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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
≪アズミ族の正体≫角と「メ」信仰
シュメル語における角を表す用語は si であることは
すでに紹介した。
この si の発音はどちらかというと
qi に近かっただろうと思われる。
si を含む王子を表す patesi は
si を含む王子を表す patesi は
サンスクリット語の同義 pataka と同根語とみられるが、
ここでは ka と表音されている。
si と表記される角は
khald の語頭の残存であると判断できるのである。
サンスクリット語には
arāda という「長い角のある」を意味する用語が、
あるいは「登ること」に係わる ārudha ないし ārudhi
という用語があり、
アッカド語の aradu (降りる) に対応する。
これらは都市名エリドゥ Eridu 関係すると思われ、
Eridu は khald の二千年を経た後の転訛である可能性もある。
角 khald が階段 galam を象徴していただろうことは
すでに推察した。
王子を表すシュメル語には patesi のほかに nun がある。
『シュメルの王名表』の冒頭に表れる
「王権が天下から下った時エリドゥに王朝が成立した」の
エリドゥの都市名である
ヌンキ nunki は「角の王子」の市と解釈することもできる。
そうすると、
patesi の同義語とされる ensi は
「地方長官」の意味もあるが、
エリドゥの都市であることになり、
エリドゥ市の守護神ということにもなる。
Enki であることになり、
エリドゥ市の守護神ということになる。
En は長官とともに「主」を表すので「角の主」となる。
これまでエンキ神について、
その神話から「地の主」との理解が一般化しているが、
ジャン・ボデロが「メソポタミア」の中で
「その正確な意味は確かめられていない」
と述べるよう
「地の主」と解釈するだけでは十分でないのである。
参照のために角を意味する
ペルシャ語は shākh 、
バローチー語は hānt 、
スィンディ語では siñu
であることを付け加えておきたい。
また、
ギリシャ語の έρδω は「犠牲を献げる」を、
άρδωは「灌水(家畜に)水を飼う」を意味する。
角を表す si の絵文字※の形象がエリドゥ遺跡から
発見された釘状の土器と関係あるだろうことを先に述べた。
この丁字形の角を模したと思われる楔形文字が
シュメル語 me の礎でもあろう。
「メ me 」は「信託、天測、律法、摂理」を意味するが、
重要事項は神話においてそれが原初的に
エンキ神の持ち物であったことである。
粘土で焼成された角状の si は
エンキ神の象徴であったと解釈できる。
さらに、
me は「高み」を意味する mah と発音が近似しており、
e-mah 寺院の「高み」から抽象化されたと考えられる。
高床式神殿の概念が踏襲されているようなにみられるのである。
si は角を意味するとともに「眼」としても使われた。
シュメル語の「眼」を表す楔形文字は※で me の同類である。
※は igi と読まれるが、この用語は興味深い。
目を意味する
ドイツ語は Auge 、
英語は eye であるが、
それぞれ「自己」を表す一人称主語となり、
Ich(ドイツ語)、
I(英語)へと転換され、
「自己の、わたしの」を表す所有格は
my(英語)、
mein(ドイツ語)、
目的格「自己を、わたしを」は
目的格「自己を、わたしを」は
me(英語)、
mich(ドイツ語)となり、
目は自己を表す用語と直接的な関係を持っている。
バローチ語では一人称単数の主語
「わたし」は man で、
一人称複数「我々」は mā で
所有格が may となる。
また、
グルジア語の一人称単数の「わたし」は me で
複数「我々」はスバルと関係するが tschven である。
シュメル語の me も指示動詞「ある」の意味で使われているが、
また me は「眼」であるとの解釈も成り立ってくる。
日本語での「眼」の訓読は「メ」であり、
また死語になっているが「マツ」と呼ばれた。
