2013年11月14日木曜日
「欠史天皇」の実態と高句麗支配の時期
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録29:18頁
名乗りはこうして卑弥呼の家族構成だけでなく、
養女といった対人関係まで教えてくれる。
では彼女の家はいっから高句麗を治めていたのか?。
前後の系譜を比較して見よう.
天皇名 『日本書紀』 『古事記』 重要ポイント
1 神武 神日本磐余彦 神倭伊波礼毘古 神(シン)=チヌ・倭国・扶余(はや)・百済
2 綏靖 神渟名川耳 神沼河耳 神(シン)=チヌ・難升米(奴国)
3 安寧 磯城津彦玉手看 師木津日子玉手見 伊佐・キ津=チヌ・百済・投馬
4 懿徳 大日本彦耜友 大倭日子耜友 大国・倭国・百済・斯馬・投馬
5 考照 観松彦香殖稲 御真津日子訶惠志泥 弥奴・末盧・百済・高・扶余・根
6 考安 日本足彦国押人 大倭帯日子国押人 大国・倭国・百済・高句麗・扶余
7 孝霊 大日本根子彦太瓊 大倭根子日子賦斗邇 大国・倭国・百済・高句麗・扶余
8 孝元 大日本根子彦国牽 大倭根子日子国玖琉 大国・倭国・百済・高句麗・扶余
9 開化 稚日本根子彦大日日 若倭根子日子大日日 邪久・倭国・百済・高句麗・扶余
10 崇神 御間城入彦五十瓊殖 御真木入日子印惠 弥馬升・爾支・百済・伊都・供物(にえ)
11 垂仁 活目入参五十狭茅 伊久米伊理毘古伊佐知 伊支馬・爾支・百済・伊都・軍君
「欠史天皇」の実態と高句麗支配の時期
「欠史天皇」の実態と高句麗支配の時期
『My ブログ』
スメル8千年 古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
《装飾古墳》
「装飾古墳」
《考古学の最新発見》
「考古学の最新発見」
2013年11月13日水曜日
『魏書倭人章』が立証する名乗りと史実の関係
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録29:17頁
ここで、もう一つ頭を働かせる必要がある。
それはこの天皇家は、
卑弥呼こと倭迹迹日百襲姫の実家(さと)=出身国の王家であって、
その夫のソナカ=仲哀天皇の天皇家ではないということである。
彼女が「年すでに長大」の老婆なら、
その兄弟姉妹がみ々な元気でいて、
将軍などになっているはずがない。
大半は死んで、この世には居なくなっているはずである。
それなのに11頁のリストでは、
その名乗りが、なぜか『魏書倭人章』」の登場人物に合う。
うっかりしていると、
全員が奇跡的に長寿の一家だということになってしまう。
だがそんな非常識なことはありえないから、
その研究は必ず後でボロを出して失敗に終る。
よく考える必要があるというのはこのことである。
では別人がなぜ?そんなにうまく合うのだろう?。
それはそれらが
「名の持ち主が死ぬとその名も死ぬ”その人(ひと)だけの個人名”ではなく」、
名乗りだから全て次々に継承されるからである。
卑弥呼の兄弟が滅少した時点のその実情を
『魏書倭人章』は明瞭に書いている。
「無夫婿(ふせい)有男弟」これは「夫も死に、妹も死んで弟しかいない」
ということである。
すると、その妹の名乗りと共通している地位に壹與がいるのは、
卑弥呼の妹ではない他人の壹與が、卑弥呼の死後、
その後釜(あとがま)に入ったということだ。
これまで諸説あって、
実態が疑問のままだった「宗女」とは、このことだったのである。
『魏書倭人章』が立証する名乗りと史実の関係
『魏書倭人章』が立証する名乗りと史実の関係
『My ブログ』
スメル8千年 古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
《装飾古墳》
「装飾古墳」
《考古学の最新発見》
「考古学の最新発見」
本国は大国「ウマ」の国、馬韓はウマ韓
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録29:16頁
天皇たちの名乗りは、さらに南の海上にまで伸びている。
そこにも午のついた土地があるだろうか?。
種子島に馬毛(マケ)島がある。
この毛をケと書くと「馬ケ島=馬ガ島=馬ノ島」で確かに午の国でもある。
だが、ここ以南には大島郡にも沖縄県全域にも該当地名はない。
では奄美大島まで入っている孝霊天皇らの名乗りはウソなのであろうか?。
そうではない。
小さい地名ばかり探していたから見落としたので、
実は間違いなく実在していたのである。
その大きい国名とは、
文字どおりの大島、古代の「大の国」である。
