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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
阿曇・安曇(20)地名「アルパチャ」:Arpachiya
これまで説明の対象にしてきた碗形土器を出土した
アルパチャ遺跡からは、その他にも牛頭意匠をあしらった
鉢形土器などの彩色土器類が発見されていることは先に説明した。
これらの土器類は外から輸入されたものでなく、
この域内で焼成されたものであることは
イスマイル・ヒジャラなどイラクの専門家の発掘調査により
明らかになっている。
ここに「牛頭信仰」の拠点があったことを知らせる
土器類の遺留状況である。
アルパチャArpachiya遺跡はニネヴェの東側で
そう遠くない地点に位置している。
ニネヴェはアッシリア帝国の中心都市であった。
紀元前1800年頃に北メソポタミアに君臨し始めた
古アッシリアは首都を南下させ、
新アッシリアの紀元前9~7世紀になると
ニネヴェを中心とする地域に首都を置くようになる。
アッシリア語の牛頭を表す用語はアルプalpuである。
この言葉は北メソポタミア起源でもないし、シュメル語でもない。
紀元前1600年を少々遡る頃地中海沿岸のカナアン地方で発明された
原カナアン文字の系統に連なる言葉である。
この文字は、楔形文字の表意文字に対し、表音文字の始源となり、
フェニキア語(ウガリト文字)、アラム語、後のヘブライ語、
アラビア語の基礎となったばかりでなく、
その波及はフェニキア文字を取り入れた
ギリシャ文字やラテン文字へと広がり、
現在使われているアルファベットの根源でもある。
アッシリア語alpuはこの原カナアン語alpを移入した呼称である。
因みにalpはフェニキア文字などで変化し、
現在の「A」になっており、この文字体系をalphabetというのである。
アルパチャの地名はこのalpuに起源をもつ。
ハラフ期からカルトkhaldと称されていた「牛頭」は、
多分中期アッシリア時代からかアルプに変名したのである。
その後「土地」ないし「境界」を意味するto^をつけ、
地名としてArpachiyaが成立し、現在に至っていると考えられる。
この地方に「牛頭信仰」の拠点としての神殿があったことを
示しているといえるだろう。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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