2015年11月1日日曜日

≪アズミ族の正体≫蚕糸:絹の産地:SERICA


 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪アズミ族の正体≫蚕糸:絹の産地:SERICA

 課題:古代の絹の産地と魏志倭人伝の国々
    ―西方絹貿易商人たちの居留地―

 『書経』「禹貢」

 第二節 兗洲(えんしゅう)

  「清・河は惟れ兗洲。九河は既に道し、雷夏は既に澤して、

   雍沮は會同す。

   桑の土は既に蠶(さん)し、是に丘を降りて土に宅(お)る。」

  清水と黄河との間が

     兗洲(山東・河北両州にまたがる)である。

  〔黄河の〕九(あまた)の支流がすでに通じ、

  雷夏沢がすでに沢となって、

  雍水と沮水は合して〔この沢に〕同(あつま)った。

  〔これによって〕桑を植えるに適した土地ではすでに

    養蚕が始まり、

  〔また洪水を避けて丘にいた人民は〕丘から降って

  平地に住むようになった。

  「厥の貢は漆絲なり。厥の篚は織文である。」

  その貢物は漆と生糸とである。その篚(おくりもの)は

  織文(あやおり)である。

 第三節 青洲

  「岱の畎は枲(し)・鈆・松・怪石なり。

   萊夷は作て牧し、厥の篚は檿絲なり。」

  岱山の谷からは、生糸・麻・鉛・松・怪石を〔出す〕。

  萊夷が始めて牧畜をするようになr、

    その篚は山繭の糸である。

  ※枲は麻、鈆は鉛で青金、怪石は奇怪な形の石。

 第四節 徐洲

  「厥の篚は玄繊縞なり。」

  〔徐洲の〕篚は黒色の細かい繪(きぬ)である。

   玄繊:「玄」色とは「黒青」色。

   「繊」は鄭玄註に「細也」と。

   「縞」は、江声は「繪」という(尚書集音疏)。

   黒青色の細系の繪、「繪」とは帛の総名。

 第五節 揚洲

  「島夷は卉服す。厥の篚は織貝なり。」
     
  島夷は卉服(草で織った衣服)を献ずる。

  その篚は錦織である。

 「エリュトゥラー海案内記」 PERIPLUS MARIS ERYTHRAEI
  村川堅太郎訳註:中公文庫 中央公論社 1993年

 「第三十九節」 セーレスの毛皮と綿布と生糸と

 「第六十四節」

 この地方の後ろに既に全く北に当たって

 ある場処へと外海が尽きると、

 其処にはティーナイと呼ばれる内陸の大きな都があり、

 此処からセーレスの羊毛と糸と織物が

 バリュガサへとバクトゥラを通じて陸路で運ばれ、

 またリミュリケーへとガンゲース河を通じて運ばれる。

 このティスの地方へは容易には到達することが出来ない。

 というのは此処からは

 稀に僅かの人たちが来るに過ぎないから。

 其処は小熊星の直下に位し、

 ポントスとカスピアー海との

 最も遠隔の部分に境を接するといわれる。

 カスピアー海の傍らにはマイオーティス湖が横たわり

 大洋(オーケアノス)に注いでいる。

 セーレスの毛皮 Seres

 生糸 nhma Sirikon  

 ティーナイ Thinai

 セーレスの羊毛と糸と織物―真綿と生糸と絹織物

 nhma new〔日本語”ぬう”〕 

 糸、撚糸、蜘蛛の糸

 「セリカ SERICA 勢理客(沖縄)」

 琉球:Leuki 白い国
 
 柞檪 野生蚕繭⇒カタギヌ

 須勢理昆売命/須世理姫命

 『古事記』大気津比売神の段 ”頭に蠶生(かいこな)り”

 ”稲より・二つ目の稲種造り”

 倭 後漢書倭伝[(前漢の)武帝(在位BC141~87年)が

        (衛氏)朝鮮(王朝)を滅ぼした(前108)後~] 

 「土地は禾稲(いね)・麻紵(あさ)の[栽培]や、

  桑を植えて養蚕するのに適してる。

  [倭人は]糸を積いで布を織る技術を持っており、

  縑布(かとりぎぬ)を生産する。」

 三国志魏書倭人章

  「倭人の風俗は規律正しく、

   男子はみな冠をかぶらず木綿で頭を巻いている。」

  「人々稲や麻を植え、桑を栽培し、

   蚕を飼って糸を緝績(つむ)ぎ、

   細麻や縑(かとりぎぬ)や緜(まわた)を産出する。」

 女王国[邪馬壹]

  「正始4年(243)に、

   倭王はふたたび大夫伊声耆と掖邪狗ら8人の使節を送り、

   生口と倭錦と絳青の縑、綿衣、帛布、

   [また]丹や木狩の短弓と矢などを献上してきた。」

 後漢書東夷伝

  「酒を飲み、歌舞することが好きで、

   ときには弁(かんむり)を冠り、綿の衣を着る。」

 梁書東夷伝

  「梁(502~557)が建国してから、

   また(あらたな東夷の国を)加えることになった。

   扶桑国は以前には知られていなかった。

   普通年間(520~527)に

  ある僧侶が自分は扶桑国より来たといい、……」

  ※A.D4Cに蚕がさらに盛んになったことを表す。

 三国志魏書扶余伝

  「-国外に出るときには、

   絹織物・繡(ぬいとり)、錦織、毛織物などを重視する。」

 晋書粛慎氏伝

  「雒常(らくじょう)とう名の樹がある。

   中国で聖帝が新たに帝位につく時には、

   その木は皮を生じ、(その樹皮を)衣服とすることができた。

   注書)白鳥庫吉によれば、雒常(雄常、額常とも作る)は

      紙の意味であって、

      その木は紙の木、楮(こうぞ)だという。」

 後漢書韓伝

  「馬韓人は養蚕の知識があり、綿布を織ることができる。」

 晋書辰韓伝

  「その地方は桑を栽培し、蚕を飼うのが盛んであり、

   縑布を上手につくる。」

 三国志魏書辰韓伝

  「蚕を飼い、桑を植えることを知っていて、

   縑布を作り、牛馬に乗る」

 ※縑 名義抄「カトリ」かとりぎぬ

 三国志倭人伝 「好古都」(=加古津/鹿児津?)錦江町 加治木

         白絹(魏国からの贈り物)=セレス

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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