2015年5月19日火曜日

呉人と浅草(3)

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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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 歴史学講座『創世』歴史研究家「小嶋 秋彦」:2015/01/08

 課題:浅草と墨田〔東京都〕の由来
    ―「山谷」は本来何と称すべきか―

 ≪呉人と浅草(3)≫

 「アサクサ:浅草」

   ֶַסה כֻסהֶר,Ash KShR,aesh kusher,「清浄な(神聖な)炎」

  סה,Ash,aesh,火、炎

  כֻסהֶר,KShR,kusher,清浄な、(律法に)相応しい、神聖な

   "柴の燃えない神の火"聖天宮に聖火が護られている。

  吾妻橋

   「アズマ」סהִימ,AShYM,aishiym,סה「火、炎」の複数形

  小梅(墨田区隅田川を挟んだ浅草の対岸)

   「コウメ」כהָֻמ,KhVM,khoum,熱

  牛島:うしじま・牛島神社(墨田区隅田公園にある神社)

   「コジマ/コシマ」הַסהֶמ,HShM,hashem,「ヤハウェの御名」

  亀沢(墨田区の地名)野見宿根神社が鎮座

   「カメサワ」הַמַסַֻה,HMShM,hamasuah,溶解、融解

   野見宿根命は土師氏の祖。土師氏は窯業を行う。

   特に埴輪を作ること(生贄の代わり)を天皇より賜った。

   今戸焼(現在)窯業の継承。江戸時代には盛んに瓦を焼いていた。

   【古墳時代】

    北関東一帯で古墳から出土した精緻な埴輪は

    この土師氏によって作られたものである。

  吾嬬神社(墨田区立花) 

   「アズマ」סהִימ,AShYM,aishiym,סה「火、炎」の複数形

   墨田区の東側、旧中川の西岸一帯は

   現在文花、立花、東墨田、八広となっているが

   かっては「吾嬬」であった。

  三囲神社(墨田区向島、隅田川河岸に鎮座)

   かって田中稲荷神社といった。

  「三囲・ミツイ」かって三井家が奉祀に篤かったことによる。

  「囲・メグリ」מֶגִלַֻה,MGLH,megiluah,

                (紙・羊皮紙などの)巻物、つまり「旧約聖書の巻物」

  「田中・タナカ」תַֻנַשֻ,TN''X,tuanaxu,

         旧約聖書(律法、預言書・諸書の総称)

  鷲:おおとり神社(台東区千束3丁目18-7)<おとりさま>

  「かっこめ」「はっこめ」:熊手御守

   כהַכַמ,KhKM,khakam,○賢い、利口な○賢人、知恵者○学者、博学

 ※ "ה"(ヘブライ語)はch,kh,x,hと表記され

   「か」「は」「ほ」と日本語表記では可能


  鷲:おおとり神社(足立区六月) 
 
   保木間「ほきま」כהַכַמ,KhKM,khakam,の音写

  鷲宮:わしみや神社(埼玉県北葛飾郡鷲宮町鷲宮1-6-1)

  「鷲・ワシ」

   従来は当社を開いたという出雲の土師氏「ハジ」が訛って

   「ワシ」となったとされる。

   土師一流催馬楽神楽(国指定重要無形文化財)

   祭神 天穂日命、その御子武夷鳥命、大己貴命(境内・神崎神社祭神)

  鷲・ハヤブサ

   בַז,BZ,baz,:בַזַכ,BZK,bazak,雷、稲光、稲妻

   「ワシ」は雷、稲妻(光)、を表わす。

  鷲宮とは「雷の宮」である。

  רִַמ,RIM,raim,雷鳴・轟き 稲妻「イナヅマ」צמר-ענן〔毛糸‐雲〕INN-TsMR

  ※「雷」はヤハウェ神の象徴である。

  「出エジプト記」第20章18は

  モーセがシナイ山で「十戒」を授けられている間山麓で人々は見た。

  20:18 民全員は、雷鳴がとどろき、稲妻が光り、

     角笛の音が鳴り響いて、山が煙に包まれる有様を見た。

     民は見て恐れ、遠く離れて立ち、

   「雷イカヅチ」הֶַדַה,AHDH,aheadah, 共鳴:「雷鳴」=רִַמ,RIM,raim,

        הֶדֶת,AVHDT,aohedet,共鳴者

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ
  

2015年5月7日木曜日

呉人と浅草(2)

