2016年2月29日月曜日

日本に秘匿されている証拠とその遍歴:紀伊国・海部郡・加太神社・淡島神社

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 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪紀伊国・海部郡・加太神社・淡島神社≫

 「延喜式」神名帳 紀伊国名草郡加太神社「カタノ」

 「和名類聚抄」紀伊国海部郡 賀太

 「全国神社名鑑」和歌山県

  淡島神社〔和歌山市加太〕「あわしま」

   祭神:少彦名命、大己貴命、(相殿)息長足姫命
  
  粟島神社〔海草郡下津町方〕祭神:少彦名命

 「和歌山市都市地図」和歌山県

  淡島神社〔和歌山市加太地区〕

   沖合に地ノ島、沖ノ島、神島

  粟嶋神社〔海草郡下津町〕沖合湾外に地ノ島、沖ノ島

 ◎淡島・粟嶋「アワシマ」

  (Heb.),ִַוַתסֶמַה,IVTsMA,iavatsemah 

     栄光、誉れ、力、勢い、強さ

  (Heb.),ָתסֶמַה,ITSMH,otsemah

          同義:大隅国〔鹿児島県の郡・半島名〕

  ※「アワシマ」は「オウスミ:大隅」と語源は同じ。

   和歌山の「アワシマ」は鹿児島県の「大隅」から

   移動して来た人々が造成した文化圏であることを示す。


 ◎加太・方「カタ」

  (Heb.),כֶתַֻ,KTV,ketau 字、文字、筆

   ※石板に刻まれた「十戒」を表わす文字

    宮崎県日南市の地名「方」に対応する

 〇粟嶋神社〔海草郡下津町方〕の社伝

   "往古、神が下津の硯浦に漂着した”

   ※この祭神「少彦名命」が海の外から

    漂着(渡来)して来たことを伝えている。

   淡島神社の創始伝承〔日本の神々〕

   "淡島様は天照大神の第六番目の姫君であり、

    十六歳で住吉名神の后になったが、

    下の病に罹ったため綾の巻物、十二の楽器と

    一緒にウツロ船に乗せられて堺の浜から流され、

    あくる年の3月3日に加太の淡島流れ着いた。

   ※この挿話は後追いの作り話であることが覗える。

    よって

    下津町の粟嶋神社が先に鎮座した祭祠とみる方が妥当。

  同社伝の続き〔日本の神々〕

   硯浦に漂着した時、村民の二十一家が奉って森へ

   鎮め祀り、以来この二十一家が当屋制によって祭祀し、

   後亀山天皇の文永年間(1264~75)に

   今の宮の谷の社地へ遷し祀ったという。

 丁:ドウ「ヨウ」

  (Heb.),יִַַר,YIR,yaiar 森、森林

     ※漂着後直ちに祭られた所

 上:かみ「カミ」

  (Heb.),כָמֶר,KMR,komer 司祭、祭司
  
     ※「加茂郷」の「カモ」と同根

      「下」(地区名)も「カ」という

 黒田:くろだ「クロタ」
 
  (Heb.),כהַרַת,KhRT,kharat 

     (金属や石に)刻む、(文字を)彫り込み

     ※方〔カタ:文字、筆跡〕に対応する用語

      石板に彫り込まれた十戒の文字

 小原「オハラ」

  (Heb.),ָהֶל,AHL,ohel 幕屋、天幕

     ※十戒石を納めた移動式聖所

 雑賀「ゾウガ」〔和歌山市下津町とは和歌浦湾を挟んだ対岸〕

  (Heb.),זֻג,ZVG,zug 一対、

     2つ一組(のもの)、二枚の十戒石(石板は二枚で1組)

