2014年5月8日木曜日
阿曇・安曇(6)筑紫と奴国-2
『Yahoo!天気・災害』
『Matのジオログ』
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
阿曇・安曇(6)筑紫と奴国-2
常松:つねまつ(筑紫野市)恒松とも書く。
[中世]恒松 戦国期にみえる地名、筑前国御三笠郡のうち、
文明10年10月15日「正任記」三笠郡恒松七町五段地。
上古賀:かみこが(筑紫野市)上空閑とも書く。
空閑は古くは荒地を意味するので、地名は荒地を開発したことに因み、
後、好字の古賀を当てたものか。
[中世]上空閑 戦国期にみえる地名。
文明11年11月19日の少弐政資安堵状に
「三笠郡上空閑八拾町」 とみえ、筑紫満門に安堵している。
原田:はるだ(筑紫野市)昭和24年に国史跡に指定された
装飾古墳の吾郎山古墳を始め遺跡が多い。
[中世]原田村、戦国期にみえる村名。
「万葉歌」
天平元年(728年)前後の太宰師で万葉歌人でもある大伴旅人は
次田(すぎた)温泉に宿し、
「湯の原に鳴く葦鶴は吾ごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く」と詠んだ。
この次田温泉は藤原登羅麿(虎丸長者)の発見と伝え、
二日市温泉として現在に至っている。
また、彼が発願した寺は武蔵国から来た僧が完成させたので、
武蔵(むぞう)寺と号したというが蘇我日向の建立で、
寺号は彼の号に因むとする異伝もある。
古賀:こが(筑紫野市)
地名は荒地を意味する空閑(こが)に由来にするが、
山の口遺跡、扇祇古墳、古賀古墳がある。
また、虎丸長者宅跡があった(続風土記拾遺)。
[近世]古賀村 江戸期~明治22年の村名。
古くは井手古賀村といい(慶長国図絵)、
「元禄郷帳」にも「古くは井手古賀村」と注記されている。
天正年間の「指出前之帳」では武蔵村井手古賀村となっているが、
分かれて井手古賀村となり、
その後古賀村と称するようになったという(続風土記拾遺)。
「古賀」把木町、水巻町、柳川市、太宰府市(通古賀)、遠賀町(今古賀)、
甘木市、朝倉町(古毛)、久留米市(原古賀)、大木町(絵下古賀)、
三橋町(今古賀)
※但し、古賀市の場合は(Sk.),כהַגַ,khaga, 小鳥
<佐賀県>佐賀市、鳥栖市、多久市(古賀ノ宿)、有明町、
牛津町、厳原町、浜北町(五ヶ山組)
<熊本県>植木町(古閑)、岱明町(古閑)、富合町(古閑)、
砥用町(古閑)、益城町(古閑)、八代市(古閑)、
山鹿市(古閑)、熊本市(子養<養郷>)、千丁町(古閑出)、
一の宮町(古閑の滝、久家村:こがむら/古閑之村)、
水俣市(古賀町)、甲佐町(古閑村)、泗水町(古閑村)、
北部町(古閑村)、鹿央町((古閑原村)、菊池市(虎口:こく)
<長崎県>長崎市(古賀)、諫早市(小ヶ倉)、大村市(古賀島町)、
国見町(古賀村)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