2013年10月3日木曜日

埋(うず)もれたギリシャ神話の女神エウリュノメ


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録28:17頁

 「ミヅハ」はわかったから、

 次は「ノメ」からお話ししよう。

 すると「ノメ」は「の女(メ)」にきまっているじゃないか。

 と面倒がる人がいる。

 すこしわかればそれで全体がわかったと過信して、

 結論してしまうDNAの持ち主である。

 この種の人物は学者には向かない。

 学者以外の思考力が必要な職業にも向かない。

 だが21世紀には思考力がいらない職業などない。

 この人の未来は、すでに決定しているのである。

 しかし、その欠点が自覚ができれば、

 努力によって改善できる人もいる。

 それが教育効果なのである。

 こうしたことのご参考になれば幸いだから、

 「ノメ」にはどんな未知の部分があるか、

 お話しするので、ご覧になって、歴史の謎ときという主目的のほかに、

 「重要なものを軽率に切り捨てる人間はダメだ」という実例として、

 お役に立てて戴きたい。

 ギリシャ神話には、

 世界を作った女神の伊弉冉尊にあたるエウリュノメ=Eurynomeという神がいる。

 とは言っても、

 ギリシャの創世記は幾つもあって、その内容はみな異なっている。

 ヘシオドスの『テオゴニア=神統記』や、

 ホメロスのもの、

 オルペウスのものなどがあるが、

 エウリュノメの神話は余り知られていなくて、

 世界で最高の権威を誇る

 英国オクスフォードの『希~英大辞典』にさえ、

 名も出ていないほどだが、

 その内容は次の通りである。

 埋(うず)もれたギリシャ神話の女神エウリュノメ

 埋(うず)もれたギリシャ神話の女神エウリュノメ

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2013年10月2日水曜日

反正天皇のミヅハと弥都波能売(ミヅハノメ)


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録28:16頁

 辞典を引くと

 「みづは 罔象(もうしょう) 水の精、水の神、みづち」と書いてある。

 「みづち」は

 「虯(キュウ)・虬(きゅう)・蛟(こう)(名詞)虯竜(キュウリュウ)、竜の子。

  蛇に似て角と四脚をもち、水中に住むという想像上の動物」と書いてある。

 角と四本脚があるのは竜と同じで、小型の竜だと思えばいい。

 ミヅハノメとは、その女性の神様、

 「虯竜(ミズハ)の女(メ)」で、

 豊玉姫や竜宮の乙姫伝承が想像させるような海神、

 竜の女神、

 それは海に住んで干満を支配するから、「水の神」であり、

 月と同じ機能をもった女神なのである。

 これがわかると、『記・紀』はいろいろ理由を並べたが、

 反正天皇のミヅハは、歯並びが美しいから

 「瑞歯(みづは)」なのだといったり、

 イタドリの花が盃に入ったから、

 つけた名だというような話は後世の故事つけで、

 この女神の名のほうが現実の反正天皇皇后の名乗りであって、

 伊弉諾尊・伊弉冉尊と同様、

 ミヅハのキ(大王)とミヅハのメ(女王)と

 呼ばれていたことの名残りだとみると、

 女王の宮殿跡である可能性の高い水間寺(みづまでら)とは、

 このミヅバの訛ったもので、水間とは水国(みづマ)。

 それは、ワタツミの神・ポセイドンが百済和泉(ポセイヅン)に。

 それから首済倭国(フジワラ)が生まれて、

 飛鳥(あすか)朝まで

 観世音信仰が続いたことに密接に繋がっている。

 こうみてくると、

 またギリシヤとの繋がりが軽視できなくなる。

 それはどんな関係にあったのであろうか?。

 反正天皇のミヅハと弥都波能売(ミヅハノメ)