 名草郡「ナクサ」〔延喜式、和名類聚抄に載る郡名、

     (現)和歌山市名草、和歌浦湾の底部〕

  (Heb.),נֶכהֶס,NKhS,nekhes 貴重品、富、財産

     ※十戒石(二枚)を指す。

 ◎女性の信仰

  〔淡島神社の創始伝承:下の病、神功皇后の御産〕
 
  雑賀「ゾウガ」の字義は"二枚1組のもの"であった。

    がこれとよく似た用語ある。=(Heb.),זֻג,ZUG,zug

    「ゾウガ」(Heb.),זֻגַֻה,ZVGH,zuguah 妻

   ※「和名類聚抄」名草郡の郷名に「津摩」とある。

  丸田〔下津町〕「マルダ」

   (Heb.),מִילֶד,MYLD,miyled 産科医

   ※神功皇后の御産伝承に対応する。

 ◎この地域では塩焼き〔海水をたいて食塩を生産する〕

  塩津〔下津町の和歌浦湾沿い〕

  女良〔下津町大崎にある地区名〕

  「メラ」(Heb.),מֶלַכה,MRKh,melakh 塩、食塩

 ◎小畑〔下津町小原の東隣り〕

  「オハタ」(Heb.),הֶד,AVHD,ohed 共鳴者、賛同者

 ◎奉祭家:粟嶋神社社伝〔日本の神々〕当屋制の二十一家

   下津の硯浦に漂着したとき、

   村民の二十一家が奉って森へ鎮め祀り、

   以来この二十一家が当屋制によって祭祀し、~

  「二十一」は大洗磯前神社の創始伝承〔文徳実録〕に

  載る「二十余の小石」に対応する。

  「二十余」はユダ族がバビロン捕囚から解放されて、

  エルサレムに帰還した際の支族数に相当する。

  「ネヘミヤ記」

 7:6 

  捕らえ移された先から上って来たこの州の人々は、

  次のとおりである。

  彼らは、

  バビロンの王ネブカドネツァルによって連行されたが、

  それぞれエルサレムとユダにある

  自分の町に帰ったものである。

 7:7 

  彼らはゼルバベル、イエシュア、ネヘムヤ、アザルヤ、

  ラアムヤ、ナハマニ、モルドカイ、ビルシャン、

  ミスペレト、ビグワイ、ネフム、バアナと共に帰って来た。

 7:8 

  パルオシュの一族二千百七十二人、

 7:9 

  シェファトヤの一族三百七十二人、

 7:10 

  アラの一族六百五十二人、

 7:11 

  パハト・モアブの一族、

  すなわちイエシュアとヨアブの一族二千八百十八人、

 7:12 

  エラムの一族千二百五十四人、

 7:13 

  ザトの一族八百四十五人、

 7:14 

  ザカイの一族七百六十人、

 7:15 

  ビヌイの一族六百四十八人、

 7:16 

  ベバイの一族六百二十八人、

 7:17 

  アズガドの一族二千三百二十二人、

 7:18 

  アドニカムの一族六百六十七人、

 7:19 

  ビグワイの一族二千六十七人、

 7:20 

  アディンの一族六百五十五人、

 7:21 

  アテルの一族、すなわちヒズキヤの一族九十八人、

 7:22 

  ハシュムの一族三百二十八人、

 7:23 

  ベツァイの一族三百二十四人、

 7:24 

  ハリフの一族百十二人、

 7:25 

  ギブオンの一族九十五人、

 7:26 

  ベツレヘムとネトファの男子百八十八人、

 7:27 

  アナトトの男子百二十八人、

 7:28 

  ベト・アズマベトの男子四十二人、

 7:29 

  キルヤト・エアリムと、ケフィラとベエロトの

  男子七百四十三人、

 7:30 

  ラマとゲバの男子六百二十一人、

 7:31 

  ミクマスの男子百二十二人、

 7:32 

  ベテルとアイの男子百二十三人、

 7:33 

  別のネボの男子五十二人、

 7:34 

  別のエラムの一族千二百五十四人、

 7:35 

  ハリムの一族三百二十人、

 7:36 

  エリコの一族三百四十五人、

 7:37 

  ロド、ハディド、オノの一族七百二十一人、

 7:38 

  セナアの一族三千九百三十人。

 7:39 

  祭司。エダヤの一族、

  すなわちイエシュアの一族九百七十三人、

 7:40 

  イメルの一族千五十二人、

 7:41 

  パシュフルの一族千二百四十七人、

 7:42 

  ハリムの一族千十七人。

 ※パルオシュの一族、シェファトヤの一族、アラの一族、

  パハト・モアブの一族(イエシュアとヨアブの一族)、

  エラムの一族、ザトの一族、ザカイの一族、ビヌイの一族、
  ベバイの一族、アズガドの一族、アドニカムの一族、

  ビグワイの一族、アディンの一族、

  アテルの一族(ヒズキヤの一族)、ハシュムの一族、

  ベツァイの一族、ハリフの一族、ギブオンの一族、

  別のエラムの一族、ハリムの一族

  計21支族

 7:39 

  祭司。エダヤの一族(イエシュアの一族)