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 課題:浅草と墨田〔東京都〕の由来
    ―「山谷」は本来何と称すべきか―

 ≪呉人と浅草(2)≫

 〇土師真仲知"ハジ・マッチ" 

  「マッチ」待乳山(浅草7丁目)真土山、亦土山とも書いた。

 聖天宮(待乳山本龍院)がる。

 מתסֻדַה,MTsVDH,mtsudah,砦、城、要塞

 מתסַדַה,MTsDH,mtsadah,(岩山に築かれた)砦、城、要塞

 この山には真仲知の屋敷(城)があったとの伝えがある。

 「真仲(中)知」の語義:「真」סנֶה,SNH,sneh 

  柴、燃える柴〔出エジプト記第3章2〕סִנִַ,SYNY,sinai,シナイ山

  "シナイ山の柴の中の知恵"

  「¹モーセは妻の父、ミデアンの祭司エテロの羊の群れを

   荒野の奥に導いて、神の山ホレブにきた。

   ²ときに主の使いは柴の中の炎のうちに彼に現れた。

   彼が見ると柴は火に燃えているのに、

   その柴はなくらなかった。

   ³モーセは言った。「行ってこの大きなも見ものを見、
 
   なぜ柴が燃えてしまわないかを知ろう」。

  そしてモーセはその山上で「十戒」を授かることとなる。

  「柴の(炎の)中の知恵」とは「十戒」を指す。

 今戸(浅草の東、隅田川沿い、今戸神社が鎮座)

  「イマト」ִֶוֶד,IVD,ieved,下僕、召使いの字義、

   ここでは「神の僕(しもべ)」、

   モーセを指すが、真仲知をも包んでいようか。

 田原町(浅草の地名、地下鉄の駅がある)

  「タハラ」תֻfִלַֻה,TFLH,tufiluah,祈り、祈祷、祈願

 松草(浅草の地名)מִתסוַה,MTs,mitsvah,(神の)命令、掟、戒律 

 入谷(台東区の地名)

  「イリヤ」לָהַ,ALH,eloha,神   ֶלָהִי,ALHY,elohiy,神の、神聖な

 下谷:したや(台東区の地名)

  「しもや」סהמֶַ,ShMI,shmae,

   シエマアの祈り("聞け、イスラエル"で始まる

   ユダヤ教の祭り) 

 小島(台東区の地名),HShM,hashem,「ヤハウェ神の御名」

 上野(台東区の地名、山名)נ,IYN,aen,象、

  「ヤハウェ神ホレブ山でイスラエルの民に水を沸かせ与えた」

  井上神社(台東区東上野2丁目にある神社名)、井=象

  清水観音堂(上野山、不忍池の東岸、西郷銅像近く)

 「センソウ:浅草」

  סהִמֻסהֶ,ShMVSh,shimushe,奉仕、世話、

  סהִמֶסהֶ,ShMSh,shimeshe,仕える、奉仕する

 隅田・墨田「スミダ」סהמָת,ShMVT,shmot,「出エジプト記」

  台東区浅草周辺及び墨田区の隅田川周辺は

  土師氏によってもたらされた

 「出エジプト記」の伝説信仰に溢れている。


《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2015年5月5日火曜日

呉人と浅草(1)

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 課題:浅草と墨田〔東京都〕の由来
    ―「山谷」は本来何と称すべきか―

