2015年1月9日金曜日

浅草神社・浅草寺の起源伝承①


 浦和レッズレディース
 『Yahoo!天気・災害』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 Matのジオログ
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 歴史学講座『創世』歴史研究家「小嶋 秋彦」:2015/01/08

 課題:浅草と墨田〔東京都〕の由来
    ―「山谷」は本来何と称すべきか―

 ≪浅草神社・浅草寺の起源伝承≫

 浅草神社:東京都台東区浅草

  「社伝」推古天皇36年に檜前浜成、竹成の兄弟が

   隅田川投網を用いて漁をしていたところ、

   網に人型像が何度かかかって上がってきた。
 
   そこで土師真仲知(あるいは真中知)にみせたところ、

   聖観音菩薩像と判ったので、土師真仲知が沙門に入り、

   自宅を寺として像を安置することとしたのが浅草寺で、

   後になって真仲知の子孫が夢のお告げにより、

   土師真仲知、檜前浜成、竹成を奉祀し

   三社権現と称するようになった。

  〇土師氏は推古天皇の時代(6世紀後半)に

   ここにいたことを示している。

  〇「檜前」は奈良県高市郡明日香村檜前と同名、

   その周辺に見瀬、呉原など百済の呉人に係わる地名がある。

   また、同地区に於美阿志神社が鎮座し、

   漢人(あやびと)に係わっており、百済系の渡来人の足跡がある。

  『日本書紀』欽明天皇元年(593年)の8月条
  
   「集秦人・漢人等諸蕃投化者、安置国郡、編貫戸籍。

    秦人戸数総七千五十三戸、以大蔵掾為秦伴造」

  『日本書紀』天智天皇5年(666年)条

   「この冬百済(くだら)男女2千余人を以て東国に居らしむ」

  〇久伊豆神社(さいたま市岩槻区宮町)の創建由来

   欽明天皇の御代(539~571)土師氏が出雲から渡来して開創

  ※遅くとも6世紀の前期後半には秦氏族は

   東国に移り始めていたと推測される。

 三社祭(5月17日・18日/第3日曜日)神輿渡御

  輿(こし):כֶסתֶל,KISTL,kestel,箱、(Grk.)kasten

  掛け声「ソイ・ヤー、ソイ・ヤー」

   :סִַ יַה,SI YH,sai yah,「行け神よ」

  ※<ヨシュア記>

 第3章 ヨルダン川を渡る

 3:1 ヨシュアは、朝早く起き、

   イスラエルの人々すべてと共にシティムを出発し、

   ヨルダン川の岸に着いたが、川を渡る前に、そこで野営した。

 3:2 三日たってから、民の役人は宿営の中を巡り、

 3:3 民に命じた。

   「あなたたちは、あなたたちの神、

    主の契約の箱をレビ人の祭司たちが担ぐのを見たなら、
 
    今いる所をたって、その後に続け。

 3:4  契約の箱との間には約二千アンマの距離をとり、

    それ以上近寄ってはならない。

    そうすれば、これまで一度も通ったことのない道であるが、

    あなたたちの行くべき道は分かる。」

 3:5 ヨシュアは民に言った。

   「自分自身を聖別せよ。

    主は明日、あなたたちの中に驚くべきことを行われる。」

 3:6 ヨシュアが祭司たちに、

   「契約の箱を担ぎ、民の先に立って、川を渡れ」と命じると、

   彼らは契約の箱を担ぎ、民の先に立って進んだ。

 3:7 主はヨシュアに言われた。

   「今日から、全イスラエの見ている前であなたを大いなる者にする。

    そして、わたしがモーセと共にいたように、

    あなたと共にいることを、すべての者に知らせる。

 3:8  あなたは、契約の箱を担ぐ祭司たちに、

    ヨルダン川の水際に着いたら、

    ヨルダン川の中に立ち止まれと命じなさい。」

 3:9 ヨシュアはイスラエルの人々に、

   「ここに来て、あなたたちの神、主の言葉を聞け」と命じ、

 3:10 こう言った。

   「生ける神があなたたちの間におられて、

    カナン人、ヘト人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、

    アモリ人、エブス人をあなたたちの前から

    完全に追い払ってくださることは、

    次のことで分かる。

 3:11 見よ、全地の主の契約の箱が

    あなたたちの先に立ってヨルダン川を渡って行く。

 3:12 今、イスラエルの各部族から一人ずつ、計十二人を選び出せ。

 3:13 全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足が

    ヨルダン川の水に入ると、

    川上から流れてくる水がせき止められ、

    ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう。」

 3:14 ヨルダン川を渡るため、民が天幕を後にしたとき、

    契約の箱を担いだ祭司たちは、民の先頭に立ち、

 3:15 ヨルダン川に達した。春の刈り入れの時期で、

    ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていたが、

    箱を担ぐ祭司たちの足が水際に浸ると、

 3:16 川上から流れてくる水は、

    はるか遠くのツァレタンの隣町アダムで壁のように立った。

    そのため、アラバの海すなわち塩の海に流れ込む水は全く断たれ、

    民はエリコに向かって渡ることができた。

 3:17 主の契約の箱を担いだ祭司たちが

    ヨルダン川の真ん中の干上がった川床に立ち止まっているうちに、

    全イスラエルは干上がった川床を渡り、

    民はすべてヨルダン川を渡り終わった。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976


 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

0 件のコメント:

コメントを投稿