 7:40 

  イメルの一族、

 7:41 

  パシュフルの一族、

 7:42 

  ハリムの一族。

  ※これらの民は「残れる民」:

   大隅国曾於郡の「ソオ」に対応する。

  曾於「ソオ」(Heb.),סהֶָר,ShAR,sheor 残れる民

 ◎梅田〔下津町〕

 「ウメタ」(Heb.),ֻמָת,AMVT,umot 民族、国民

  "(ヘブライ語による)ユダヤ人"〔複〕

  (Heb.),ַֻמַֻה,AMH,aumuah "アマヘ" 民族、国民>海部〔単〕

 「和名類聚抄」紀伊国海部郡

  ※海部郡はユダ族〔ユダヤ人〕の居留地だった。

 ◎加太神社・淡島神社〔和歌山市加太〕

  ※同社は、粟島神社の分社として創始され、

   神功皇后信奉と集合され、後の江戸時代に

   「願人」によって東国・関東へその信仰圏を広げたが、

   その素地は粟嶋神社の御神体が

   既に遷されていたからである。

2016年2月21日日曜日

日本に秘匿されている証拠とその遍歴:日向国・那賀郡・郷

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 《参考:年表・資料》
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 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪日向国・那賀郡・郷≫

 〇「和名類聚抄」日向国・那賀郡《高山寺本》
  
   那珂郡《東急本、伊勢本、名博本、元和古活字本》

   那賀・那珂「ナカ」

  (Heb.),נֶגֶַל,NGAL,negeal 救われる、開放される "ナガ"

 〇郷〔日南市、北郷町、南郷町、串間市〕

 「ゴオ」

   (Heb.),גֻוַל,GAL,guval 救い出す、解放する 

  (Heb.),גֶָל,GVAL,goel 救済者、贖い主、○救世主

  (Heb.),גֶֻֻלַֻה,GALH,gueuluah 救い、解放、贖い 

 ※那賀郡域内に「救いの神」が奉祭されていることを示す。

 油(あぶら)津・吾平津神社〔日南市油津港〕

 「アブラ」「アヒラ」

  (Heb.),ַָדֶה,AHL,aodeh 幕屋、天幕

  ※この地区にユダ族の奉祭し続けた

  エルサレムの神殿の移動式となった

  「礼拝所」が置かれた。

 吾田神社〔日南市戸高:とたか〕
 
 「アダ」
 
  (Heb.),ַָדֶה,AVDH,aodeh 

  『旧約聖書』「創世記」第29章35

 29:35 

 レアはまた身ごもって男の子を産み、

 「今度こそ主をほめたたえ(ヤダ)よう」と言った。

 そこで、その子をユダと名付けた。

 しばらく、彼女は子を産まなくなった。

 ※「ユダ」呼称の発生のための用語

 戸高:とたか「ヘタカ」

  (Heb.),הֻדַה,HVDH,hudah

 (Heb.),ידח,YDH, 感謝する、告白する《大隅国の条参照》

  平野、平山〔日南市〕

  平:ひら「タイラ」

  (Heb.),תִַֻלַה,TVLH,tauilah (金属、石、木の)平板

   ※ここでは「十戒石の板」

 えびの神社〔日南市油津〕

  (Heb.),ִֶוֶנ,IVN,ieven 石 ※「十戒の石板」

 隅谷〔日南市油津の南隣り〕

 「クマヤ」

  (Heb.),כַמֶיַ,KMYI,kameya 護符、お守り ※「十戒の石板」

 大堂・大堂津〔日南市隅谷の南隣り〕

 「おうどう」

  (Heb.),ַָדֶה,AVDH,aodeh 「ユダ族」の別称

 方(上・下)〔日南市大堂の南隣り〕

 「カタ」

  (Heb.),כֶתַֻ,KTV,ketau 字、文字、筆跡

   ※石板に刻まれた十戒を表わす文字

 物部郷:「和名類聚抄」日向国那賀郡

   高山寺本に載る郷名〔同名博本〕※(現)戸高(日南市)

