2014年5月11日日曜日
阿曇・安曇(9)綿津見と豊玉彦(2)
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『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
阿曇・安曇(9)綿津見と豊玉彦(2)
「粕屋郡:かすやぐん」
粕屋郡、糟屋、糟谷、滓屋とも記される。古代~現在の郡名。
筑前国および福岡県の郡の一つ。
『和名類聚抄』では「加須也」と記しており、
その訓は「かすや」であろう。
京都・妙心寺の梵鐘銘に
「戌戌年(698)四月十三日壬寅収糟屋評造春米連広国鋳鐘」
とあるのが初見。
「古代」『和名類聚抄』の郷は香椎、志珂、厨戸、大村、池田、
阿曇:あづみ、柞原、勢門:せと、敷梨の九郷。
当郡須恵付近に夷守駅があったらしい『延喜式』。
式内社香椎宮は仲哀天皇を祀ったものといわれるが、
古来祭神は神功皇后とされ、
新羅との関係が悪化するごとに朝廷から奉幣使が派遣された。
神門の前の神・木綾杉は神功皇后が朝鮮出兵から帰還し、
鎧の袖の杉枝を挿したのが生長したという。
古代創建を伝える寺社は他に
志賀海神社、宇美八幡宮、勝馬神社、武内宿祢社、
若杉神社、天降神社、独鈷寺、清滝寺などがある。
「志賀海神社」
祭神は底津綿津見神、中津綿津見神、表津綿津見神。
海の中道から志賀島へ渡った入口にある集落の奥まった山手に位置する。
付近には縄文時代の遺跡も存在し、
当地は古来北九州の海上一帯を中心に海人を支配し、
全国的に活動の跡がみられる阿曇氏の本拠地でもある。
祭神はこの阿曇氏の祖神とも奉斎神ともされており、
今日の神主家もこの一族である。
志賀島大明神を宗像大菩薩御縁起(神道大系神社編宗像)や
八幡愚童訓(思想大系)は神功皇后の三韓出兵の舵取りをしたと記す。
「仁位(豊田町)」
地名の由来は、
美しい意味する(瓊に)から仁位になったといわれている(津島紀事)。
地内の堂ノ内、貝吹壇、仁位浜などに弥生時代~古墳時代の遺跡がる。
西の天神山は古代に烽火が置かれ、天神神社があった。
仁位浦の西岸に、
式内社の和多都美神社に比定される和多都美神社があり、
その社叢は昭和51年県天然記念物に指定された。
「鹿見:ししみ(上県町)」
鹿見湾は韓神崎の内側に北向に閉口した良港で、
西海岸屈指の泊地として知られる。
地名の由来は深い山中に鹿が群れをなして
満ちていることを訛っていったとか、
鹿火の意味によるかと伝えられる(津島紀事)。Zikum
「トヨタマ」 toya(sk.)水 [漢訳]水、海、滄溟(sk.)pa-thos 水(sk.)ud
和多都美 dyu-dha-man 天上の住者、神=dyu・dha-ma
ワタツミ dha-ma[超人的存在の一種]
toya-dha-man 海の住者、海神[海に住む神]=toya-dha-ma
「ワタ」(ギリシャ語)βυθοs(buthios) [海の]深み、[一般に]深み
※zikum,engurに対応◎渤海
「ツミ」(シュメル語) dumu 子供、童、少童
「ワタツミ」 海の童 buthios・dumu=pa-thos・dumu
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