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2013年10月1日火曜日

罔象(モウショウ)も『日本書紀』が唐向け文書だという証拠


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録28:15頁

 これで『日本書紀』の淡路洲は兵庫の淡路島ではなく、

 伊弉諾尊・伊弉冉尊は大阪湾には

 天降らなかったことがよくおわかり戴けたはずである。

 それは同じ地名が引き起こした錯覚だった。

 『日本書紀』の作者もそれは知っていたが、

 唐の政府に、

 日本には畿内に太古から大帝国があったと思わせるのが

 『日本書紀』を編纂した最大の日的だったのだから、

 作者らはその錯覚を、より有効に利用しようとしたのである。

 『日本書紀』が「唐向け謀略用文書』だったことは、

 小さい点にまで証拠を残している。

 この大阪湾問題に深くかかわっているものがあるので、

 それをご紹介して、

 史実の解明には、些細に見えることでも、

 よく検討する必要があるという実例にしよう。

 『古事記』は伊耶邪美命が火の神を生んで亡くなったとき、

 尿が弥都波能売(ミヅハノメ)という神になったと書いているが、

 これを『日本書紀』は

 「水神 罔象(もうしょう)女(じょ)」と書いている。

 罔象は当時の日本人には意味不明の名だが、

 中国人には

 『淮南子(エナンジ)』の中にも出てくる名前で

 「水の精」のことだとわかっている。

 ところが、

 これを弥都波能売と書くと、

 日本人にはわかるが、中国人にはわからない。

 これだけでも『日本書紀』が国内向けでなく、

 唐の政府に読ませる「唐向け文書」だちたことがわかるのである。

 罔象(モウショウ)も『日本書紀』が唐向け文書だという証拠

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2013年9月30日月曜日

サカとサタの分布とイソップの変種


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録28:14頁

 なぜ間違っているか?。

 それは淡路島は近畿で始めて名付けられた地名ではなく、

 種子島・丹児・但馬と同じ語源をもつ国名の、

 新しい分布地だとわかっているからである。

 それは「淡へ行く道」などという道案内用の名ではない。

 倭や日本と同様に、新植民地を支配する権力者の母国名、

 すなわち出身地名で表示した新「領土名」だったのである。

 方向を指示する地名のサカ→サタも、

 大阪府に入ると姿が変わってしまう。

 サカはサカイ(堺)で、むしろ種子島へ戻っているが、

 サタは、はるかに北の守口市佐太以外にない。

 さらに北上すると古代丹波だった京都こ嵯峨(サガ)があり、

 相楽(そうらく)郡がある。

 この郡は古音サカラカ。

 しかしサタは出雲までいかないとない。

 島根県八束(やつか)郡鹿島町に佐陀本郷と佐陀宮内とがあり、

 ここは戦前は佐太村で、昔の国幣(こくへい)小社・佐太神社がある。

 『出雲国風土記』島根郡加賀郷に「佐太大神のいます所」とあり、

 加賀の神埼(さき)の説明に小文字で注記して

 「佐太大神の産まれた処、

  その産まれたとき弓矢がなくなった。

  枳佐加地売命(キサカジメのミコト)が祈ると水面に角(つの)で作った弓矢が浮き出た。

  命がこれではないというと、今度は金の弓矢が流れ出てきた。

  命はそれを取って「この窟(いわや)は暗い」といって岩窟を射抜いた……」

 という話が書き添えてある。

 これは先にお話ししたイソップの『金の斧』の変形だということが、

 すぐおわかりになったと思う。

 サカとサタの分布とイソップの変種

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2013年9月29日日曜日

中国地方を進んだ日本、四国を進んだ倭


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録28:13頁

 九州から近畿へ丹波と播磨を運んだのは、確かに日本(ヤマト)だった。

 しかし今みた地図で見ると、

 そのうちの淡路島は四国を進んだ倭国と無関係だったとは思えない。

 なぜなら反正天皇は倭の五王の一人、

 倭王・済だったことは疑いないから、

 彼は倭王・讃(仁徳天皇)が確保した阿波と讃岐から出発して、

 大阪府南部の田尻に進出している。

 彼の前の倭王・珍も茅沼(チヌ)(大阪府泉南)・

 紀(キ)伊の(ノ)宮(キノ=チヌ=沖縄語、和歌山県)を確保している。

 ということは、

 四国から大阪、和歌山への最短距離に並ぶ淡路島と紀淡海峡の島々は、

 徳島と和歌山と大阪とを結ぶ重要な三叉点にあるから、