 於部郷:「和名類聚抄」日向国那賀郡

   東急本、伊勢本、元和古活字本に載る

 物部「フッヘ」

  (Heb.),הֻדַה,HVDH,hudah ידח,YDH,「ユダ族」を表わす

 於部「オヘ」

  (Heb.),ָהֶל,AHL,ohel 幕屋《移動式天幕の聖所》

 夜開郷:「和名類聚抄」日向国那賀郡

 「和名類聚抄」高山寺本、筑後国三潴郡夜開郷、訓「夜介」

 夜開「夜介・ヤケ」

  (Heb.),יֶכַר,YKK,yekar 栄誉、ほまれ 

   ※「ほめたたえる」ユダの敬称

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
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2016年2月20日土曜日

日本に秘匿されている証拠とその遍歴:《大隅国曾於郡・肝属郡》③

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 《大隅国曾於郡・肝属郡》

 『肝属郡』

 「和名類聚抄」大隅国肝属郡《東急本》岐毛豆岐・キモツキ

 「続日本紀」文武天皇4年6月3日(700年)肝衝

       和銅6年4月3日(713年)日向国肝杯

 (現)串良町、高山町、吾平町、大根占町、根占町、田代町、

   内之浦町、佐太町

 肝衝・肝杯「キモツキ」

  「キモ」(Heb.),כָמֶר,KMR,komer 司祭、祭司

  「ツキ」(Heb.),תסֻכ,TsVK,tsuk (切り立った)岩

  神は、モーセの前でシナイ山の切り立った岩に

  「十戒」を彫り込んだ。

  よって、「十戒石」は岩の石である。

    (Heb.),כָמֶר־תסֻכ,KMR-TsVK,komer-tsuk 岩(十戒石)の祭司

 肝属「キモツキ」 

  属「ゾク」(Heb.),זֻג,ZUG,zug 一対、二つ一組(のもの)

  「出エジプト記」第34章1 二枚の石の板

 34:1 

  主はモーセに言われた。

  「前と同じ石の板を二枚切りなさい。

   わたしは、あなたが砕いた、

   前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう。

 (Heb.),סהנִי לֻכהָת ַונימ,ShNY LKhT AVNYM,shniy lukhot avnym

         の石 板 の枚二

 (Heb.),סהנִי,ShNY,shniy 2つの

 ◎(Heb.),זֻג,ZVG,zug 二つ一組のものの祭司

   二枚の(十戒)石板の祭司

 安良〔志布志町安楽の小字名〕

 「ヤスラ」(Heb.),ִֶסהֶר,IShR,iesher 

         十(10):「十戒」の「十」

 吾平〔町名〕「アヒラ」、小原〔串良町の字名〕「おはる」

  (Heb.),ַָהֶל,AHL,aohel 幕屋《聖書の民の移動式礼拝所》

    天幕「出エジプト記」第25章9

 25:9 

  わたしが示す作り方に正しく従って、

  幕屋とそのすべての祭具を作りなさい。

  この付近に「十戒石」を奉祭する幕屋が

  ある時期置かれていたことを示す。

 麓(ふもと)「ろく」

  (Heb.),לֻכה,LVKh,lukh 板、(金属や石の)板

    《複》(Heb.),לֻכהָת,LVKhVT,lukhot 板

  (Heb.),לֻכהָת,LKhT,lukhot [上記]に同じ

  幕屋は十戒の石板(2枚)を奉祭するための聖所である。

 名:みょう(上・下)「メイ(ヒ)」

  宮比神社〔吾平町下名〕

   (Heb.),מֶיֻפֶה,MYPH,meyupeh 委任された

 ※肝属郡地域にはユダ族と同伴して渡来した

  エルサレムの奉祭を職掌としていたレビ族にして

  モーセの兄をその初めとする生活の
 
  大祭司家アロンの系譜の人々が幕屋を守るため

  生活の地盤を置いていた所とすることができる。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2016年2月19日金曜日

