2012年3月7日水曜日
もう1つの分類「女王国以北」と「以南」
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録08:9頁
もう1つの分類「女王国以北」と「以南」
《もう1つの分類「女王国以北」と「以南」》
「もう1つの分類「女王国以北」と「以南」」
『邪馬台国大和説や畿内説』は、
『魏書倭人章』という貴重な記録を「無視して」というより
「全然、読めなかった」ために、とんでもない学説を生んだ生きた実例であるが、
実はその『魏書倭人章』の編集者・陳寿もまた、大きな編集上の誤りを犯している。
それは倭人の世界に短期間に起こった政治上の激変を見落として、
安易に、下手につなぎ合わせてしまったからである。
どこがおかしいのか見てみよう。
彼の分類方法は
「戸数道里 可 略載」の国々と
「女王国」と、
「遠絶 不可得 詳」の「旁国」との、
3つに分けたものだが、よく読むと、
もう2つ別の分類が見つかる。
そこには明瞭に
「自 女王国 以北 其 戸数 道里 可、略載」とあるから、
「女王国 以北の国」と、
「女王国 以南の国」に分類している。
するとこの分類では旁国は
「女王国 以南の国」になる。
またその旁国以外に「女王に属さない」狗奴国も挙げられているから、
もう1つ「女王に属した国々」と「女王に属さない国」という分類がある。
伊都から南へ水行十日の地点はともかく、
その倍の距離を水行する投馬国になると、
どうしても南九州南端より、
さらに南の海上にあることになる。
するとこれは見逃せない大問題である。
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2012年3月6日火曜日
再起不能、全て不合理な『畿内説』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録08:7~8頁
《再起不能、全て不合理な『畿内説』》
「再起不能、全て不合理な『畿内説』」
北部九州説は伊都国以後の方角も、水行も、距離も
全然『魏書倭人章』に合わないので、
検討する価値すらない。
そこで未だに主張している者のある畿内説を取り上げて検算してみよう。
それには伊都国の問題がいちばん理解と評価に便利である。
畿内説では現在の和歌山県伊都郡が、伊都という文字が同じだから、
『魏書倭人章』の伊都国だということになるが、
ここもそれ以後の方角も、水行も、距離も全然『魏書倭人章』に合わない。
奈良は南どころか北にあり、水行どころか山また山に隔てられて
陸行すら困難な位置関係にある。
また定点である出発点の末盧国=佐賀県の松浦地方からみても、
指定された方角「東南」にはなく、
はるか東に当たるし、距離も500里ではなく、10000里も離れている。
また『魏書倭人章』は
「女王国は帯方郡から12000余里のところにある」とも記録している。
これを計算してみると、
帯方…拘邪韓…対馬…一大…末盧…伊都まで合計
7000 1000 1000 1000 500 10500
これを
12000里から引いた1500里のところに女王国はある。
畿内説というのはどんなに検討しても、
何ひとつ『魏書倭人章』の記録に合わない。
再起不能は決定的だ。
そんなものを侯補に挙げるだけでも余りにも非論理的で、
その知能指数を疑うほかない。
でも念のため仮に邪馬壹国を奈良だとして、
その北へ「水行十日 隆行一月」行った土地に、
伊都国に相当する土地があるかどうかみてみよう。
この距離ははぼ170km以上あるから約半分進めば若狭湾の海面に出てしまい、
伊都国は日本海にあることになるが、その辺りには島もない。
だから、さらにその北西に末盧国があり、
その北に壱岐と対馬に当たる島があるかどうかは、
地図を見さえすれば、いまだに唱える人間のいる『邪馬台国大和説や畿内説』が、
どれくらいバカげた無茶苦茶な~「学説?」か、子供でもよくわかるのである。
これだけ見ても畿内説は『魏書倭人章』とは何の関係もない勝手な説で、
『魏書倭人章』が読めない素人による空想作文に過ぎない。
とても学問とは認められない暴論である。
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2012年3月5日月曜日
女王国以北」と「以南」・奇妙な幻視「南九州空白」
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録08:5~6頁
《「女王国以北」と「以南」》
「「女王国以北」と「以南」」
《奇妙な幻視「南九州空白」》
「奇妙な幻視「南九州空白」」
「地図」:「女王国以北」と「以南」
対馬国~一大国(壱岐)~末盧国~伊都国(牛津)~八代~姫木
壱岐~松浦川 千余里 55.0km
松浦川~牛津 東南 陸行 五百里 27.5km
牛津~八代 南 水行 十日 82.5km
八代~姫木 陸行 一月 150.0km
「地図」:奇妙な幻視「南九州空白」
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2012年3月4日日曜日