 ≪呉人と浅草(1)≫

 〇浅草神社:東京都台東区浅草

  「社伝」推古天皇36年に檜前浜成、竹成の兄弟が

 隅田川で投網を用いて漁をしていたところ、

 網に人型像が何度か掛って上がってきた。

 そこで土師真仲知(あるいは真中知)に見せたところ、

 聖観音菩薩像と判ったので、土師真仲知が沙門に入り、

 自宅を寺として像を安置することとしたのが浅草寺で、

 後になって真仲知の子孫が夢のお告げにより、

 土師真仲知、檜前浜成、竹成を奉祀し三社権現と

 称するようになった。

 ☆土師氏は推古天皇の時代(6世紀後半)にここにいたことを

   示している。

 ☆「檜前」は奈良権高市郡明日香村檜前と同名、

  その周辺に見瀬・呉原など百済の呉人に係わる地名がある。

  また、同地区に於美阿志神社が鎮座し、

  漢人(あやびと)に係わっており、

  百済系の渡来人の足跡がある。

 『日本書紀』欽明天皇元年(539)の8月

  「秦人、漢人等諸蕃の投化せる者を召し集めて

   国郡(くにごおり)に安置し、戸籍を編貫む。

   秦人の戸数、総じて七千五十三戸。

   大蔵掾(ふびと)を以ちて、秦伴造としたまふ」

 『日本書紀』天智天皇5年(666)条

 「この冬、百済帰化人二千余人東国に遷される。」

 ☆久伊豆神社(さいたま市岩槻区宮町)の創建由来、

  欽明天皇の御代(539~571)土師氏が出雲から渡来して開創。

 ※遅くとも6世紀の前期後半には

  秦氏族は東国に移り始めていたと推測される。


 〇三社祭(5月17日・18日/第3日曜日)神輿渡御 

  輿(こし):כֶסתֶל,KISTL,kestel,箱 (Grk.)Kasten

  掛け声「ソイ、ヤー、ソイ、ヤー」

  סִַ יַה,SI YH,sai yah,「行け神よ」 

  ※<ヨシュア記第3章>ヨルダン川を渡る

 3:1 ヨシュアは、朝早く起き、

   イスラエルの人々すべてと共にシティムを出発し、

   ヨルダン川の岸に着いたが、川を渡る前に、そこで野営した。

 3:2 三日たってから、民の役人は宿営の中を巡り、

 3:3 民に命じた。

   「あなたたちは、あなたたちの神、

   主の契約の箱をレビ人の祭司たちが担ぐのを見たなら、

   今いる所をたって、その後に続け。

 3:4 契約の箱との間には約二千アンマの距離をとり、

   それ以上近寄ってはならない。

   そうすれば、これまで一度も通ったことのない道であるが、

   あなたたちの行くべき道は分かる。」

 3:5 ヨシュアは民に言った。

  「自分自身を聖別せよ。

  主は明日、あなたたちの中に驚くべきことを行われる。」

 3:6 ヨシュアが祭司たちに、

   「契約の箱を担ぎ、民の先に立って、川を渡れ」と命じると、

   彼らは契約の箱を担ぎ、民の先に立って進んだ。

 3:7 主はヨシュアに言われた。

   「今日から、全イスラエの見ている前であなたを大いなる者にする。

   そして、わたしがモーセと共にいたように、

   あなたと共にいることを、すべての者に知らせる。

 3:8 あなたは、契約の箱を担祭司たちに、

   ヨルダン川の水際に着いたら、

   ヨルダン川の中に立ち止まれと命じなさい。」

 3:9 ヨシュアはイスラエルの人々に、

   「ここに来て、あなたたちの神、主の言葉を聞け」と命じ、

 3:10 こう言った。

   「生ける神があなたたちの間におられて、

   カナン人、ヘト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、アモリ人、

   エブス人をあなたたちの前から完全に追い払ってくださることは、

   次のことで分かる。

 3:11 見よ、

   全地の主の契約の箱があなたたちの先に立って

   ヨルダン川を渡って行く。

 3:12 今、イスラエルの各部族から一人ずつ、計十二人を選び出せ。

 3:13 全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足が

   ヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、

   ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう。」

 3:14 ヨルダン川を渡るため、民が天幕を後にしたとき、

   契約の箱を担いだ祭司たちは、民の先頭に立ち、

 3:15 ヨルダン川に達した。春の刈り入れの時期で、

   ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていたが、

   箱を担ぐ祭司たちの足が水際に浸ると、

 3:16 川上から流れてくる水は、

   はるか遠くのツァレタンの隣町アダムで壁のように立った。

   そのため、アラバの海すなわち塩の海に流れ込む水は全く断たれ、

   民はエリコに向かって渡ることができた。

 3:17 主の契約の箱を担いだ祭司たちが

   ヨルダン川の真ん中の干上がった川床に立ち止まっているうちに、

   全イスラエルは干上がった川床を渡り、

   民はすべてヨルダン川を渡り終わった。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

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2015年4月26日日曜日

浅草神社・浅草寺の起源伝承⑧


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 ≪浅草神社・浅草寺の起源伝承≫
 出典:浅草神社と三社祭:

    編者・森田新太郎、発行者・浅草神社・矢野泰良

 浅草神社と三社祭
 浅草神社


 SANJA MATSURI

   A legend syas that a thousand three years ago found

  a Kannon (Godess of Mercy) statuette caught in a fishing-net

  in the Sumida River on March 17 (May 17 by the solar calendar)

  and afterwards built a shrine and deoted it to Asakusa.

   SANJA MATSUURI, which is one of the Three Great Festivals

  of Edo (now Tokyo), is held on the third Saturday every May 

  by the Ujiko (inhabitants of the neighbourring commnuity)

  at Asakusa Shrine (previously called "SANJA Daigongen Shrine" or 

  "SANJA Myyojin Shrine"), sacred to the tutelary deity 

  of the locality forom of festibval was established

  in the Edo period (1603-1868).

   The parade of the portable shrines is conducted primarity 

  for the mutual amity of the Ujiko and the prosperity 

  of the commnunity but is also joined and enjoyed by the people 

  other than the Ujiko.

《参考》
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 ARPACHIYAH 1976


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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浅草神社・浅草寺の起源伝承⑦


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 出典:浅草神社と三社祭:

    編者・森田新太郎、発行者・浅草神社・矢野泰良

 浅草神社と三社祭
 浅草神社


 6.昭和の修営

  戦災による消失を辛くも逃れた浅草神社では

 昭和36年9月~昭和38年6月まで22ヶ月に亘り、

 工事総額4,283万円にて社殿修理に着手したが、

 これは大正6年の修理以来実に44年ぶりのことで、

 修理は文化財保護委員会の指導のもと315年前の

 創建当初の再現するのを目標に、

 多額の国庫補助金を受けて行われた。

 7.平成の修営

  昭和の修営から33年を経て建物全体の彩色と漆が傷み

 補修のため国庫補助金を含む工事費総額4億5千万円で

 平成6年から3年をかけ修理をおこなった。


《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

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2015年4月23日木曜日

浅草神社・浅草寺の起源伝承⑥


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    編者・森田新太郎、発行者・浅草神社・矢野泰良

 浅草神社と三社祭
 浅草神社

 5.ビンザサラ

  編木(ビンザサラ)、又は拍板(ビンササラ)とも書き、

  田楽の楽器の一種である。

  板を百八枚並べて上の端を紐で結び、

  両端に持つ所を作り、アコーディオンを奏でる様に

  端を握って伸縮するとそれにつれて板と板がふれ合い、

  サラッサラッと云う音を出す。

  木を編む所から編木と云い、

  板を打ち合わす所から拍板と云う。

  古来田楽の「烏間口の舞」(中門口の舞)には

  必ず用いられた楽器で、土地により長短の別があるが、

  中国の北斎時代頃から行われたものが、

  日本へ日本へ輸入されたのではないかと云われている。

  浅草神社の拍板神事は

  東京に残る数少ない神事舞踊の一つとして昔から有名で、

  中世の田楽踊り(拍板踊り)の名残を留め、

  現在では東京都の無形文化財に指定されている。

 それから「烏間口の舞」と云うのは田楽の舞の一つであるが、

 田楽と云うのは平安朝の頃から行われた舞踏で、

 元来は農村の田植頃から発生した。

 この「田楽」という言葉は、

 『栄華物語』『今昔物語』の二書に見えるのが最初で、

 古くはこの胸につける大太鼓の事を指し、

 転じてそれを打って舞うことも田楽と云ったらしい。

 後には田楽笛を吹く者、ササラヲ打ち鳴らす者、

 或は獅子舞を舞う者までが附き物となったらしい。

 「烏間口の舞」と云うのはこれらの田楽の中で、

 特に神社仏閣及び貴族の邸宅の繁栄を祈念する意味で

 行われた舞のことを云う。

 娯楽としての田楽は、

 北条時代、執権高時が殊のほか愛好したので、

 京都市中貴賎老若を問わず熱狂し、

 専門の田楽法師による新座、本座の二団体まで出来、

 互いに対抗して芸を競ったらしい。

 足利尊氏の時にはあまり見物人が多いので桟敷がつぶれ、

 死傷者迄出したと云われる。(『太平記』)

 この様な盛況さも室町末期以後は新興の「能楽」に食われ、

 僅かに神社仏閣にの儀式としてのみ名残を止め、

 次第に衰退して今日に至った。

 従って我々は浅草神社の拍板神事を眼のあたりに見る事により、