日本に秘匿されている証拠とその遍歴:《大隅国曾於郡・肝属郡》②

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪行方不明になっているモーセの「十戒石」はどこに?≫

 ―日本に秘匿されている証拠とその遍歴―

 《大隅国曽於郡・肝属郡》 

 「和名類聚抄」大隅国囎唹郡 

 「延喜式」神名帳 大隅國囎唹[ソオ]郡

 (現)曽於郡 財部町・末吉町・大隅町・志布志町・

       有明町・松山町・輝北町・大崎町

 「ソオ」(Heb.),סהֶָר,ShAR,sheor 〔聖書〕残れる民

                〇残り、残り物

 『旧約聖書』「イザヤ書」第1章1

 1:1 

  アモツの子イザヤが、

  ユダとエルサレムについて見た幻。

  これはユダの王、

  ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世のことである。

 ※この聖典はユダ族について語られることを示している。

 『旧約聖書』「イザヤ書」第1章9

 1:9 

  もし、万軍の主がわたしたちのために、

  わずかでも生存者(生き残りの者)を残されなかったなら、

  わたしたちはソドムのようになり、

  ゴモラに似たものとなっていたであろう。

  "生き残りの者":残れる民「ソオ」(Heb.),סהֶָר,ShAR,sheor

 ◎ダビデの建てたヘブライ王国はソロモンが死んだ後に

  ユダヤ王国(南)とイスラエル(北)に二分され、

  後者イスラエルは紀元前8世紀に

  アッシリアによってメソポタミア(メディア)へ連れ去られ、

  前者ユダヤ王国の民も「バビロン捕囚」によって

  新バビロニア〔メソポタミアの現バグダッド〕へと

  連れ去られてしまった。

  しかし、ユダヤの一部は許されエルサレムに帰還したが、

  紀元前4世紀には、その彼らの第二の神殿も破壊され、

  このユダヤ王国の人々は歴史上の記録から消えてしまった。

  つまり「残れる民」とは「ユダヤ王国系統の民」を表わす。

 「イザヤ書」

 4:2 

  その日には、イスラエルの生き残った者(逃れた者)