睫は「マツゲ」つまり「眼の毛」で眼は「マツ」である。
この me 及び mat は日本語だけに特異な用法ではない。
サンスクリット語に mat 、
ギリシャ語に mati とあるばかりでなく、
中本正智が『日本語の系譜』で
その調査を発表しているように
ヨーロッパ、アジアに広がっている。
Me は「眼」を表すばかりではない。
日本語で
「台風の目」といわれるように
「その中心」を意味するが、
「その中心」を意味するが、
英独語の例にみられるとおり、
「自己・主体」に係わる用語である。
インド・ヨーロッパ語圏において
「自己・主体」を表す用語は「スバル」に係わる。
「スワ sva ・ スヴェ swe 」である。
例を挙げると、インドの十九世紀植民地からの独立運動を
スワデシュ Svadesh 運動、
現在のアフリカ南部にある国名 スワジ Swazi 、
スイス Swiss の国名から スラブ Slav の民族名まで、
さらに日本の諏訪から太平洋の ハワイ Hawai まで関係する。
スバルは十字紋、卍字紋が起源であることはすでにみたが、
十字紋の交差点、卍字紋の中心を me というのである。
北メソポタミアからスバル人とも呼ばれたカルト人が
南メソポタミアへ持ち込んだ
高床式神殿の象徴「牛頭」は
エリドゥの神殿における信仰の歴史のなかで、
「 me 」に変身したのである。
この me の信仰を最も盛大に行ったのが
スバル人たちと思われる証拠が」ある。
スバル人の土地を流れている大河はティグリス河で、
ギリシャ人が虎の意味で付名したものであること、
またその名が Dicle 河であることを述べたが、
この ディクル は虎を意味していない。
円いもの、敷衍されて、眼ないし瞼を表す。
シュメル語によるティグリス河の呼称は idigna である。
これまでアラビア語による解釈によって
「急流の河」などと解釈されてきたが、
「眼の河」と考えられるのである。
シュメル語で id は川を、
igna は igi-na の短略語で「眼の」を意味すると解釈できる。
ハブール川がトルコ国境から多くの支流を集めるながら
西流し、
西方から流れ来るシャブール川と合流して
南流する地点の少々東に
テル・ブラク Tel-Blak 遺跡がある。
遺跡名は現代名であるが、
Blak はアルパチア遺跡の碗形土器の垂幕に推察した
brag に係わる聖所の呼称であろう。
この遺跡の紀元前四千年紀の神殿から
「眼の偶像」と呼ばれる石に彫られたか焼成粘土で作られた
高さ二から十一センチメートルの奇妙な像が
三百体も数千個の破片とともに発見された。
この神殿跡にはこのような偶像が
二万個は埋まっていると推測されている。
同様の像は同時期の遺跡、例えば
シンジャール山脈のグライ・レシュ遺跡などからも
発見されており、
奉納のためのシンボルと考えられている。
エリドゥ神殿の丁字形粘土焼成品と同じ役目である。
偶像の形象は「二つの眼」と思われる造形が強調され、
人間の上半身から腕や手・頭の部分は元より
鼻や口耳などを除いた、
時には台の上にドーナツ状の輪を二つ造形しただけの
像さえある。
神殿の内部には十字形の中央広間が組み込まれていた。
規模は百十ヘクタールの広さがあり、
ウルク後期に当たる南メソポタミアの
ウルクの市の神殿と同等の大きさで
内部装飾も壁画を石製の円花飾りと
テラコッタのコーンで構成したモザイク、
祭壇には色石で継ぎ合わせた帯状装飾と
金の帯が組み込まれているなど、
ウルクの市の神殿に匹敵するものであったことが知られる。
テル・ブラクのある地籍はスバルトゥの重要な地域で、
スバル人によって創建されたと十分考えられる。
これは、紀元前四千年紀から紀元前三千年紀にかけて
後期ウバイド期文化が北メソポタミアへ影響した結果である。
その文化的特性は煉瓦による神殿造営を第一の要素とする。
Me の信仰が北上し、信仰の象徴として
「眼の偶像」の神殿が作られたのである。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
牛頭を象った神社建築の棟飾部
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