2012年6月26日火曜日
世界有数の文化圏を指す「膂宍之空(りょにくのソラ)国」
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録12:25頁
《世界有数の文化圏を指す「膂宍之空(りょにくのソラ)国」》
「世界有数の文化圏を指す「膂宍之空(りょにくのソラ)国」」
『日本書紀』神代下、天孫降臨の部分に、
ニニギの命が天降だった国を「膂宍之空国」と書いてある。
津田左右吉はこれを
「ソジシのムナクニ」と読んで、
「背の肉のように痩せた地」と解釈して、
「そんな未開地がどうして皇室の発祥地でありえたであろうか」といい、
「神武東征が日向を出発点にしているのはおかしなことである」と、
『記・紀』の記事を否定してしまい、
それが今も、
「応神天皇以前は史実ではない」として
義務教育から抹殺してしまった現行文部行政の拠り所になっている。
果たしてそれで正しいのだろうか?。
「膂宍之空国」と書かれた地域が霧島連峰の高千穂付近であることは、
その記事に詳しく地名が挙げられているので誰にでもわかる。
「膂」の発音は ソ ではなく リョ で背骨のこと、力という意味もある。
「宍(にく)」は肉の字の古い形で当時はニクと発音。
「空」はソラだから」蘇に国称のラで蘇国のこと。
当時の蘇奴国は未開どころか、
津田氏が史実を知らずにコジっけた浅薄な空論とは正反対の、
ギリシャとインド文化が重合した、
世界有数の宗教文化圏の中枢だった。
「膂宍之空国」は津田説とは逆に
「強力で豊かな国」を形容した
「逞しい筋骨筋肉のように強力なソの国」
という意味以外は考えられない。
かりに空国はカラクニだったとしても「姶良=カラ」国であって、
ソの国と同じ地域、同じ意味で少しも変わらない。
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蘇奴国も仏教がもたらした国
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録12:24頁
《蘇奴国も仏教がもたらした国》
「蘇奴国も仏教がもたらした国」
このソナの名乗りは、
『日本書紀』崇神天皇65年秋7月に
任那(みまな)からやってきた使者の名としても現われる。
蘇那曷叱智(ソナカシチ)である。
この人物については大量の謎解きが必要だし、
それはすでに大半が私の著書に掲載されているので、
ここでは関連する名乗りだけを挙げておく。
ソナカ長老 アショカ王仏教宣布団の東方布教最高指揮者とその後継者
ソナカ夫妻 足仲彦(仲哀天皇)『日本書紀』 息長帯姫(神功皇后)『古事記』
ソナカヒメ 石長比売(ニニギの命の妻・木花之佐久夜毘売の姉『古事記』)
このうちのソナカ長老は私の研究結果であるから、
まさかインドとは関係はなかろうという人がいると思う。
しかし、
蘇奴という国名はインドのものと同じである。
その国はもともと
紀元前にアレクサンドロス大王が残したバクトリア地方の国で、
漢字では「叟那(ソナ)国」と書かれるギリシャ人国家だったが、
インドに侵入してB.C.E.2世紀には王国を建投した。
その結果、それまで存在しなかった仏像=ガンダーラ仏が生まれたが、
その像はインド人が現在も履かないサンダルを履いている。
日本人も草履や下駄を履く。
後にお話しする巴利国とともに、
この蘇奴国も仏教がもたらした国名とみるほうが、
より合理的である。
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2012年6月25日月曜日
2世紀より前からあった蘇奴国
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録12:23頁
《2世紀より前からあった蘇奴国》
「2世紀より前からあった蘇奴国」
では旁国時代にはそれはどの辺りにあったか。
この『倭名類聚鈔』の宮崎県を指す
日向国の諸縣(もろがた)郡には、
現在は鹿児島県曽於郡に入っている財部(たからべ)がある。
一方、
囎唹郡には志摩があるが諸縣(もろがた)郡にはない。
さきにみた斯馬国の嶋津の庄は
いまの宮崎県・都の城市で、
曽於郡と隣りあっているから、
