2015年8月8日土曜日

対馬

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪アズミ族の正体≫対馬

 「カツ」kit:県

  上縣郡「カンツアカタノ」「カムツコホリ」

  下縣郡「シモアカタノ」

  県・縣「アカタ」 ia-ka-tu [石-門-入口]、

          na-ka-tu [石-門-入口]と同義

  ※この「県」を国郡制に係わる「県:あがた」(県主:あがたぬし)の

   「アガタ」とする見解が一般的。

 但し、「縣・県」はまた「カタ」と訓まれる。

  「延喜式」民部 河内国 大縣郡「ヲホアカタ」

  「延喜式」神名帳 河内国 大縣郡「オホカタノ」

  「カタ」kit〔葦のむしろ(マット)〕

  ※対馬嶋全域においての地名には「アカタ」より「カタ」の方が

   多くみられ、「県・縣」は"kit"に由来していることを示している。

   上県郡上対馬町 河内:こうち、琴:こと、比田勝:ひた

   下県郡豊玉町 和板:かいた、加藤:かとう

      厳原町 久田:くた

      美津島町 鶏知:ケチ

    〇特に鶏知は雞知、慶知、介智、介地、介知、桂地とも書かれ、

     「ケチ」の中心的役割をなしている。
      
   上県郡峰町賀佐:かさ 「海東諸国紀」に仇知只浦、仇知「キチ」kit

 対馬の海神を祭る神社

 〇「延喜式」神名帳 對馬嶋

  上縣郡 和多都美神社:名神大 (現)峰町佐賀

      和多都美御子神社:名神大「ミコ」 (現)峰町木崎海神神社

      胡禄神社「コロク」 (現)上対馬町琴 

       ※「胡禄」対馬方言で「シコ」という。

      胡禄御子神社「コロクノ」 (現)上対馬町琴 

  下縣郡 和多都美神社:名神大「ワタツミノ」 (現)豊玉町仁井字和宮

       (祭神)彦火火出見尊、豊玉姫命

      和多都美神社「ワタツミノ」 (現)

      敷嶋神社「シキシマノ」

 〇現在の海神を祭る神社(全国神社名鑑)

  上縣郡 海神神社(峰町木崎<坂>、わだずみ神社)

       (祭神)豊玉姫命、彦瀲武鸕鷀草葺不合尊、彦火火出見尊、

          宗像神道主貴神

      和多都美神社(峰町佐賀)

      志古島神社(上対馬町泉)

      胡簶神社(上対馬町琴)

      胡簶御子神社(上対馬町琴)

  下縣郡 豊和多都美神社(厳原町椎根)

      乙和多都美神社(厳原町久知)

      大吉戸神社(美津島町黒瀬)

      和多都美神社(美津島町根詰)

      海祇神社(豊玉町仁井)宇和宮 

       (祭神)彦火火出見尊、豊玉姫命

      和多都美神社(豊玉町仁井)

      志古島神社(豊玉町和坂)

      胡簶島神社(美津島町鴨居瀬)

  ※志古島、志古嶋、胡簶島は「シコ-島」にて「志賀島」と係わる。

   胡禄、胡簶は「やな」で竹や葦で編んだ

   魚などを捕るための容器で、これを対馬では「シコ」とぃう。

   「敷嶋」名も同類で「シコ、シカ」 に同じ。

   Sug、suku 〔神域〕。つまり、ここは「神聖な嶋」の語義となる。

  ※「シコ」胡禄・胡簶

  "やなぐひ"矢を入れ背に負う道具=矢籠・尻籠

  "しこ"胡簶・箙(えびら)の別名

 豊玉「トヨタマ」(対馬・長崎県下県郡豊玉町)

  (Sk.)toya-dhāman 海の住者・海神=toya-dhāma toya[海、海の]

     dhāman-dhāma[超人的存在] 

     dhāman 住居、(神々の) 領土、法律、規則、習慣

     dyu-dhāman 天上の住者、神=dyu-dhāma

  ※「トヨタマ」はサンスクリット語による「海神」の語義で

   「ワタツミ」と同義にして 

   また、豊玉姫・綿津見神は同神とすることができる。

 和多都見神社:長崎県下県郡豊玉町仁井字和宮(かづみや)

  (祭神)彦火火出見尊、豊玉姫命

  「延喜式」神名帳 對馬嶋 下縣郡 和多都見神社:名神大「ワタツミノ」

  社伝(由緒書<日本の神々・神社と聖地・一九州>)

   当社は海宮も古跡なり、

   上古海神豊玉彦命此の地に宮殿を造り玉ひ、

   御子に一男二女ありて、一男を穂高見命と申し、

   二女を豊玉姫命・玉依姫命と申す。

   或時、

   彦火火出見命失せし鉤を得んと上国より下り玉ひ、

   此の海宮に存す事三年にして、

   終に豊玉姫を娶り配偶とし玉ふ。

   良有て鉤を得、又上国に還り玉ふが故に、

   宮殿に配偶の二神を斎き奉りて和多都美神社と号す。

   又社殿を距る凡二十歩にして

   豊玉姫の山陵及び豊玉彦の墳墓あり。

   寛文年中洪浪の為に神殿悉く流れて

   神体のみ渚に寄り来れるが

   故に、住吉の棟札なく勧請年月不祥。

 「全国神社名鑑」

  上代の海宮とは対馬をいい、当社はその海宮の神跡である。

  延喜式神名帳所載の和多都美名神大は当社のことである。

  清和天皇貞観元年従五位上に、

  ついで永徳元年従一位に進階した。

  社頭に山陵があり、

  社殿は海上に浮かんで綿津美の宮の観がある。

 和宮「カズの宮」=和多:kit〔葦のむしろ(マット)〕

 仁井「ニイ」 

  na-ia [岩-石]:磯良エベス<社前の渚にある聖なる霊石> 

 海神神社(峰町木坂<わだずみ神社>)祭神 彦瀲武鸕鷀草葺不合尊

  瀲武「ナギサ-タケ」 瀲=渚、

   「タケ」 du₆-ku₃〔岡(塚)-聖なる:塚〕

  ※これは「磯良エベス」を指す。

  長岡冢 「ナガ」 na-gal 〔岩-大きい(長い)〕 

  「ナガ岡」〔大きい岩(石)の岡〕

 磯良「イソラ」「イソ」: esi 閃緑岩

  (日本語)"いし"「ラ」:la 鱗(うろこ)>「イソラ」魚鱗の石

  エビス ap-su 海、地水 

 ◎「イソラエビス」海の鱗石

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