2014年11月10日月曜日

草加・江戸・品川①


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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 《課題》江戸の古代を解明する
     ―地名が語る愛宕山、六本木周辺の始まり―

 ※出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪草加・江戸・品川≫

 《草加"そうか" なぜ「クサカ」といわないのか。》

  旧足立郡のうち、足立神社(さいたま市浦和区上木崎5丁目24-3)

   祭神:猿田彦神、天鈿女命他

  ○猿田彦命 草加神社(草加市氷川町827-1-2)の配祀神、

        同神は現在の神名町辺りに祀られていた(住職)

        稲荷神社(草加市稲荷町)

  ○浅古氏姓(草加市内の旧家) 奈良県桜井市の地区名浅古と同じ、

                朝倉も同根

 ※「ソウカ」:釈加(釈・帝釈): śakra インドラ神の別称

  ○庄和町(埼玉県北葛飾郡):釈加 śakra 

    桜井、(現)柳(上・下)、金崎、米島辺りの地名 

    天神社(金崎)

  ○総和町(茨城県猿島郡):釈加 śakra 

    釈迦(町内の地名。この表記は仏教の祖ゴータマ・ブッタに

      与えられた呼称ながら釈加[インドラ神]のこと)

    磯部(町内の地名)「イソベ」 isvara 「天界の主」インドラ神の呼称

 《江戸・大江戸》

  大江戸: mah-endra インドラ神の呼称「大インドラ神」

       maha :大

   江戸: -endra: indra

 ○桜田郷 (現)内幸町から永田町辺り、桜田門、桜田通り

      「和名類聚抄」荏原郡桜田郷

   桜田神社(港区麻布3丁目2-17、旧称霞山稲荷神社) 

       (現)祭神:豊宇迦能賣大神

    治承4年(1180年)の伝承に狐のお告げというものがあり、

    ここに稲荷信仰があったことがわかる。

    霞ヶ関桜田門外に社を建てた。

    稲荷大社(京都市伏見区)の祭神は猿田彦神である。

   桜: śakra インドラ神 〔桜木神社(千葉県野田市桜台)稲荷神社〕

   aindra インドラ神の方向、東

 ○江戸「武蔵国豊島郡江戸之内前嶋村」

    弘長元年(1261年)10月21日付平長重書状

  「江戸郷柴崎村」弘長4年(1264年)4月15日付平重政譲状


 《品川》

  荏原郡 新編武蔵国風土記稿」 荏(ゴマ)の繁茂する所

   荏胡麻の種は搾って油を作る。

    (Sk.) taila 油 (インドの医方明の四種の含消薬の1つ)

   平塚(品川区内の地名) taila

   大崎(品川区内の地名) (Sk.) auṣṭrika 搾油者 aus-ka

  ○品川郷 平安末期からの地名

    品川(区名) (Sk.) sneha 油脂(油を含むもの、脂肪の多いもの)

      (Sk.) snehavat 脂肪の多い、油でぬるぬるする

  ○御田郷 「ミタ」 (Sk.) meda,medas 脂肪、肥満

    三田(現)、實多、美田、美多、弥陀

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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