この志摩は嶋津の庄である。
これをみると国境は不動のものではない。
いくらでも位置を変えるので、
こんなに入れ代わったのである。
ここでは斯馬国が蘇奴国といかに隣接していたかを、
よく実感しておいて戴きたい。
この蘇奴国は、いっごろから存在していたかも記録に残っている。
前にも繰り返し高句麗は鹿児島県が本拠だったことをお話ししてきたが、
『三国史記』の高句麗本紀・太祖大王の「宮」
(陳寿の『魏書・東夷・高句麗章』は位宮の祖父だと書く)
20年春2月の記事に
「伐 藻那 虜 其王(ソナを討ち、その王を捕虜にした)」と書いてある。
宮の名乗りは「宮之城の王」だから、
このソナ国は蘇奴国以外にはない。
助詞のノとナは変わるがソは国名の主語だから
発音が同じなら同一の国である。
近い時代に同じ地域に同じ名のソの国が、
幾つもあることは絶対にないからである。
蘇奴国は宮の時代にはすでに存在していたのだ。
宮は後漢の本初元年(146)に老齢で退位しているから、
卑弥呼即位よりはるか以前だ。
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地名分布の理由と時期に注意
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録12:22頁
《地名分布の理由と時期に注意》
「地名分布の理由と時期に注意」
それは先にお話しした薩末(さつま)比売の乱のあと、
朝廷が和銅7年(713)に大隅の国を置き、
翌 和銅7年に
「隼人は昏荒(こんこう)野心(心が暗く荒く野蛮)、未だ憲法を習わず。
よって豊前の民二百戸を移して勧導(指導)lさせる」
と勅命して移民を送りこんだ記録があるからだ。
『倭名類聚鈔』当時の大隅国には「桑原郡」があったが、
そこに豊国郷と大分郷があり、
その隣りの囎唹郡に方後郷があるのは、
この8世紀の移民によるものだから、
もちろん3世紀にはこの3つの地名は、この付近にはなかった。
発音に気をとられて早呑み込みすると、
大変な過ちを犯してしまうことが、よくおわかり戴けたと思う。
だが平城京政府がそこまで対策に悩んだのには理由があった。
そのあたりは広大な襲の国の後で、かつての首府である。
しかも平城京で支配権をふるっている連中は熊襲の出身者で、
もとをただせば同じ一族であり同輩である。
それが辺境に取り残されたばかりに、
威張りかえった奴等に見くだされ、
高い税を取り立てられるのは我慢ができない。
その結果は6年後の養老4年に蜂起して、
大隅国守の陽侯史麻呂(ヤコのフビトマロ)が
殺害された大反乱に発展してしまった。
こうしたことを視野に入れると、
蘇奴は旁国中でも大国で、
あまり遠絶していず、
重要な首都・隼人にほとんど隣接していたことがわかると思う。
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蘇奴国の版図(はんと)は時代によって変わった
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録12:21頁
《蘇奴国の版図(はんと)は時代によって変わった》
「蘇奴国の版図(はんと)は時代によって変わった」
この侵入者は、
神話の山幸彦=彦火火国見の尊と狗奴国男王と位宮とだが、
結局は1人の位宮に集約され、
さらに神武東征もまた、
そのバリエーションだったことが、詳細な分析でわかっている。
熊襲梟師(たける)とは位宮すなわち垂仁天皇以外のだれでもない。
以上で、卑弥呼時代の蘇奴国は大隅を指していたことがわかった。
必ずしも現在の曽於郡には限らない。
位宮の別名が熊襲で、
その熊襲は隼人町で殺されたから、
当時の襲の範囲は少なくとも隼人町まで含んでいたことになる。
だがそれは位宮時代であって、卑弥呼時代の蘇奴国ではない。
国の版図(はんと)は時代によっては時々刻々変わるし、
位宮壹與革命では一瞬にして変わったことが理解できなくては
旁国の研究はできない。
流動していたものを静止させて、
それをさらに現代の地名に当てはめようとするなら、
それは発想が間違っているのである。
その好例は、
現代の地名どころか10世紀の『倭名類聚鈔』にある地名さえ、