論争を想定して検算しておく
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録08:4頁
《論争を想定して検算しておく》
「論争を想定して検算しておく」
「自 女王国 以北 其 戸数 道里 可 略載」というのだから、
これが邪馬壹国と、
それ以北の7カ国とを指していることは明白で、
疑問点はほとんどない。
このうちの対馬国、一大国、末盧国、伊都国の所在地も、
現在の長崎県の対馬から佐賀県の牛津に至る地点で、
それが動かぬ定点であることも、
すでに詳しく検討ずみで疑いの余地はないが、
それでも念をいれて再検討してみると、
末盧国は佐賀県の松浦地方で、
それから東南に500里の地点に伊都国があったというのだが、
500里は対馬と壱岐との距離の半分だから、
佐賀県の牛津が、末盧国からの方角、距離ともにぴったりの位置にあり、
地名も
「伊都=イツ=5」
「牛=ゴ=5」で、
後世に当て字を変えたため、読み替えがおこって、
わかりにくくなっていただけだというのが答えである。
しかしこれを疑ったり、
対立する立場にあったりして、
この答えを受けいれない人々がいる場合、
この結論をさらに補強するにはどうすればいいか?…。
それは数学でいう「検算」をすればいい。
出た結論と逆の「相手の視点、柏手の立場」を想定して、
その異なった結論なら疑問点は残らないか、
立場を変えて逆算してみて、どちらが有力か、
真実かを比較検討してみるのである。
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2012年3月3日土曜日
明確に記録されている「女王国の位置」
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録08:3頁
《明確に記録されている「女王国の位置」》
「明確に記録されている「女王国の位置」」
前回までで倭国の外郭はほぼ解明し終ったので、
次はその内容を深く掘り下げる着眼点とその技法についてお話ししていこう。
『魏書倭人章』は、「倭人を構成する国々」を、丁寧に分類して規定している。
「自 女王国 以北 其 戸数 道里 可 略載。 其余 旁国 遠絶 不可得 詳」
ここでは「女王国以北の国」と、「其余 旁国=それ以外の国」とに大別している。
特に注意がいるのは、
① 「戸数 道里 可 略載の国」と、
② 「女王国」と、
③ 「其余 芳国」の
3種類に分けている点である。
なぜならこれは「女王国とはどこか」という過去最大の争点に、
まるで疑問の残らない、
はっきりした結論を下せる記録だからである。
その国名は、「戸数道里 可 略載」の国々=
対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、邪馬壹国の8カ国であるが、
このうちの邪馬壹国には「女王の都する所」と明記してあるから、
これは別に区別して
「女王国」=邪馬壹国と分類する必要がある。
「旁国」=「遠絶 不可得 詳」で国名だけ挙げてある国々。
斯馬国に始まって奴国までの21カ国である。
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2012年3月2日金曜日
マニュアル化して、ご送付下さい
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録07:25~26頁
《マニュアル化して、ご送付下さい》
「マニュアル化して、ご送付下さい」
紙数に限りのある講義だから、
もちろん全てをご覧に入れるわけにはいかないが、
1字の『倭』に、
これだけ多数の問題があり、
それが歴史の謎と疑問を
次々に解き明かしてくれたことが、
よく御理解戴けたと思う。
これで『倭』をめぐる問題は一応完了した。
過去には『倭』といえば、
ただ「ワ」と「ヤマト」の二種類の発音で読むだけで、
『倭人』を「ワジン」と読んで平気でいる程度の説しかなかった時代が、
最近まで長く続いていた。
それを克服して、
こんなにけた違いの知識をもったのは、
世界でも私たちの学会だけであり、
海外の史学でも、
これだけ完全な究明技術はまだ開発されていない。
その意味でこの講座は世界最高の内容をもっていることを、
誇りに思ってよいのである。
これからもさらに、
まだまだ充実した教材で、
圧倒的な成果をご覧に入れ、
世界を指導するに足る実力を備えて戴くつもりである。
そのためにも本講座を無駄になさらないようご
自分で内容を分析して細かく整理して、
ご自分用にマニュアル化して戴くことをお願いしたい。
それには最初に6つ挙げた本学の基礎条件を、
各命題ごとに当てはめてみて、例題の構造を分析し、
何が謎か、
何がカギか、
何を探せばいいか、
それはどこにあるか、
それで集まった証拠は本当か、
それが本物ならどう提示すればいいか、
それを整理して正確な時間帯に配列すること、
それによって何が浮かび上がったのか、
それを再検討の上、
その結果をぐらつかない史実として確認すること、
その記録表現の再検討、
それは人類にとってどんな価値、