沖縄語と南九州語は大をウと発音するから「大国」は「ウマ」。
北のシベリア「子(ネ)」に対応する
南の「午(ウマ)」は、この大国だっのである。
それが名乗りのトップにきているのはそこが本国だという慣例だから、
この天皇の名乗りは「南」上位で次第に北へ下がっている。
これまで孝霊天皇らを「高句麗天皇家」と呼んできたが、
それは誤りで、
正しくは
「南海天皇家」または「海神国天皇家」と呼んだほうがよかった。
こうわかってみると海神ポセイドン国は「百済出雲(ポセイドン)」。
その百済の植民地が馬韓国のあとに栄えたのは、
ごく当然で、
これまで馬韓をバカンと呼んできたのは間違い、
大国(ウマ)の分国なのだから、
それは「ウマ韓国」と日本語で発音されていたのである。
本国は大国「ウマ」の国、馬韓はウマ韓
本国は大国「ウマ」の国、馬韓はウマ韓
『My ブログ』
スメル8千年 古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
《装飾古墳》
「装飾古墳」
《考古学の最新発見》
「考古学の最新発見」
2013年11月11日月曜日
当時、干支(えと)地名が実在した完全証明
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録29:15頁
しかし、それなら北だけでなく、
南も同じ干支(えと)で表現されていなくてはならない。
それは果たしてあるか?。
南の干支は「午(ウマ)」、
高句麗の南の国は馬韓国。
ちゃんと実在している。
まだその上に朝鮮半島の南西部を占める国は辰韓国、
「辰(たつ)」の方角を示す名をもっている。
孝霊天皇の名乗りは半島だけでなく、
当然のことだが九州を含んでいる。
馬韓国のさらに南に当たる九州部は未盧(マツロ)国。
これは分解すると「マ=馬、ツ=津、ロ=国」、
やはり午(ウマ)の国である。
今は松浦と書いてマツラと発音するから、ラは国だと一層よくわかる。
帯方郡使はラをロと訛る人だったのである。
その末盧国の南には牛津(ウシづ)という町がある。
卑弥呼当時には有明海に面していた。
これは午ではなく牛だが、
午はゴ、牛も牛頭(ゴづ)天王のようにゴの発音をもっている。
ゴは五(ゴ)で五(イツ)、
伊都もイツとも読むから牛津が
伊都国の港の遺跡だとご説明したことがある。
牛津は午津だった時代があり、
それは南の国・松浦の南の港という名だったのである。
さらに南九州で南の港とは、
当時どこを指していたか調べてみると枕崎がある。
ここは正しくは「マッラザッ」と発音する。
松浦(マツラ)と同名で馬津国(マッラ)の岬(さき)である。
またここは別名篭(かご)の枕崎とも篭の港とも呼ばれていた。
カゴのゴは午だから、
カは他と区別するために鹿児島の略「鹿(カ)」や、
郡名の川辺(かわなべ)の頭音などのカをつけたものとみると謎ではない。
当時、干支(えと)地名が実在した完全証明
当時、干支(えと)地名が実在した完全証明
『My ブログ』
スメル8千年 古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
《装飾古墳》
「装飾古墳」
《考古学の最新発見》
「考古学の最新発見」
高句麗以北・シベリアまで支配していた孝霊たち
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録29:14頁
ではその次の「子」は何だろう?。
「日子・彦」が日の国の貴族を意味すると錯覚していた在来なら仕方ないが、
それは仏教徒の男子を指す「卑狗=比丘」への当て字だとわかった今では、
卑弥呼以前の支配者たちが「比丘」を名乗るわけがない。
ことに『日本書紀』執筆者は明かに反仏教の神道派で、
優婆夷を意味する「倭」を忌み嫌っていたのだから、
当時は比丘(ヒク)は乞食妨主を意味していた。
これは近世まで尾を引いていたほどだから、
日子(ヒコ)などという名を皇祖皇宗の天皇につけるはずがない。
それなのに『日本書紀』は、さ
すがに日子は彦に変えているが、
「根子」は『古事記』と全く同じ文字を使っている。
その根は「根の国=高句麗」以外には考えられない。
子も「日子」の子が貴族など意味しないとわかったのだから、
王や皇子の意味などあるはずがない。
とすればこれも独立した国を指しているとしか考えようがない。
この国名の謎を解くヒントになるのは首都だった巴利国=隼人町から
東南・辰巳の方角にある地域が大隅である事実である。
大隈(タスミ)はタスミだが、
古代日本語は大学講義録29・12頁の罽須の例のように
