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出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
≪アズミ族の正体≫志賀島・志賀海神社
志賀島・志賀海神社
「延喜式」神名帳:筑前国糟屋郡
志加海神社三座【並名神大】「ウミノ」
(現)「全国神社名鑑」志賀海神社(お志賀さま)「しかうみ」
福岡県福岡市東区志賀島勝山577
祭神 底津綿津見神、表津綿津見神、仲津綿津見神
古事記上巻に伊邪那岐命が
筑紫日向の橘の小戸の阿波岐原で禊払いされたとき、
降臨された神が祭神の綿津見三神である。
延喜式神名帳下に、
筑前糟屋郡志賀海神社三座「並名神大」とある。
創建は不詳であるが、
景行天皇12年に、是時禱神は則志賀神とみえているので、
その当時すでに鎮座されたことを示している。
万葉集に
「千早振る鐘の岬を過ぎぬともわれは忘れじ志賀の皇神」
と詠まれている。
また神功皇后が征韓の際には、この三神が船を守り、
海上の風波をしずめるなど特別の神功があった。
宮司 阿曇磯興、権禰宜 阿曇磯和
「シカウミ」 zikum 天空:【□の中に米】:engur 深海、水深
【シカミ】
(Heb.)תִֻכֻמ,THVM,tuikum 地中の深い所、地下水、深淵
※「阿曇語」としては「シカウミ」は
「深海」「深淵」として用いられてもいる。
「筑前国続風土記」
此志賀の御神も住吉大神と同時に伊弉諾尊、
檍が原にて祓除したまひし時、化生の神にして、
底津少童命、中津少童命、表津少童命の三神なり。
此三神は三所に跡を垂給ふ。
底津少童命は則今の志賀の町の北なる本社也。
※中津少童命は志賀島の西北勝馬と云う所の濱、
勝馬明神の社より南に、
小なる山ありて、中津明神と云う社あり、是也。
表津少童命は中津明神の社より北一町余に、
勝馬明神の社あり、是也。
此三神は阿曇連等が斎祭る神なりと、
日本紀神代上巻にしるせり。
※社は志賀の里より北の方なる山のふもとの高き所にあり。
石階をのぼりゆく。
宮所東の方海に臨める高岸にて、其下は則海なり。
中殿底津少童命、古殿神功皇后、左殿表津少童命。
神殿の背なる山を勝山といふ。
是は、皇后三韓より帰らせたまふ時、
此島に至り、
異国に打勝つたまふ事を悦ひし故に名つくと云う。
御笠山、衣笠山とて、勝山のつつきにあり。
「志賀島 志賀明神祠」
※志賀島全体に聖所が配されている。
志賀島の「シカ」sug、suku 神域
「志賀島」は「神域の島」
勝山 「カツ」kit 葦のむしろ(マット)
【船の帆として用いられた】
御笠山「ミカサ」 ma₂-kit
「船―葦のむしろ」【葦のむしろで作った船】
衣笠山「エ(イ)カサ」 e-kit「家(屋)―葦のむしろ」
【葦のむしろで作った家、ここでは葦のむしろで作った屋船】
勝馬(古事記神代に「勝間」とある)「カツマ」kit-ma
「葦のむしろ―船」で「葦船」を表す。
阿曇「安曇」「アズミ」 eš-ma₂「家(屋)―船」:屋船
船を住み処として生活している人々の船
「延喜式」祝詞・大殿祭
瑞の御殿【古語にあうかといふ】汐屋船の命に奇し護言を
手らけく安らけく護りまつる神の御名を曰さく、
屋船くくちの命【こは木の霊なり】、
屋船豊うけ姫の命と~。
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