うかつには使えないという地名が実在していることである。
その地名は囎唹郡の中にある「方後」だ。
これは不呼のホーゴに完全に一致するし、
またこの方後は、間違いなく豊後のことだから、
これが不呼国だといえば、なるほどと納得する人は多いはずだ。
しかしその地名が囎唹郡の中にある理由がわかっていると、
これを旁国の不呼だと主張することは絶対にできない。
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熊襲とは熊毛から大隅に侵入した王名
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録12:20頁
《熊襲とは熊毛から大隅に侵入した王名》
「熊襲とは熊毛から大隅に侵入した王名」
蘇奴 so no 国は
大隅半島の旧名として非常によく知られた
「襲(そ)の国」と全く同音である。
熊襲とは、球磨(熊本県球磨郡)と、
それに隣接する古代大隅=襲の国とにまたがる
名乗りだというのもまた定説のようになっている。
しかし10世紀の『倭名類聚鈔』では
襲の国は大隅の国囎唹(そお)郡と名が変わっている。
これは先に見た
和銅6年の
「諸国の郡や郷の名には好い文字をつけよ」という官命に従って、
1字のものは2字にするため囎唹と当て字しただけのもので、
それ以前は1字の襲だったから、襲の山という地名は戦後も残っていた。
この囎唹郡と球磨郡は余りにも離れすぎていて、
熊襲の領地の名乗りとするのは無理すぎるから、
3世紀の熊襲は熊毛の熊と、
大隅半島の総称だった襲とのことで、
熊本県の球磨や熊本は後世に発展し移住した先で、
熊襲とは直接の関係はないことがわかる。
で熊襲はどうして大隅半島の総称だったのか。
襲には衣服としてのオスヒという日本訓みがあるから、
Osuhi と Osumi を比較してみると
オスヒをオスビと濁れば、
ビとミは「美」の2音で、
すぐ入れ替わるから襲は大隅に対する当て字だったことがわかる。
その襲=大隅は熊の次にくるから熊毛のほうが上位にある。
熊襲とは熊毛から大隅に侵入して
両方を支配下においた人物を表現した名乗りだったと、
認知しなければならない
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対蘇は津和野へ行き、帖佐になってしまった
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録12:19頁
《対蘇は津和野へ行き、帖佐になってしまった》
「対蘇は津和野へ行き、帖佐になってしまった」
対蘇 twad so は「ツワド・ツワゾ」に最も近い。
ドはノとすぐ交替するから、
島根県の西端にある津和野がよく合うが、
そこはJRの山口線があるから有名な観光地になったが、
鉄道がなければ辺境で、
九州には近くても、
とても旁国に数えられるような地理的条件は、もっていない。
島根県は出雲・石見(いわみ)で構成されているから、
鹿児島県の出水(いずみ)人の植民地であり、
日向神話と密接につながった出雲神話の保有国でもあるから、
この地名も南九州からの移住者である可能性が高いが、
すでに南九州には、対蘇に合う地名はなくなっている。
だが、沖縄語人がそれを消したとすると、
語尾のドやソの母音は o が u か a に変わっているはずである。
そこで語頭がツで語尾がスかサの鹿児島型短縮音の地名を探すと、
ピッタリの「帖佐」がある。
これは今の鹿児島県姶良郡姶良町の古名で、
今はJRの駅名と姓に残るだけになっているが、
「ツサ」と発音するから、短縮音 tw sa と完全に一致している。
帖佐と津和野の2つの地名は、
こうして今でも元は1つだったことがわかるが、
これには有力な傍証がある。
それは石見地方の言葉の発音と抑揚が、
鹿児島語のそれと実によく似ていて、
アクセントだけ聞いていると間違えることがある。
これは同じ言語と地名が分裂移動したことが事実であって、
以上の推理が正しいことの動かない証拠なのである。
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