  にとって主の若枝は麗しさとなり、栄光となる。

  この地の結んだ実は誇りとなり、輝きとなる。

 10:20 

  その日には、イスラエルの残りの者と

  ヤコブの家の逃れた者とは、

  再び自分たちを撃った敵に頼ることなく、

  イスラエルの聖なる方、主に真実をもって頼る。

 10:21 
 
  残りの者が帰って来る。

  ヤコブの残りの者が、力ある神に。

 10:22 

  あなたの民イスラエルが海の砂のようであっても、

  そのうちの残りの者だけが帰って来る。

  滅びは定められ、正義がみなぎる。

 11:11 

  その日が来れば、主は再び御手を下して、

  御自分の民の残りの者を買い戻される。

  彼らはアッシリア、エジプト、上エジプト、クシュ、

  エラム、シンアル、ハマト、

  海沿いの国々などに残されていた者である。

 16:14 

  更に今、主は言われる。

  「雇い人の年期のように三年たてば、

   多くの民を持つモアブの栄光は必ず終わり、

   わずかな者だけが残され、力はうせる。」

 28:5 

  その日には、万軍の主が民の残りの者にとって

  麗しい冠、輝く花輪となられる。

 37:4 

  生ける神をののしるために、

  その主君、アッシリアの王によって遣わされて来た

  ラブ・シャケのすべての言葉を、

  あなたの神、主は恐らく聞かれたことであろう。

  あなたの神、

  主はお聞きになったその言葉をとがめられるであろうが、

  ここに残っている者のために祈ってほしい。』」

 37:31 

  ユダの家の中で難を免れ、

  残った者たちは再び根を下ろし、上には実を結ぶ。

 37:32 

  エルサレムから、残った者が

  シオンの山から、難を免れた者が現れ出る。

  万軍の主の熱情がこれを成就される。

 46:3 

  わたしに聞け、ヤコブの家よ、

  イスラエルの家の残りの者よ、共に。

  あなたたちは生まれた時から負われ

  胎を出た時から担われてきた。

 49:6 

  こう言われる。

  わたしはあなたを僕として

  ヤコブの諸部族を立ち上がらせ

  イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。

  だがそれにもまして

  わたしはあなたを国々の光とし

  わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。

 「エレミヤ書」

 6:9 

  万軍の主はこう言われる。

  「ぶどうの残りを摘むように

   イスラエルの残りの者を摘み取れ。

   ぶどうを摘む者がするように

   お前は、手をもう一度ぶどうの枝に伸ばせ。」

 「エゼキエル書」

 9:8 

  彼らが打っているとき、わたしはひとり残され、

  顔を伏せ、助けを求めて言った。

  「ああ、主なる神よ、

   エルサレムの上に憤りを注いで、

   イスラエルの残りの者を

   すべて滅ぼし尽くされるのですか。」

 「ヨエル書」

 3:5 

  しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。

  主が言われたように

  シオンの山、エルサレムには逃れ場があり

  主が呼ばれる残りの者はそこにいる。

 「オバデヤ書」

 1:17 

  しかし、シオンの山には逃れた者がいて

  そこは聖なる所となる。

  ヤコブの家は、自分たちの土地を

  奪った者の土地を奪う。

 「ゼファニヤ書」

 3:12 

  わたしはお前の中に

  苦しめられ、卑しめられた民を残す。

  彼らは主の名を避け所とする。

 「ミカ書」

 4:7 

  しかし、わたしは足の萎えた者を

  残りの民としていたわり

  遠く連れ去られた者を強い国とする。

  シオンの山で、今よりとこしえに

  主が彼らの上に王となられる。

 「エズラ記」

 9:8 

  ところが今、ほんの少し前から、

  わたしたちの神、主の憐れみにより、

  わたしたちの幾人かが捕囚を免れて生き残り、
 
  あなたの聖なる所によりどころを得るようにされました。

  こうして、わたしたちの神はわたしたちの目に光を与え、

  奴隷の身にありながらも、

  わずかに生きる力を授けてくださいました。

 9:13 

  わたしたちは、

  数々の大きな悪事と罪科のゆえに受くべき

  艱難をすべて受けましたが、

  わたしたちの神、

  あなたはわたしたちの重い罪悪をもそう重く見ず、

  わたしたちをこのように生き残らせてくださいました。

  この後で、

 9:14 

  またしても御命令を破り、

  その忌まわしい民と縁組みをすることができましょうか。

  お怒りになって、

  わたしたちを一人残らず滅ぼし尽くされても当然です。

 9:15 

  イスラエルの神、主よ、あなたは恵み深いお方です。

  だからこそ、

  わたしたちは今日も生き残りとしてここにいるのです。

  御覧ください。

  このような有様で御前に立ちえないのですが、

  罪深い者として、御前にぬかずいております。」

 『新約聖書』

 「ローマの使徒への手紙」

 9:27 

  また、イザヤはイスラエルについて叫んでいる、

  「たとい、イスラエルの子らの数は、

   浜の砂のようであっても、

   救われるのは、残された者だけであろう。 

 11:5 

  同じように、現に今も、

  恵みによって選ばれた者が残っています。

 ※「オホスミ」「ソホ」が

  「ユダ族の民」を示すものであれば、

  彼らは長い旅を「船」でやって来たはずだ。

  そして、遂に安心(楽)のできる地に辿り着いたことになる。

 志布志町・志布志湾「シフシ」

 (Heb.),סִוֻסִ,SVS,sivusi=(Heb.),סִוֻ־סִוֻ,SVF-SVF,sivu-sivu

  〔日本語しぶしぶ〕遂に、最後に

 (Heb.),סָf,SVF,sof 最後、終わり、結末

 安楽・安楽川〔志布志町〕:安心

 菱田・菱田川〔志布志町の隣り有明町、大崎町〕

 「ヒシタ」(Heb.),הֶסהִית,HShYT,heshiyt (船を)浮かべる

   (Heb.),הַסהַתַה,HShTH,hashatah (船を)浮かべること、回漕

 ◎『日本書紀』神代下〔巻第二〕

  日向の襲 「そ」"そう""しゅう"

