2014年10月31日金曜日

『霞が関』


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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 《課題》江戸の古代を解明する
     ―地名が語る愛宕山、六本木周辺の始まり―

 「山王神社・天津神社〔恵比寿神社〕及び目黒の大鳥神社の祭神」

 ※出典:江戸名所図会

 江戸名所図会 巻之三 天璣之部

 ≪霞関旧蹟≫

  櫻田御門の南、黒田家と浅野家との間の坂を云。

 往古の奥州街道にして関門ありし地なり。

 〔割註〕宗祇法師の名所方角抄に、霞が関は西に高き丘あり。

 東向の所なれば富士はみえず、西より河はながれたりとあり、

 武蔵風土記に、荏原郡、東は霞が関に限るとあり。

 此地今は豊島郡に属せり。

 北村季吟翁云、浮橋をすぎて霞村といふ所、

 霞が関の旧地なりといへど。霞村と云地名なし。」 

  武蔵野地名考云 或古記曰。

  荏原郡霞関。日本武尊蝦夷之儲関也。爾来連綿大被置之。

  挙国之勝景。而然其遠眺隔雲霞。故有霞関之號。云云。

 続千載 

  おなじくば空に霞の関もがな雲井の鴈をしばしとどめん 為世
 
 続千載

  わかれ行春の霞の関守も過る月日をとどめやはする 宣子

 新拾遺

  徒に名をのみとめてあづま路の霞の関も春ぞくれぬる よみ人しらず

 新明題

  関の戸にききしやそらぬ鳥が鳴くあづまの山は霞こぶかき 仙洞

 夫木

  立とまる霞の関の朝朗花も幾重か匂ひそふらむ 亀山院

  
 夫木

  あづまには霞を関の名に立て春来る事を人に告らむ 慈鎮

 夫木

  わけそむる関路の名のみ霞にて末は霧なるむさししの秋 為守

 ≪霞山稲荷明神祠≫

 櫻田道より右にあり。

 往古は櫻田霞が関にありしを、御郭定まりし頃、

 今の地へ移さるるといへり。

 別当は天台宗にて霞山櫻田寺観妙院と號く。

 本尊咜枳尼天像は足利義國の守神にして、

 行基大士の作、秩父重康安置せりと云。

 相傳ふ、当社は渋谷荘司重國勧請し、文明中道潅再興せり。

 又往古、右大将頼朝卿櫻田村にて美田五百七十石を寄附ありて、
 
 供田の印に櫻樹を植、要害を構て、

 江戸太郎重長をして往来を改めしむ。

 其後遙かに年月を経て、此地と共に社を麻布へ移されしとなり。

 〔割註〕今麻布櫻田町、百姓町抔號くるは、

 則櫻田より引れし町也。」 

 江戸名所図会 巻之三 天璣之部 日吉山王神社

 江戸名所図会 巻之三 天璣之部 霞が関

 江戸名所図会 巻之三 天璣之部 霞が関古図

 江戸名所図会 巻之三 天璣之部 溜池白山祠

 江戸名所図会 巻之三 天璣之部 麻布一本松

 江戸名所図会 巻之三 天璣之部 霞山稲荷社

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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