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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
≪紀伊国・海部郡・加太神社・淡島神社≫
「延喜式」神名帳 紀伊国名草郡加太神社「カタノ」
「和名類聚抄」紀伊国海部郡 賀太
「全国神社名鑑」和歌山県
淡島神社〔和歌山市加太〕「あわしま」
祭神:少彦名命、大己貴命、(相殿)息長足姫命
粟島神社〔海草郡下津町方〕祭神:少彦名命
「和歌山市都市地図」和歌山県
淡島神社〔和歌山市加太地区〕
沖合に地ノ島、沖ノ島、神島
粟嶋神社〔海草郡下津町〕沖合湾外に地ノ島、沖ノ島
◎淡島・粟嶋「アワシマ」
(Heb.),ִַוַתסֶמַה,IVTsMA,iavatsemah
栄光、誉れ、力、勢い、強さ
(Heb.),ָתסֶמַה,ITSMH,otsemah
同義:大隅国〔鹿児島県の郡・半島名〕
※「アワシマ」は「オウスミ:大隅」と語源は同じ。
和歌山の「アワシマ」は鹿児島県の「大隅」から
移動して来た人々が造成した文化圏であることを示す。
◎加太・方「カタ」
(Heb.),כֶתַֻ,KTV,ketau 字、文字、筆
※石板に刻まれた「十戒」を表わす文字
宮崎県日南市の地名「方」に対応する
〇粟嶋神社〔海草郡下津町方〕の社伝
"往古、神が下津の硯浦に漂着した”
※この祭神「少彦名命」が海の外から
漂着(渡来)して来たことを伝えている。
淡島神社の創始伝承〔日本の神々〕
"淡島様は天照大神の第六番目の姫君であり、
十六歳で住吉名神の后になったが、
下の病に罹ったため綾の巻物、十二の楽器と
一緒にウツロ船に乗せられて堺の浜から流され、
あくる年の3月3日に加太の淡島流れ着いた。
※この挿話は後追いの作り話であることが覗える。
よって
下津町の粟嶋神社が先に鎮座した祭祠とみる方が妥当。
同社伝の続き〔日本の神々〕
硯浦に漂着した時、村民の二十一家が奉って森へ
鎮め祀り、以来この二十一家が当屋制によって祭祀し、
後亀山天皇の文永年間(1264~75)に
今の宮の谷の社地へ遷し祀ったという。
丁:ドウ「ヨウ」
(Heb.),יִַַר,YIR,yaiar 森、森林
※漂着後直ちに祭られた所
上:かみ「カミ」
(Heb.),כָמֶר,KMR,komer 司祭、祭司
※「加茂郷」の「カモ」と同根
「下」(地区名)も「カ」という
黒田:くろだ「クロタ」
(Heb.),כהַרַת,KhRT,kharat
(金属や石に)刻む、(文字を)彫り込み
※方〔カタ:文字、筆跡〕に対応する用語
石板に彫り込まれた十戒の文字
小原「オハラ」
(Heb.),ָהֶל,AHL,ohel 幕屋、天幕
※十戒石を納めた移動式聖所
雑賀「ゾウガ」〔和歌山市下津町とは和歌浦湾を挟んだ対岸〕
(Heb.),זֻג,ZVG,zug 一対、
2つ一組(のもの)、二枚の十戒石(石板は二枚で1組)
名草郡「ナクサ」〔延喜式、和名類聚抄に載る郡名、
(現)和歌山市名草、和歌浦湾の底部〕
(Heb.),נֶכהֶס,NKhS,nekhes 貴重品、富、財産
※十戒石(二枚)を指す。
◎女性の信仰
〔淡島神社の創始伝承:下の病、神功皇后の御産〕
雑賀「ゾウガ」の字義は"二枚1組のもの"であった。
がこれとよく似た用語ある。=(Heb.),זֻג,ZUG,zug
「ゾウガ」(Heb.),זֻגַֻה,ZVGH,zuguah 妻
※「和名類聚抄」名草郡の郷名に「津摩」とある。
丸田〔下津町〕「マルダ」
(Heb.),מִילֶד,MYLD,miyled 産科医
※神功皇后の御産伝承に対応する。
◎この地域では塩焼き〔海水をたいて食塩を生産する〕
塩津〔下津町の和歌浦湾沿い〕
女良〔下津町大崎にある地区名〕
「メラ」(Heb.),מֶלַכה,MRKh,melakh 塩、食塩
◎小畑〔下津町小原の東隣り〕
「オハタ」(Heb.),הֶד,AVHD,ohed 共鳴者、賛同者
◎奉祭家:粟嶋神社社伝〔日本の神々〕当屋制の二十一家
