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『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
《課題》江戸の古代を解明する
―地名が語る愛宕山、六本木周辺の始まり―
「山王神社・天津神社〔恵比寿神社〕及び目黒の大鳥神社の祭神」
※出典:江戸名所図会
江戸名所図会 巻之一 天樞之部
≪飯倉神名宮≫
同東の方神名町にあり。
江戸名所記等に日比谷神明とあり、今俗間芝神明と称す。」
其舊地は増上寺境内飯倉天神の社地なりと、
或云赤羽の南小山神明宮の地なりとも。
社司は西東氏〔割註〕名所記に往古当社の神託宣ありしにより、
相州足柄郡より斎藤氏なる人を招て神主とすと云云。」
別当は金剛院と號す、其余社家巫女等あり。
神鳳抄云 武蔵國飯倉御厨 当時四貫文
同書又曰 飯倉御厨 長日 御幣五十丁
東鑑曰 …略…
江戸名所図会 巻之一 天樞之部 飯倉神明宮
江戸名所図会 巻之三 天璣之部
≪毘沙門天≫
同所四町許巽の方、渋谷川の北岸、
多門山天現寺といへる禅刹に安置せり。
本尊毘沙門天の霊像は、樟の丸木作りにして、
聖徳太子の彫造なりといへり。
〔割註〕其丈三尺一寸。」相傳ふ、
多田満仲の念持仏にして、源家累代守護の霊像たり。
傳通院殿深く尊信ましまし、
安部摂津守信春に御預あり、
其後仙石因幡守久信の家に傳へ、又祥雲寺に収め、
竟に当寺を開創し、始てここに安置せり。
〔割註〕本尊来由の記は、
林學士信充先生の文章にして、当寺の什寶たり。」
武州豊島郡城南麻布邑、多聞山天現寺、毘沙門縁起
従五位下守大學頭 林 信充 誌
…略…
江戸名所図会 巻之三 天璣之部 毘沙門天
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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