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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦
≪アズミ族の正体≫橘・小門・阿波岐原と「エッタ叙事詩」
課題:龍の登場しない龍宮伝説の真相
―海洋安曇族の主祭神「海童(わたつみ)」の故郷―
課題:龍の登場しない龍宮伝説の真相
―海洋安曇族の主祭神「海童(わたつみ)」の故郷―
「橘小門之阿波岐原とエッタ叙事詩」
○『古事記』伊邪那伎大神の禊祓
竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到り座して、
禊ぎ祓ひたまひき。
○『日本書紀』伊弉諾尊の檍(あわき)原の禊
筑紫の日向の小戸の橘の檍原に着かれて禊ぎ祓ひ
○阿波岐原・檍原「宮崎市の日向灘沿いの地名」
※九州の呼称では「アリキバル」
「アワキハラ」(SK.)ap-cara 水棲動物、
yadas 「大きな水棲動物」と同義:yadu yadava の語源
メソポタミアの魚人伝承「バビロニアのベール神官」
アプカッル apkallu (ギリシャ語)
シュメル語による解釈「小嶋 秋彦」
ap[ab]-ha[ku]-lulu
海の 魚 人々「複数」 海の魚人たち・魚人
猿野「さるの、阿波岐原:宮崎市」
「サル」(SK.)ap-sara 水棲動物[ap-caraと同義]
○橘(たちばな) ”きはだ”
「キツ」
(シュメル語・阿曇語)gudu 神官「バビロニアのベール神官」
○小門・小戸
「オド」adpa (ギリシャ語)
「エッタ叙事詩」最初のアプカッルはアダパという異名を持っていた
(シュメル語・阿曇語)
a-deb [水-歩き回る]水を歩き回る<水陸両棲動物>
両棲類は陸は元より、
水中においても泳ぐことはできず歩かなければならない。
-dpa 音はサンスクリット語で dvar(英語のdoor)で「門」「戸」
江田神社は阿波岐原の北辺に鎮座する。
○上野(かみの)町「宮崎市、県庁近く、東側隣は橘通(地区名)」
小戸神社が鎮座する。
初めは下別府の地にあったが寛文2年(1662)の大地震で水没したため
上野町に移されたという。昭和9年(1934)橘通の拡張に伴い、
現在地の鶴島3丁目に遷座した。
上野「ウエノ:ギリシャ語 Uanna ウアンナ、
Oannes オアンネス、セレウス朝(B.C.300頃ベロッソス)
※阿曇族の神域志賀島の「上野」に対応する。
○檍 もち 木の語義は樫と同じで船材に多く使用された
※キツ・オドのアワキハラ
神官アダパであるアプカッルのいる所
『古事記』と『日本書紀』の記事の、微妙な表現の差が、
どんな価値をもっているか、よくおわかり戴けると思う。
伊弉諾尊が禊をした地点が、
まず『古事記』と『日本書紀』で違っている。
『古事記』 「黄泉国。 橘・小門・阿波岐・原
『日本書紀』「黄泉。(一書)筑紫・日向・小戸・橘・檍・原
こうして並べてみるとよくわかるように、
『古事記』は「日向の橘」と書き、
『日本書紀』は「日向の小戸」と地名が逆転している。
どちらが本当かという大論争が、
その裏に隠されていることに気づく必要がある。
だが日向へは天孫「瓊瓊杵(ニニギ)の命」が降臨したのが後だとする、
矛盾している『日本書紀』のほうが間違いである。
日向の橘なら鹿児島県の種子島で、
イサナキの尊が三貴子と居てもおかしくないが、
日向の小戸(ウド)では、宮崎県の鶉戸(ウド)神宮のある海岸だから、
天孫が初めて列島の本土である日向に地歩を占めた
「歴史的偉業」だとして特記している『天孫降臨』の意義が、
完全にゼロになってしまうからである。
その地名のいちばん最初の文字も、歴史上重大な答を明記している。
『古事記』は天竺(テンヂク)の「竺(ヂク)」字を使っているからだ。
日本神話に多出する「天=沖縄」に続けて書くと、「天竺」になる。
沖縄と九州とを併せて「天竺」と呼んでいた名残だったのである。
これはソナカが仏教宣布団と来日して、
卑弥呼が連邦に君臨していた時代の前後なら、
別に不思義はないし、またそれによって卑弥呼政権崩壊後、
天(沖縄圏)と筑紫(九州本島)の2政治圏に分裂したことも、
史実だったことが、容易に理解できるようになる。
鹿児島語はa(ア)をe(エ)と訛る。
愛(アイ)がエ、手(タ)がテだから、タンはテンにもなる。
天竺国はテンジッ国と発音するから、
田の尻(タンジィ)・丹児(タンジ)ッ国とも同じである。
種子島はこの沖縄・九州連邦の首都国だったから、丹児ッ囲(天竺国)と
呼ばれていたのだとみれば、
この小島が倭国・日本、南天皇家政権の母体であった理由も納得がいく。
中国の『山海経(センガイ)』の、
後漢初期の版の「海内(かいだい)」の部分に、
次のような貴重な記事がある。
「東海之内 北海之隅 有国 名曰 朝鮮天毒
其人 水居 偎人 愛人」。
翻訳すると、
「中国から見て東海、その北部の片隅に朝鮮天毒という国がある。
海に囲まれた島国に住むその国民は、
偎(ゥワイ)人、または愛(アイ)人と呼ばれている」
というのだ。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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