下津の硯浦に漂着したとき、
村民の二十一家が奉って森へ鎮め祀り、
以来この二十一家が当屋制によって祭祀し、~
「二十一」は大洗磯前神社の創始伝承〔文徳実録〕に
載る「二十余の小石」に対応する。
「二十余」はユダ族がバビロン捕囚から解放されて、
エルサレムに帰還した際の支族数に相当する。
「ネヘミヤ記」
7:6
捕らえ移された先から上って来たこの州の人々は、
次のとおりである。
彼らは、
バビロンの王ネブカドネツァルによって連行されたが、
それぞれエルサレムとユダにある
自分の町に帰ったものである。
7:7
彼らはゼルバベル、イエシュア、ネヘムヤ、アザルヤ、
ラアムヤ、ナハマニ、モルドカイ、ビルシャン、
ミスペレト、ビグワイ、ネフム、バアナと共に帰って来た。
7:8
パルオシュの一族二千百七十二人、
7:9
シェファトヤの一族三百七十二人、
7:10
アラの一族六百五十二人、
7:11
パハト・モアブの一族、
すなわちイエシュアとヨアブの一族二千八百十八人、
7:12
エラムの一族千二百五十四人、
7:13
ザトの一族八百四十五人、
7:14
ザカイの一族七百六十人、
7:15
ビヌイの一族六百四十八人、
7:16
ベバイの一族六百二十八人、
7:17
アズガドの一族二千三百二十二人、
7:18
アドニカムの一族六百六十七人、
7:19
ビグワイの一族二千六十七人、
7:20
アディンの一族六百五十五人、
7:21
アテルの一族、すなわちヒズキヤの一族九十八人、
7:22
ハシュムの一族三百二十八人、
7:23
ベツァイの一族三百二十四人、
7:24
ハリフの一族百十二人、
7:25
ギブオンの一族九十五人、
7:26
ベツレヘムとネトファの男子百八十八人、
7:27
アナトトの男子百二十八人、
7:28
ベト・アズマベトの男子四十二人、
7:29
キルヤト・エアリムと、ケフィラとベエロトの
男子七百四十三人、
7:30
ラマとゲバの男子六百二十一人、
7:31
ミクマスの男子百二十二人、
7:32
ベテルとアイの男子百二十三人、
7:33
別のネボの男子五十二人、
7:34
別のエラムの一族千二百五十四人、
7:35
ハリムの一族三百二十人、
7:36
エリコの一族三百四十五人、
7:37
ロド、ハディド、オノの一族七百二十一人、
7:38
セナアの一族三千九百三十人。
7:39
祭司。エダヤの一族、
すなわちイエシュアの一族九百七十三人、
7:40
イメルの一族千五十二人、
7:41
パシュフルの一族千二百四十七人、
7:42
ハリムの一族千十七人。
※パルオシュの一族、シェファトヤの一族、アラの一族、
パハト・モアブの一族(イエシュアとヨアブの一族)、
エラムの一族、ザトの一族、ザカイの一族、ビヌイの一族、
ベバイの一族、アズガドの一族、アドニカムの一族、
ビグワイの一族、アディンの一族、
アテルの一族(ヒズキヤの一族)、ハシュムの一族、
ベツァイの一族、ハリフの一族、ギブオンの一族、
別のエラムの一族、ハリムの一族
計21支族
7:39
祭司。エダヤの一族(イエシュアの一族)
7:40
イメルの一族、
7:41
パシュフルの一族、
7:42
ハリムの一族。
※これらの民は「残れる民」:
大隅国曾於郡の「ソオ」に対応する。
曾於「ソオ」(Heb.),סהֶָר,ShAR,sheor 残れる民
◎梅田〔下津町〕
「ウメタ」(Heb.),ֻמָת,AMVT,umot 民族、国民
"(ヘブライ語による)ユダヤ人"〔複〕
(Heb.),ַֻמַֻה,AMH,aumuah "アマヘ" 民族、国民>海部〔単〕
「和名類聚抄」紀伊国海部郡
※海部郡はユダ族〔ユダヤ人〕の居留地だった。
◎加太神社・淡島神社〔和歌山市加太〕
※同社は、粟島神社の分社として創始され、
神功皇后信奉と集合され、後の江戸時代に
「願人」によって東国・関東へその信仰圏を広げたが、
その素地は粟嶋神社の御神体が
既に遷されていたからである。
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