 遠くは中世の田楽の名残を偲ぶことが出来る訳であり、

 これが無形文化財に指定された所以でもある。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

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 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年4月8日水曜日

浅草神社・浅草寺の起源伝承⑤


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 出典:浅草神社と三社祭:

    編者・森田新太郎、発行者・浅草神社・矢野泰良

 浅草神社と三社祭
 浅草神社

 4.船祭

  昔の隅田川は水清く澄み、

  浅草海苔を採る業者や漁師が多く生活していた。

  その後川が汚濁したり、

  又殺生禁断の地域になったりした事から、

  これらの人々が多く大森辺りその他み移住して行ったが、

  その昔の神恩を忘れず、3月18日の浅草神社の本祭

  (丑、卯、巳、未、酉、亥の隔年)には

  遠く安房、上総の浦々からも

  漕来たって大森の浦に船を繋ぎ、祭礼の前日には

  大森、佃の船と共に浅草川(隅田川)へ漕寄せ、祭りに

  参加したと云われる。

   即ち本祭(隔年)の当日、神社を出た神輿は

  浅草の大通りを浅草見附(今の浅草橋)まで舁がれ、

  浅草御門の外、神田川で神輿を船に遷し、

  浅草川(隅田川)を漕ぎ上がって駒形で陸にあがり、

  神社に舁ぎ帰った。

   この時には一船に一基ずつ神輿を乗せ、

  また故実に従い、専当・斎頭・常音の三坊も

  夫々一基に一人ずつ付き随い、浅草寺の別当顕松院も

  御船に供奉したと云われる。

  これらの船の奉仕をしたのが前述の漁師達で、

  皆船印を立て、

  浄衣を着て威勢よく漕ぎ上って来たものと思われ、

  府内随一の大祭として江戸中の人気を集めたが、

  既に断絶して年久しく約百年程を経過する。

 ◎三社権現船祭再興者功績の碑について

  前述の船祭は宝暦11年(1761年、234年前)に

  故あって断絶したので、それを悲しんだ浅草寺達頭の

  飯山・斎藤の両氏が之を再興しようとしたが、

  生前は果たさず、没後に至って、

  その子の飯山褒廣、斎藤秀正が父の志を継ぎ、

  大森の漁人に語らい出船の奉仕方を約さしめた。

  この船祭再興の模様を語り、二者の功績をたたえ、

  後世に伝えようとしたのがこの石碑で、

  法眼伊蒿が文を作り、

  明和8年(1771年)三社境内に建てたが、

  明治以後は伝法院に移り、

  今池の北側築山の下に現存している。

 ◎昭和33年秋浅草観音本堂落慶の開帳にあたり、

  11月2日の日をえらび、この船祭を復活して執行し、

  以って観音像感得の故事因縁を更に徹底して

  世人に認識せしめた。

 ◎観音堂戒殺碑

  今駒形公園にある。

  その昔浅草観音感得の故事に因み、

  隅田川に於ける殺生漁獲を禁じた石碑で、

  元禄6年(1693)浅草寺権僧正宣存が撰文して

  建立したものである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