スとツの差がなかったからタツミである。
子(ネ)・丑(ウシ)・寅(トラ)という干支は殷代にもあったから、
当然、カリエン人時代からの我が国の常識だった。
「子」は北端の国、高句麗以北の扶余=旧満洲・シベリアを指している。
高句麗以北・シベリアまで支配していた孝霊たち
高句麗以北・シベリアまで支配していた孝霊たち
『My ブログ』
スメル8千年 古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
《装飾古墳》
「装飾古墳」
《考古学の最新発見》
「考古学の最新発見」
2013年11月10日日曜日
天皇の名乗り中の「根」は高句麗のこと
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録29:13頁
時代は飛ぶが、ついでにお話ししておくと、
巨大古墳を造った倭王・興(こう)=百済の蓋鹵(コウロ)王もまた
「慶司=ケイシ=キース=キヒズ=吉備津」という名乗りをもっていた。
これらの吉備津の地名が卑弥呼時代には伊佐郡の東、
霧島に実在したことも大学講義録16でお話し済みである。
このリストで特に注意がいるのは孝霊、孝元両天皇の名乗りである。
『日本書紀』が書く大日本は、
在来は『古事記』の大倭とともに、
どちらもオオヤマトと読んで日本全国の名と教え、
日本、倭と書くのは、
都の奈良のことだと、大小を対比させて説明してきた。
しかし奈良が日本と書かれた例も、
日本をナラと読む常識も例も全くゼロである。
それ以上に、
これまで見てきた史実が雄弁に物語るのは、
孝霊天皇当時には、
まだ全国を大日本と呼ぶ名は存在せず、
明瞭に実在したのは「倭」連邦だけだった。
『書紀』が書くこの名は、
『古事記』の倭を日本に改めただけの小細工に過ぎないと結論できる。
『古事記』の「大倭」も全国や連邦を意味するものではありえない。
この「大」は奄美大島などの地域国家の名であって1字ずつ
「大・倭・根・子」と4か国を指しているとみるのが正しい。
すると「根」は彼らが高句麗王だったのだから、
当然、大学講義録29・3頁でお話ししたように、
根の国・高句麗のことだったと理解できるのである。
天皇の名乗り中の「根」は高句麗のこと
天皇の名乗り中の「根」は高句麗のこと
『My ブログ』
スメル8千年 古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
《装飾古墳》
「装飾古墳」
《考古学の最新発見》
「考古学の最新発見」
難解名詞は「当て字差」が生み出しただけのもの
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録29:12頁
孝霊天皇の『三国史記』名・伯固(ハッコ)とその下の発岐と、
その別名・抜奇(バッキ)を見比べると、
みな同じ名の変化したものだとわかる。
伯固(ハッコ)はハツ木をハツコと読み、
抜奇はバツキと濁ったもので、
羽月(はつき)という地名と同じ名乗りだから、
代々世襲されたものだとわかる。
国牽と国襄は大学講義録17で詳しくご説明した。
于氏と卑弥呼は長くなるので後回しにして次の発岐は
伊佐郡の地名・羽月だから伊佐・五(イ)十狭(サ)芹に合う。
泄謨觚柄渠觚は
「シモカビンチウカ」で
「シモキビツヒコ=下吉備津彦」を帯方郡使が聞き書きしたもの。
次の「稚屋(ちおく)姫」は南九州発音で「チオッ」だから、
「イチヨ」の「チヨ」だけしか聞きとれなかったもの。
次の日子刺肩を彦狭島と比べてみると、
ヒコサシまで同じだから、
次の肩の字は「マ」への当て字が間違って「肩」になったもの、
その形で、それは「馬(マ)」だったことがわかる。
それがなぜ位宮か。
狭島はタンネ島=種子島。
位宮は狭穂彦を倒してて種子島王になった。
彼はまた壹與を立てて女王にしたから新「卑弥呼の父」=卑弥弓呼素とも呼ばれた。
次の罽須は「吉備津=キビツ=キヒズ」を
「気比津」と当て字したものをケヒズと読んで
「笥飯津=ケヒツ・ケヒズ」と当て字を変えたものと同じものである。
応神天皇が「名替え」した
気比(ケヒ)大神=御食津(ミケツ)大神(記)・笥飯(ケヒ)大神(紀)は、
この名乗りなのである。
難解名詞は「当て字差」が生み出しただけのもの
難解名詞は「当て字差」が生み出しただけのもの
『My ブログ』
スメル8千年 古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
《装飾古墳》
「装飾古墳」
《考古学の最新発見》
「考古学の最新発見」
登録:
投稿 (Atom)