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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
セブンネット
※出典:『日本創世記』著者「小嶋秋彦」:200~208頁
倭人伝が記す「会同〔集会〕と天安河の「神集い」①
倭人伝を注意深く読むと倭人及びその社会の性格がみえてくる。
まず「風俗不淫」とある。
これを東洋文庫は「倭人の風俗は規律正しい」と読み下している。
確かに大漢和辞典が「淫」字の語義として「みだれる、みだす」と
上げているので、その否定として「みだれない」となり、
その品性が公正であると説いていると理解できる。
また「婦人不淫不妬不盗」とある。
こちらの「淫」は性的な品行をいい
「婦人はみだらでなく嫉妬もしない」との意味だが、
「不妬」はあまり信じられない。
重要なのは「不盗」とある記述で「盗難がない」と理解される。
この「品行公正」「不盗」は完全でないにしても現代20世紀まで
日本人が公明正大との社会通念として体現してきた気風であった。
21世紀に入った今日、そのような風潮は危機に瀕している。
更に重要な記述がある。
「其會同座起父子男女無別人性嗜酒」と
述べられていることである。
紀元前後には倭では社会習慣として
「集会〔會同〕」が行われていたのである。
本書第2章(9)の「(b)弥奴国」で
吉野ヶ里遺跡には祭壇と大きな建屋はあっても、
それは「王宮」ではないと説明したように、
国々は住民による会合を行っていて
大きな建屋はそのためのものであったとみられる。
「会同」とは現代中国でも常用している「共同する」との用語で、
倭人伝の文面からすると、それは「集会」である。
東洋文庫はそこを
「集会では座席の順序や立ちふるまいに
父子や男女による区別はない」と読み下している。
この部分の解釈については、
倭は未だ未熟(未開)な社会だから
出鱈目に座ったり振る舞っただけでだとする向きが
これまでの見方としてあるが、それは妥当としない。
その一般生活の習慣として、
「大人所敬〔大人(有力者)に対して尊敬を示す法〕」や
「下戸興大人相遥道路~
〔下戸(下級の者)が大人と道で出会った場合〕」の
作法との説明があり、
この「集会」においての仕方は全く独特であり、
極めて特筆に値する。
そこに指摘されている内容は「男女の差別がない」
「父子といった社会的序列もない」という。
座る者〔参加者〕は一切「平等」という仕様である。
こうした集会は祭壇の近くで、
あるいは巫師の同席の下行われたに違いない。
つまり神の前との観念である。
それは「神社」の思想でもある。
日本では現代に至っても神社の氏子制は継続されている。
江戸時代でさえ徳川将軍も神田明神や日枝神社の一氏子であった。
歴史の実際として「氏」は漢字として「家・家系」だが、
本来の「ウジ」はシュメル語の uzu 〔占い師:巫子〕による表現で、
その巫子に信頼し従う人々を「氏子」といったのである。
巫子は「ヒメ」であったと既に説明した。
繰り返すと「ヒメ」 pa-me 〔呼ぶ‐神託(神の命令)〕が
その役務であった。
「氏子」とは
その「集団(集落など)が奉祭する神の命令に従う者たち」である。
それも問題を直接的に神に伺いを立てるのではなく、
前もって氏子たち構成員たちが集会を開いて相談しあい
決定を得られた場合はそれで済みとなるが、
意見対立でどうにも纏まらない場合に限り巫子を通して
神託を受けるための神事を行ったのである。
つまり物事は神前での平等を基礎に決められていたのである。
そういう社会状況下、
卑弥呼は倭の共和国全体の最高の巫子(女)であったのである。
倭人には「集会を開く」社会習性があった。
それは日本文明の特性として涵養され続け、
後代の「惣」を生む状況を作った重要事項であった。
その祭壇は「神社」として確立され、
その体制は現在世界に類をみない博愛共生の思念となっている。
それは神道などではない「神社」の思想である。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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