どんな意義をもつのか、
その評価、
といったことなどを忘れずに加えて、
発表し、蓄えて、人類の至上の宝を殖やして行く。
これは人として最高の仕事である。
日本の現状を振り返ってみれば、
文化として真に価値のあるものが余りにもなさ過ぎる。
いまだに室町期のままの技術と思想と価値しかないものが、
無批判にもて囃されているという現状に気がつかない。
なぜそんなものが大切にされるか…。
それは野蛮な時代にそれだけのものが花開いたという喜びを、
誇示し保存しようという本能的な衝動のせいだが、
それは当時こそ先進文化でも、
今から広く世界の文化遺産に注目すれば、
比較にならない後進性が恥ずかしい程のものに過ぎない。
真の評価基準に間違いがあることに無知だからなのだ。
私たちはそれより、まだ未開のままの日本史を開拓して、
私たちの先祖の歴史の苦闘のあとを正確に復元し、
人類の真の幸福を祈って、
呪うべき時代の再来を防ぐ努力をしたほうが真に生き甲斐がある。
上記のマニュアル化が出来上がったらお送り下さい。
それによって見落としや誤解があれば、
それを指摘し補足することで今後の失敗を少なくし、
より高い実力を確立して戴くことができると信じている。
ご努力をお祈りします。
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2012年3月1日木曜日
沖縄の国名の変遷による史実の証明
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録07:23~24頁
《沖縄の国名の変遷による史実の証明》
「沖縄の国名の変遷による史実の証明」
日本列島に移動してきて日本人を構成した人たちが、
どんな人々だったかを示し、
記録しているものに、
伝承されて今もよく知られている地名の呼び名がある。
それは過去には単なる別名ぐらいにしか考えられていなかったが、
こうして次々に真相が明かになると、
それらは無意味な別名ではなくて、
それぞれが私たち日本人にとって、
ゆるがせにすることのできない重大な史実であり、
いつ、そう呼ばれていたか、
それはなぜだったかが明瞭に理解できるようになった。
それは同時にこれまでお話ししてきた歴史が、
すべて根拠のある真実の歴史だったことを、
完璧に立証しているのである。
1 <ウルマ>
英国のウーリーの発掘で有名なメソポタミヤの大都市国家
[ウル]国(マ)=最古の国名=第一王朝建設B.C.E.3000年頃。
そのあとを継いだ第一バビロン王朝の滅亡(B.C.E.1750年頃)によって
カルデア人=カリエン人たちが東へ移動し、
沖縄についたのは殷時代(B.C.E.1500年頃)より前、
それが更に中国本土に入って中国最古の王朝・夏を築いたが、
殷人が侵入してきて商王朝を興し、
夏王朝を倒した。
皮肉なことに殷商帝国を強力にした殷の貝貨幣は、
琉球列島に残って貝貨幣産業で栄えていたカリエン人が供給したものだった。
殷人はインディアという名前への中国式当て字。
その青銅器製作技術は、
B.C.E.1500年頃に西アジアから伝来しているのでカルデア人=カリエン人たちが東へ移動し、
夏帝国が誕生した時期に一致している。
この琉球カリエン人たちが国名を故郷と同じ[ウルマ]とつけなかったなら、
今の沖縄に「ウルマ」という古い国名は残るはずがない。
また殷人の同族は、縄文時代後期には、すでに茨城県稲敷郡の福田貝塚に、
殷人と同じ信仰をもっていたことの明かな、
より原始的な宗教遺物を残していること、
「稲敷」という名は「殷の儀式=祭り」を意味する発音をもっているから、
殷人の聖地に当たり、
それは単に殷人が知っていたというだけでなく、
正確に2200km東西に大測量をして都の位置を決める起点にしている事実など、
どこからみても殷人は日本列島に故郷をもつとみるのが妥当だから、
日本列島から中国に移動した人たちだったことは動かない。
2 <流求>
この発音は、現地では「ルク」と発音されていた。
これはドイツのルクセンブルクがギリシャ名の「ルキウス」に語源があるのと同じく、
古代インド東アジア帝国のギリシャ人皇帝ルキウスの支配下にあるという意味の
[ルキウス国]への、中国人による漢字の当て字であるとみると、
アレクサンドロス大王の残したルキウスはB.C.E.2世紀の人。
日本の弥生時代の始めに合う。
また日本語に大量のギリシャ語が入っていること。
『日本神話』のモチーフは100%『ギリシャ神話』と一致するので、
ギリシャ人が私たちの先祖であることは全く疑問の余地がない。
3 <ウチナ>
[大秦=ウチナ]。
徐福(徐市=どちらもジョフッ)が、秦の始皇帝の命令を受けて、童男童女、数千人を連れて
山東半島から支那海へ航海に出た後、日本へ着いたという記録がある。
紀元前200年頃。
この秦は秦氏が実在し、天武天皇の名乗りが始皇帝の子孫を意味しているなど、
多数の文化財を残しているのでこれも疑問の余地がない。
詳細はそれぞれの専門項目でご覧戴きたい。
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