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『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
《課題》江戸の古代を解明する
―地名が語る愛宕山、六本木周辺の始まり―
木田郷:麹町・霞・千代田・永田
木田郷「支太」(高山寺本)、「木多」(東急本)、「キタ」(名博本)
※同郷の記載順は美田郷と櫻田郷の間である。
よって同郷の地域は現在の港区三田と千代田区霞ヶ関の皇居に面する
桜田門あるいは桜田濠周辺との中間か、
それより幾分西側の辺りと想定される。
木田「キタ」(Sk.)kita 昆虫【漢訳】虫、蟻、蛇
◎桜田・御田両郷の祖語がSk.に由来するので、
この、「キタ」が同じくSk.が祖語であることに相違ない。
※「キタ」は実は「蠶・蚕・かいこ」を通称したもので、
この一帯で、愛宕山(神社)を奉祭した倭人の系譜の人々が
養蚕を行っていたとの証左となる。
kita-ja 絹、
kiti-ja 絹絲、
これらの用語から「北野(きたの)京都市北区」が生まれた。
同地は秦氏の本拠地太秦(うずまさ)に近く、
西陣職に係わる繭の産地と考えられる。
麹町「コウジ」(倭語<和語>)
kho-si 〔白い-木〕あるいは〔白い-林〕白林
※古代においては、絹を得るための養蚕は天蚕、
つまり「かいこ」を桑の木または桑林(畑)に直接放し飼いし、
小さな幼虫が桑の葉を食べ、次第に成長し、
白い繭を作って「さなぎ」になる頃には、
緑の桑葉はほとんど無くなり、桑木は白い繭ばかりとなる。
これを「白木」と称することができるし、
また桑は1本だけであるはずもなく、
いわゆる「林」状態であるから「白林」となる。
よって、麹町周辺ではそのような天蚕が本来行われていたのである。
(Sk.)kośa 繭、
kauśa 絹の、
kauśika 絹の、絹、絹の布帛なたは衣服
kauśeya 絹の、絹の衣服
【漢訳】虫衣
霞「カスミ」(霞ヶ関、霞山、霞坂、霞村/霞岳)
(和語/倭語)
kho-sj-mehe-su-me]:[白い-木-帛]白木の帛(絹の布・真緜)
霞ヶ関・霞山(千代田区の同地名、虎ノ門、永田町、千代田[皇居]辺り)
霞坂(港区西麻布1・3丁目辺り)、
霞村/霞岳(新宿区)とこの地域の広い」丘陵地帯で天
蚕により繭あるいは帛布(真緜)を採取していたのである。
※平安時代「霞」という関所があった。
ある伝によると日本武尊の東征に係わるという。
千代田・永田(千代田区)
「田」は「田圃」(水田)ではなく「畑」で「はた」を表わす。
永田「ナガ・田」輝く畑<繭で白く光る畑>
(Heb.),נַגַהֻ,NGH,nagahu 光、輝き、光輝
千代田「チヨ・田」輝く畑<繭で白く光る畑>
(Heb.),זִיֻ,ZYV,ziyu 光、輝き、光輝、栄光
(Heb.),זָהֶר,ZVHR,zoher 輝く、ぴかぴか光る。
※「千代田」とは蚕が作った繭によって
桑畑(桑林)が白く光輝いている様子をいったもの。
※霞山:帛(繭)で白く輝いている桑の木が多くある山
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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