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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
阿曇・安曇(21)高床式建物と神殿
再三アルパチャ遺跡の碗形土器に戻ることになるが、
容器の底円形の中に描かれた図柄は、
日本人の想像力には瞬間的に反応できるものである。
神社の高床式神殿を簡単に連想できるからだが、
ヨーロッパの人々にはそうはいかないだろう。
階段を備えつけた神殿は日本の神社の本殿そのものの構造をもつ。
この高床式建物に表された想念は、
これまでの牛頭信仰の基礎にあった埋葬儀礼を抜け出しており
葬送と関係はなくなっていると思われる。
「牛頭」を崇拝の対象とした信仰へと発揚していると思われる。
まずどのような理由により高床式建物は造られたのであろうか。
推測の範囲に過ぎないが、農耕が進歩し耕作面積が拡大したことにより、
麦類が主な穀類であることは明らかだが、その収穫量が増え、
重要な種になる穀粒を安全に保管する必要が生じたのではないだろうか。
※旧約聖書創世記第10章22に出てくるセムの子孫名
アルパクサデ Alpaxad は
このアルパチャの地に係わる名称であることを付記しておきたい。
河川の洪水で野生獣の群れの襲撃を避けるためには高い所に
貯蔵しておくことが有利であったからと考えられる。
ハラフ期のその当時の草原地帯は害を及ぼす野生獣を
完全に排除できるような状況ではまだなかったのではないか。
また、家畜化したとはいえ羊、山羊などは放し飼い状態であっただろう。
シュメルの絵文字な柵に囲われた様子を礎にした
羊の表記(○のなかに+)がみられるが、
その時代より3000年も古い時代の状況である。
動物を柵内に囲って飼育し始めたのは何時の頃だろうか。
大ザブ川沿いのザウィ・チェミ遺跡の羊の家畜化が始まった頃は
その必要も全くなかっただろう。
柵が必要になったのは牛や馬の大型獣の家畜化を始めた時期以降だろう。
野生の馬や牛が絶滅に近くになり、
その確保の必要に迫られてからと考える。
必要量の不足が予想されて捕獲して保持する
あるいは繁殖させる知恵が働いたのである。
後世15世紀末に始まったイングランドの囲み運動、
さらに日本の海岸で1970年代から始められた
ハマチ養殖業はその例である。
アルパチャの碗形土器に描かれたこの高床式建物の時代は、
まだ野生獣類は草原地帯に大量に棲息し、人間を脅かす存在であった。
特に牡牛は獰猛でその威力に対する恐れが
神格化され祀られたとの見解もある。
野生獣から収穫した麦などの穀類、特に種とする穀粒を守り、
神の加護を祈願したと理解したいのである。
神は「高み」に座す。
神の座所に至るためにははしごあるいは階段が必要になる。
高床式神殿には必ずはしごが階段がついていなければならないのである。
この概念を表しているのが旧約聖書創世記第28章である。
ヤコブがベェルシンバを発ってハランへ向かう途中ある場所で夢をみる。
「その所の石を取って枕とし、伏せて寝た。
時に彼は夢をみた。
一つのはしごが地の上に立って、
その頂は天に達し、
神の使いたちがそれを上り下りしているのをみた」
ヤコブは神の声を聞き、朝目覚めてから
「これは神の家である。これは天の門だ」と叫び。
「枕としていた石を取り、それを立てて柱とし、
その頂に油を注いでその所の名をぺテルと名付けた。
その町の名は初めはルズといった」と述べられている。
神は「高み」に座し、
はしごを昇らなければその家に至ることができないのである。
ぺテルは Bethel で神の家の意である。
ルズは多分石を意味するギリシャ語λa-sの音写である。
はしごについて『The New Jerome Biblical Commentary』は
英語のladder(はしご)ではなく ramp (斜面路)、
つまり stairway(階段)のことであると解説している。
ぺテルは現在のイスラエルのイェルサレムに近いベツレム市で、
古代にはカナアンのうちにあった。
階段を昇って神の家に至るという観念には西アジアに広くあった。
神殿を建造する際の重要な要素である。
バビロン時代からアッシリア時代を通してメソポタミアでは
多くのジクラドと呼ばれる巨大聖塔が作られた。
土塁を高く積み上げてその上に神殿を設けたのであり、
墓所としてつくられたエジプトのピラミッドとは性格を異にする。
※ジクラドはアッカド語の名称で、
シュメル語の呼称はエ・マハ e・mah である。
これは「大きな神殿」とともに「高みにある神殿」の意味でもある。
そして、頂の神殿に昇るための階段が必ず付設された。
エリドゥの最下層の神殿が土塁の上に建てられたのも
同様の考え方の表れで、すでに後の聖塔の構成要素を示している。
専門家が、現在知れれる神殿(祠堂)の下には
さらに古い遺構があるのではないかと疑っているが、
煉瓦で作られた建物ではない、
木造建物ないし、葦屋の高床式神殿があったと推測できるのである。
ジグラドのシュメル語での呼称には、
◎「hur-sag galam-ma」で「大きな階段のある山」の意であった。
Hur-sag が山を「ma」が大きい、高い、「galam」が階段を表す。
聖塔における階段は「高み」にある
神殿(神の家)に仙りつくための単なる手段でなく、
信仰の象徴であったとさえ思える。
楔形文字の牡牛(gu)と階段(galam)はその刻字が近似している。
つまり、galam は角の別称である。
北メソポタミア地方で牛頭信仰が広がったのも、
死霊は「牛角」である階段を通って神の家に至るとの
想念が発生したからではなかろうか。
Galam は、角を表すラテン語 corunu と同根語と考えられる。
シュメル語の成句として野牛あるいは「野牛の角」となる。
この成句を納得すると極めて興味ある事実が見えてくる。
インド・ヨーロッパ語圏のこの alam-ma を同根語とする呼称が、
地域によって表記は異なるものの
地方名、都市名、川名などとして広がっているのである。
まず、トルコのアナトリア、タロス山脈の
北チャタル・フユク遺跡の東方の外れにある
マラス市の正式名はKahraman-marasである。
イオニアの故地に Germaneikがある。
イランでは、
バグダドの東方ザグロス山脈の山間に Kermanshah市、
ペルシャ湾への入口アフガニスタンとの国境への地帯を
Kerman地方といい、
その北側にKerman市がある。
アフガニスタンに入って
シスターナとマルゴ砂漠を流れる川が Helman川である。
インドの東南部ベンガル湾岸を Coromandel海岸といい、
スリランカの首都 Colomboで、bo は牡牛の別称である。
アメリカ大陸を発見したとされているColombusも同類語である。
そして、
ゲルマンGerman人およびGermaniaをあげておかなければならない。
北メソポタミアでは、原新石器時代の遺跡名ケルメズ・デレが
galam に由来する名称であることも意義深い。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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