 倭王たちの重要な領土だったはずだからである。

 だから淡路島は、同じ兵庫県だといっても、

 丹波と同時の命名でないことは、

 その当て字の違いをみても明かだ。

 丹児は日本の当て字、淡路は倭の当て字だと分類する必要がある。

 では次は、そのコースを倭の五王の名乗りで見てみよう。

 それは阿波から淡路島、そして和歌山・大阪の順に確保されている。

 西から東へ移っていることは疑う余地がない。

 これは淡路島とは、

 「阿波へ行く道の島」という意味の島名ではないことを証明している。

 それは逆に大阪へ行く道の島だったのだから、

 大阪のオオは「淡(オオ)」で

 そこへ行く道だから淡路島と名付けられたといったほうが、

 むしろ正確である。

 しかしそれも間違っている。

 中国地方を進んだ日本、四国を進んだ倭

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2013年9月28日土曜日

「畿内説」を完全に否定する播磨と高砂


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録28:12頁

 このことは、これまで大問題だった邪馬壹国の所在地は「畿内ではない」と

 結論する最も重要な決(き)め手である。

 なぜならそうした合体政権は、他にも多くの敵味方国連地名を共有している。

 たとえば高砂(たかさご)の尉(じょう)と姥(うば)は、壹與がモデルである

 『竹取物語』に起源をもつ。

 (私(加治木義博)著『日本国誕生の秘密はすべて「おとぎ話」にあった』ご参照)。

 この高砂も、播磨の中では重要な市(し)の名になっている。

 高砂の老夫婦は、皇国をヒロインとする伝承の登場人物なのだから、

 高砂は卑弥呼女王国の首都だった巴利国とは、

 全然無関係な名である。

 高砂が大きな地名として混入している播磨は、

 発音は卑弥呼の旁国・巴利国(ハリマ)と同じでも、

 卑弥呼の旁国ではなく、

 壹與以後の後世の移住先地名であって、

 時代も内容も巴利国(ハリマ)と一致しない。

 播磨は壹與政権成立以前の卑弥呼時代には近畿にはなかった国で、

 邪馬壹国の誕生以後に生まれた移住先名だとはっきりしている。

 当然、卑弥呼時代の巴利(パーリ)国では絶対にない。

 卑弥呼の都で、

 その後、邪馬壹国になった人口が七万戸もあった

 巴利国に合う地名をもつ市町村は近畿にはない。

 その巴利国は「近畿以外で同音の名をもつ土地」にあった。

 それに合う土地は日本列島全域の中にも、

 鹿児島県の姶良郡隼人町プラス国分市にしかない。

 これは「卑弥呼は播磨にも近畿にも絶対にいなかった」という、

 最強の、動かぬ証拠なのである。

 「畿内説」を完全に否定する播磨と高砂

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2013年9月27日金曜日

丹波や淡路を運んだのは倭国か日本国か?


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録28:11頁

 淡路島から但馬までが現在の兵庫県下にあること。

 それは確かに、播磨(ハリマ)=巴利国(ハリマ)、だったことを示している。

 そしてさらに上古には、

 丹波は兵庫県全域から京都府全域までを包含(ほうがん)していた。

 それは当時の大和、

 現在の奈良県北部の10倍近い大きさをもつ

 超大国だったことを決して見落としてはならない。

 だからこそ、その実力が、近畿を支配する政権を手に収めさせたことは、

 ごく当然だったとわかるが、それは卑弥呼時代ではなく、壹與時代でもなく、

 はるか後世になってからである。

 『魏書倭人章』が記録した倭国連合が、仮に近畿圏だったとしても、

 卑弥呼が3世紀に奈良にいて、それを支配した可能性は全くない。

 では丹波は、いっ?、

 倭国(ウワイ)か日本国(ヤマト)か?、

 どちらの勢力が占領したものなのであろうか?。

 この謎の答は、次のようにすれば見つかる。

 その丹波の西半分のそのまた南半分が、中古になると播磨になる。

 その発音や前後の歴史から、播磨は巴利国の後身であることは疑いない。

 だとすると、淡路はヤマトと一心同体だったはずなのに、ナゼ?、

 その山人(ヤマト)とは

 敵の巴利人(ハイト)=海人(ハイト)の勢力圏にあるのだろう?。

 と不審を抱かなくてはならない。

 すると壹與は巴利国とは確かに戦ったが、

 卑弥呼政権を倒した後、巴利国を自分の国・邪馬壹国にしたから、

 それ以後はハリマが、当然、その日本国(ヤマト)の大移動に加わったのだとわかる。

 丹波や淡路を運んだのは倭国か日本国か?

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