」で、
どちらも「オオサザキ」と読んできたが、
オオは阿波(あわ)・淡で、
サザキは讃岐(さぬき)を指していた。
しかしさらに考えを進めると、
オオは倭でもある。
これを代入すると「倭・讃岐」で
倭の古音は「イ」だからイサヌキ。
履中天皇はこの領土にワキ=和泉と紀州を加えたものである。
ここまでわかると、
これらの名乗りは地名の組み合わせが偶然、
よく似たものではなく、
名乗りの方が先にあって、
その王が占領した土地が「イサナキ国」と呼ばれたものが、
後世その歴史がわからなくなって、
地名のほうが先にあって、
それを重ねて名乗りに使ったように見えただけだとわかる。
倭の五王の讃・珍・武という名乗りは、
そのままで首都の移動先を教えてくれるが、
『記・紀』の名乗りの方は、
こんな謎解きが必要だったのである。
天皇の世襲名だったイサナキの名乗り
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2013年10月8日火曜日
さらに解けた『古事記』編纂への疑問
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:21頁
アフロディテは海で生まれたからすぐわかるようにポセイドン一族である。
ポセイドンは、
日本では、履中天皇の時代には百済和泉(ホセイドン)である。
この名乗りは履中天阜=倭王・珍を指している。
とすればアフロディテは履中天皇の皇女である。
皇女は二人で姉が「青海皇女」妹が「中磯産女」と、
どちらも海に縁のある名である。
このうち「青海」は発音が「アフミ」
後世に天皇の漢風諡号(おくりな)をつけた
「淡海(あふみ)の三船(みふね)」の姓も「アフミ」だから、
「青海皇女」とは当て字がいろいろあった中のひとつで、
意味は「淡の女王(ミ)、阿波の女王(ミ)、泡の女王(ミ)」ということになる。
現実には「アフロディテ姫」と呼ばれていた可能性もある。
これで『古事記』が、なぜ?、
沫那芸(アワナキ)、沫那美(アワナミ)の神を書いているのか、
その目的がわかる。
彼等は単なる自然神ではなく、
本当は現実に倭国を支配していた皇族たちだったのである。
しかし倭国を滅ぼした日本国政権は、
旧倭国の皇族たちを祭らない。
『古事記』はその人々を「神」として「国生み、神生み」の中へ、
そろりと仮名で挿しこんだのである。
それも本来は倭国は聖徳太子でわかるように仏教徒だから、
「戒名(かいみょう)」でなければいけないのだが、
それでは神道の日本国政権に抹殺されるから、
わざわざ「神」として神話形式で挿入したのだ。
『古事記』とは何のための本だったか、
これで一層深く疑いなくわかった。
さらに解けた『古事記』編纂への疑問
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2013年10月7日月曜日
さらに解けた『古事記』編纂への疑問
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:21頁
アフロディテは海で生まれたからすぐわかるようにポセイドン一族である。
ポセイドンは、
日本では、履中天皇の時代には百済和泉(ホセイドン)である。
この名乗りは履中天阜=倭王・珍を指している。
とすればアフロディテは履中天皇の皇女である。
皇女は二人で姉が「青海皇女」妹が「中磯産女」と、
どちらも海に縁のある名である。
このうち「青海」は発音が「アフミ」
後世に天皇の漢風諡号(おくりな)をつけた
「淡海(あふみ)の三船(みふね)」の姓も「アフミ」だから、
「青海皇女」とは当て字がいろいろあった中のひとつで、
意味は「淡の女王(ミ)、阿波の女王(ミ)、泡の女王(ミ)」ということになる。
現実には「アフロディテ姫」と呼ばれていた可能性もある。
これで『古事記』が、なぜ?、
沫那芸(アワナキ)、沫那美(アワナミ)の神を書いているのか、
その目的がわかる。
彼等は単なる自然神ではなく、
本当は現実に倭国を支配していた皇族たちだったのである。
しかし倭国を滅ぼした日本国政権は、
旧倭国の皇族たちを祭らない。
『古事記』はその人々を「神」として「国生み、神生み」の中へ、
そろりと仮名で挿しこんだのである。
それも本来は倭国は聖徳太子でわかるように仏教徒だから、
「戒名(かいみょう)」でなければいけないのだが、
それでは神道の日本国政権に抹殺されるから、
わざわざ「神」として神話形式で挿入したのだ。
『古事記』とは何のための本だったか、
これで一層深く疑いなくわかった。
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2013年10月6日日曜日
アフロディテ(ヴィーナス)は日本語?!
