2014年12月11日木曜日

久國神社由緒記


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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 《課題》江戸の古代を解明する
     ―地名が語る愛宕山、六本木周辺の始まり―
 
 ≪久國神社由緒紀≫ひさくにじんじゃ

 久國神社

 御祭神
  
  倉稲魂命(うがのみたまのみこと)

   古来より五穀を始め全ての食物や養蚕の「農業神」「福徳神」として、

   商売繁昌殖産興業の守り神です。

 鎮座地

  東京都港区六本木二丁目十六号

 御由緒

   当社の勧請は年月不詳ながら、古くは元千代田村紅葉(現皇居内)に

  鎮守されていましたが、長禄3年(1457)太田道灌江戸築城につき、

  寛政6年(1465)溜池に城隍の鎮守として遷座され、

  のちに久國作の刀が寄進されましたので久國稲荷神社と称しました。

  永禄3年(1560)基地が公用に属しましたので寛保元年(1741)に

  当所に遷座されました。

  当時の溜池には神木の榎がありましたが現存していません。

  昭和2年(1927)10月25日久國神社と称するようになりました。

 例祭日

  6月8日

 御社殿
 
  明治7年(1874)8月の記録には、

  「先年青山辺ヨリ出火ノミギリ類焼ニツキ仮宮」とあり、

  明治21年(1888)5月6日拝殿再建、

  大正11年(1922)6月本殿、拝殿、社務所を再建しましたが

  昭和20年(1945)5月25日の大空襲で

  御神輿庫、御水舎を除き全焼しました。

  昭和28年(1953)8月復興再建し現在に至っています。

 末社
 
  猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)

 御祭神

  猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)

   人間の運命を開く神、交通安全の守り神です。

 例祭日

  4月11日

 御宝物

  長刀 一振    久國作

  宝剣 一振    天國作 

  御神像      高村光雲作

  「久國神社」額   勝安房筆

  「久國神社」鳥居額 香取秀真作

  御神號      東郷平八郎

  白磁の御酒器一対 宮川香山作

  「小鍛冶」     森村宜永画

 神楽殿
 
  昭和8年(1933)に改築しました神楽殿は氏子の一人でありました

  村上委山先生に松の画をかいていただきましたが

  昭和20年5月25日の戦火で消失してしまいました。


 氏子

  谷町、箪笥町の二ヶ所、

  昭和42年(1967)7月1日の地番変更により

  六本木1、2、3丁目となりました。

  しかし、従前通り谷箪町会(谷町、箪笥町の略)と呼称しています。

 七福神

  当社、町会の所祭事、諸行事などにより氏子の方々始め

  皆様方に尊敬されております。

   港区七福神の一つ布袋様も合祀されており、

  港区観光協会主催の「七福神めぐり」が

  昭和34年(1959)から発足したのを始めとして

  毎年正月の初詣には参詣の人達で賑わっております。

 久国神社の由緒

久国神社の創建年代は不詳ですが、古くより千代田村紅葉(皇居内)にあったといい、太田道濯が江戸城築城の際、寛正6年(1465)城隍の鎮守として溜池に遷座したといいます。寛保元年(1741)当地に遷座、昭和20年久国神社と改称したといいます。

 「東京都神社名鑑」による久国神社の由緒

勧請年月不詳ながら、古くはもと千代田村紅葉(現皇居内)に鎮座されていたという。長禄元年(一四五七)太田道濯江戸城築城につき寛正六年(一四六五)溜池に城隍の鎮守として遷座され、後に久国作の刀が寄進されたので久国稲荷神社と称するようになった。永禄三年(一五六〇)その地が公用に属したため、寛保元年(一七四一)に当所に遷座され、昭和二十年十月二十五日より久国神社と称するようになった。(「東京都神社名鑑」より)
「麻布區史」による久国神社の由緒

 久國神社(無格社)谷町八
祭神倉稲魂尊、大祭六月八日。寛正六年太田道灌が江戸城湟の鎮護として溜池に祀る處で、後永禄三年現地に移つた。溜池の舊地に神木の榎があつたと『府内備考』に記されてゐるが、今は無論存せず其の遺址だに判らない。別當は林昌寺であつた。久國の名稱は道灌寄附の久國作銘刀に由来すると云ひ、今も神寶として秘蔵されてゐる。
昭和二年十二月十七日現社號に改稱した。社殿は流造、氏子は七百戸、谷町と箪笥町がその區域である。(「麻布區史」より)
「東京名所図会」による久国神社の由緒

 稲荷神社
麻布谷町九番地に稲荷神社あり、世に久國神社と稱せり、今井町の高臺を負ひ、石磴十級、壇上に社殿、神楽殿、水屋あり、拝殿に久國社の額面を掲く、勝安芳伯の筆なり。
新編江戸志に云、稲荷神社(俗に久國稲荷と云)谷町鎮守、三寶院派別當岸照山林昌寺。當社舊地は溜池なり、其所に神木の榎今にありと。
寶物に久國の寶剣あり、是、即ち久國社の名ある所以とす。祭神は宇迦御魂命なり。明治二年神佛分離の際、別當林昌寺復飾したるも、其後荒廃し、舊記散亂したれば、今徴すべきなし、無格社にして、西町氷川神社社掌羽倉光表氏の受持奉祀たり。祭典は毎年六月七、八兩日、氏子は谷町及び箪笥町なり。(「東京名所図会」より)

 久國神社
 久國神社

《参考》

 ARPACHIYAH 1976


 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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