 (Heb.),סהֶָר,ShAR,sheor 残れる民〔ユダ族〕

2016年2月18日木曜日

日本に秘匿されている証拠とその遍歴:《大隅国曾於郡・肝属郡》➀

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 ≪行方不明になっているモーセの「十戒石」はどこに?≫

 ―日本に秘匿されている証拠とその遍歴―

  《大隅国曾於郡・肝属郡》

 「和名類聚抄」大隅国曾於郡、大隅郡、肝属郡

  ⦅東急本⦆於保須美 大隅郡大隅郷

 「延喜式」神名帳大隅国囎唹郡「ソオノ」

 『日本書紀』天武天皇11年秋7月

       壬辰朔甲午(682年7月3日)

  隼人が数多く来て方物(土地の産物)を奉つった。

  同日大隅の隼人と阿多(後の薩摩国、鹿児島県西部)

  の隼人とが朝廷で相撲(すまい)をとり、

  大隅の隼人が勝った。

 『続日本紀』大宝2年4月15日(702年)筑紫七国

 『続日本紀』和同6年4月3日(713年)

  日向国の肝坏・曾於・大隅・姶羅の4郡を割き、

  初めて大隅国が置かれ~

 「日本地名大辞典」大隅<郷>は安楽川・菱刈川流域の
  
  志布志町、有明町、松山町から

  大崎町東武、大隅町月野にまたがる地、~

 〇大隅:和名類聚抄・東急本「於保須美(オホスミ)」

   (Heb.),ōתסֶמֶַ,IVTsMH,ōtsemae

   (Heb.),ōתסֶמֶַ,פיִז,ָז,ITsMH,ōtsemae,pyiz,oz 

           栄光、誉れ

 『旧約聖書』「創世記」第29章35

 〔ヤコブの子供たちの出生伝承:

  イスラエルの十二支族

  日本聖書刊行会新改訂〕

  彼女はまた身ごもって男の子を産み、

  「今度は主をほめたたえ(ヤダ)よう」と言った。

  それゆえ、その子を彼女はユダと名付けた。

 「創世記」第29章35

  〔ミルトス社、ヘブライ語聖書対訳シリーズ〕  
  
  レアはまた身ごもって男の子を産み、

  「今度こそ主をほめたたえ(ヤダ)よう」

  と言った。

  そこで、その子をユダと名付けた。

  (Heb.),ַָדֶה,HDVA,aodeh A:私

  (Heb.),דֶה,DA,odeh 確認する 

  (Heb.),ִֻדֻי,VDVY,uiduy 告白、白状

 (Heb.),הִדִֻדַה,HTVDH,hidiudah 白状する、告白する

 (Heb.),יהֻדַה,YHVDH,yhudah ユダ《ヤコブとレアの子》 

 ※神に感謝を告白することは、

  神の「栄光を」を「ほめたたえる」ことである。

  よって

  「大隅:オホスミ」は「ユダ・ユダ族」を表わす。

  つまり 大隅国はユダ族が居留し、支配した土地で

  あったことを示す。

 ◎大人弥五郎〔祭事〕

  大人「ダイビト」「ダビト」

   (Heb.),דַֻוִד,DVT,duavid

   (Heb.),דַֻוִיד,DVYD,duaviyd 

     ダビデ王(ヘブライ王国の王)

  弥五郎「ヤゴロウ」

     (Heb.),יַכָר,YKR,yakor 親愛な、敬愛〔尊敬〕する

   (Heb.),יֶכַר,YKR,yekar 尊敬、誉れ、栄誉

 「ダビト・ヤゴロ―」

   (Heb.),,YKR-DVD, 

 敬愛するダビデ王〔※同王は神でないので像は可能〕