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:20頁
ギリシャの神が語源だということに、まだご納得のいかない方のために、
もう一つ実例をあげておこう。
『古事記』は国生みのあと、さらに生まれた神々をあげているが、
その中に海の神、港の神を生んだ後、
「河や海によって持ち分けて生む神の名」として、
沫那芸(アワナキ)の神(アワナキの神)と
沫那美の神(アワナミの神)をあげている。
沫は泡のことである。
ギリシャ神話には有名な
アフロディテ Αφροδιτε(英語名・ヴィーナス)があるが、
この名は「泡から出た」という意味である。
この発音を分解してみると
「アフAphw→アフヮ」ro→ロ」「dite→ディテ」で、
沖縄語の「泡=アフヮ」「出て=ディテ」に非常に近い。
中間の「ロ」は沖縄語にはないO音をAに替えると「ラ」。
「アフヮカラ ディテ=泡から出て」と「カ」1音だ少ないだけである。
またビールなどの発泡酒の栓を抜くと、泡が溢(あふ)れ出る。
アフロディテは「溢(あふ)れ出て」という日本語により近い。
語源だといってもいい。
これは大量の日本語とギリシャ語の共通語が実在するから、
「よく似ている」のではなくて「もとは同じ言葉」である。
沫那芸(アワナキ)の神(アワナキの神)と
沫那美の神(アワナミの神)は
「アワの王(キ)と女王(ミ)」で、
アフロディテとその夫の夫妻の神を指すと同時に、
阿波・淡の支配者夫妻という意味もあるのである。
アフロディテ(ヴィーナス)は日本語?!
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2013年10月5日土曜日
間違いなくイザナミの命だったエウリュノメ
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:19頁
お気づきの通り、
この女神の名に「の女(ノメ)」がついている。
これは他人のソラ似だろうか?。
エウリュノメを沖縄語発音で読むと、
エはイ、ウはウ、リュはヅ、ノはヌ、メはミになる。
「イゥヅヌミ」。
ゥが多いが「イザナミ」の沖縄発音に非常に近い。
そして『古事記』は、
伊耶邪岐命が禊祓=ミソギ=水浴びして身を清めた時、
「伊豆能売=イヅノメ」という女神が生まれたと書いているが、
この女神の名にも「ノメ」がついているだけでなく、
「イゥヅヌミ」のゥを取ればイヅヌミだから「イヅノメ」。
伊豆能売がこれへの当て字であることは疑いない。
この二つの神名は、疑いなくギリシャ神話からきたもので、
沖縄語のイヅヌミが大隅語で訛って
イザナミという名になったのである。
それが伊豆能売などに分裂して、
別の神のような姿でちりばめられているが、
それはこちらに来てから混乱したものであることは、
すべてイザナミのミコト関連の部分にだけ、
その名が入っていることでよくわかる。
ではそれは
『日本書紀』の「罔象女(もうしょう じょ)」、
『古事記』 の「弥都波能売(ミヅハのめ)」
とはどんな関係にあるのだろう?。
ギリシャ神話のエウリュノメは月の女神だから「海の支配者」だ。
海人国は水の国(マ)で水間(マ)。
ミヅマは沖縄語「ミヅバ」だから、
「水葉ノメ」→「弥都波能売」と書かれたのである。
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2013年10月4日金曜日
古代ギリシャの宇宙開闢と太陽・月などの貴子生み
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:18頁
「はじめは宇宙には何もなかった。
しかしその”無”が動きはじめ、
やがて暗黒の嵐とでもいうべき激しい動きになり、
いっか形をもって宇宙の蛇・オピオンになった。
といっても何も見えるものがなかったので、
彼には眼がなかった。
だが彼はカオス(混沌)の中を、
何かを求めて這い回る情熱を次第に高めていった。
その情熱は嵐のように激しく、猟犬のように群れて、
ますます速度をまし、
帯びた熱気はついにカオスに火をつけ、
大爆発が起こった。
この激しく爆発した火炎から、
びっくりした”光”が飛び出して、
女神・エウリュノメになった。
彼女は激しく旋舞(ワルツ)を踊りながら”無”の境界を進み、
風を起こしたので、
その風がオピオンに、とぐろを巻かせた。
彼がとぐろを縮めて行くと、
エウリュノメは白い鳥に姿を、変え、空間に巣を作って
銀の卵を生んだ。
それが太陽と月と星と全ての生物になったのだ。
エウリュノメは「遠くさ迷うもの」、
オピオンは「月の蛇」という意味であるから、
古代ギリシャ人の一部の人びとは
彼女を『万物の母・月の女神』」
として信仰していたのである。
我が国の伊弉冉尊が国々島々を生み、
大日霎の貴と月読の尊たちを生み、
山川草木を生んだというのと全く同じである。
この二つの神話は無関係なのだろうか?。
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