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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
歴史学講座『創世』歴史研究家「小嶋 秋彦」:2015/01/08
課題:浅草と墨田〔東京都〕の由来
―「山谷」は本来何と称すべきか―
≪浅草神社・浅草寺の起源伝承≫
出典:浅草神社と三社祭:
編者・森田新太郎、発行者・浅草神社・矢野泰良
浅草神社と三社祭:
浅草神社
2.社殿、神輿、その他
◎社殿
今の社殿は徳川三代将軍家光が慶安2年(1649)12月に
1,129両1分の費用にて建立寄進したもので、
徳川初期の代表的建築で、本殿並びに幣殿と拝殿とを
渡廊下でつないだ、権現造り風の社殿である。
境内地に1,452坪9合1勺、社殿建坪45坪7合8勺。
本殿 三間社流造
幣殿 桁行3間、梁間1間
拝殿 桁行7間、梁間3間
尚、昭和21年に国宝建造物に、
更に昭和26年重要文化財に指定され、国家の保護を受けている。
◎修復
記録に残っている社殿の修理は大体次の如くである。
明治5年 天明元年 文化12年 天保6年
明治8年 天明26年 大正2年 大正6年
◎神輿
戦前にあった神輿は同じく家光により、
寛永14年に建造寄進されたもので、
3百年間かつぎぬかれた見事なもので、
昭和2年依頼保存され、新しく3基の神輿を新調したが、
戦災により四の宮(明治初年田町で新調した東照宮の神輿)とも
新旧7基全部惜しくも消失してしまった。
現在の神輿は一の宮、二の宮が昭和25年に、三の宮が昭和28年に
四十四ヶ町の氏子によって奉納されたもので、
宮本神輿店の製作である。
但し昔の神輿より胴が細く、わらび手が大きく、近代的ではあるが、
古風な味は失われた。
神輿の形一つにも時代の流れが感じられる。
◎「三社大権現」の額は公遵親王の筆であったが、
改称後は越前の太守松平春嶽が書いた「浅草神社」の額が
拝殿の正面に掲げられている。
名高い浅草神社の古楽面は現在でも無事保存され、
一番古いものには「元久」の銘があり、
何れも古色蒼然たる逸品揃いである。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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