2015年9月30日水曜日

火遠理命:鵜葺草葺不合命


 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪アズミ族の正体≫火遠理命:鵜葺草葺不合命

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:「日本古典文学大系」:144~147頁
     発行:岩波書店

 於是海神之女、豐玉毘賣命、自參出白之、

 妾已妊身今臨産時。

 此念、天神之御子、不可生海原。

 故、參於到也。

 爾即於其海邊波限、以鵜羽爲葺草、造産殿。

 於是其産殿、未葺合、不忍御腹之急。

 故、入坐産殿。

 爾將方産之時、白其日子言、

 凡佗國人者、臨産時、以本國之形産生、
 
 故、妾今以本身爲産。願勿見妾。

 於是思奇其言、竊伺其方産者、化八尋和邇而、

 匍匐委蛇。

 即見驚畏而遁退。

 爾豐玉毘賣命、知其伺見之事、以爲心恥、

 乃生置其御子而、

 白妾恆通海道欲往來。

 然伺見吾形、是甚怍之。

 即塞海坂而返入。

 是以名其所産之御子、

 謂天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命。

 【訓波限云那藝佐、訓葺草云加夜】

 然後者、雖恨其伺情、不忍戀心、

 因治養其御子之縁、

 附其弟玉依毘賣而、獻歌之。

 其歌曰

  阿加陀麻波 袁佐閇比迦禮杼 斯良多麻能

  岐美何余曾比斯 多布斗久阿理祁理

 爾其比古遲、【三字以音】

 答歌曰、

  意岐都登理 加毛度久斯麻邇 和賀韋泥斯 伊毛波和須禮士

 余能許登碁登邇

 故、日子穗穗手見命者、坐高千穗宮、伍佰捌拾歳。

 御陵者、即在其高千穗山之西也。

 是天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命、

 娶其姨、玉依毘賣命、生御子名、五瀬命。

 次稻氷命。次御毛沼命。

 次若御毛沼命、亦名豐御毛沼命、

 亦名神倭伊波禮毘古命。

 四柱 

 故、御毛沼命者、跳浪穗、渡坐于常世國、

 稻氷命者、爲妣國而、入坐海原也。


 是(ここ)に海の神女、豐玉毘賣の命、

 自ら參出(まゐで)て白ししく、

 「妾(あ)は已(すで)に妊身(はら)めるを、

  今産む時に臨(な)りぬ。

  此を念(おも)ふに、天つ神の御子は、

  海原に生むべからず。

  故、參到(まゐでき)つ」。とまをしき。

 爾に即ち其の海邊の波限(なぎさ)に、

  鵜の羽を葺草(かや)に爲(し)て、

 産殿(うぶや)を造りき。

 是(ここ)に其の産殿、

 未だ葺き合(あ)へぬに、

 御腹(みはら)の急(あわただ)しさに

 忍(しの)びず。

 故、産殿に入り坐(ま)しき。

 爾に將方産みまさむとする時に、

 其の日子(ひこぢ)に白したまひしく、

 「凡(すべ)て佗國(あだしくに)の人は、

  産まむ時に臨(な)れば、

  本つ國の形を以ちて産生(う)むなり。

  故、妾(あれ)今、本の身を以ちて産まむとす。

  願はくは、妾(あ)を見たまひそ。」

 と言(まを)したまひき。
 
 是(ここ)に其の言(こと)を

 奇(あや)しと思ほして、

 其の方産まむとするを竊伺(かきま)みたまへば、

 八尋和邇に化(な)りて、匍匐(は)ひ

 委蛇(もこよ)ひき。

 即ち見驚き畏みて、

 遁(に)げ退(そ)きたまひき。

 爾に豐玉毘賣の命、

 其の伺見(かきまみ)事を知らして、

 心恥(うらは)づかしと以爲(おも)ほして、

 乃ち其の御子を生み置きて、

 「妾恆(あれつね)は、海つ道(ぢ)を通して

  往來(かよ)はむと欲(おも)ひき。

  然れども吾が形を伺見(かきまみ)たまひし、

  是れ甚怍(いとは)づかし。」と白したまひて、

 即ち海坂(うなさか)を塞(さ)へて返り入りましき。

 是を以ちて其の産みましし御子を名づけて、

 天津日高日子(あまつひこ)波限(なぎさ)

 建鵜葺草(たけうがや)葺不合(ふきあへず)命と謂ふ。

 【波限を訓みて那藝佐と云ひ、葺草を訓みて加夜と云ふ】

 然れども後は、

 雖其の伺(かきま)みたまひし情(こころ)を恨みたまへども、

 戀しき心に忍びずて、

 其の御子を治養(ひた)しまつる縁(よし)に因(よ)りて、

 其の弟(おと)、玉依毘賣に附けて、歌を獻りたまひき。

 其の歌に曰ひしく、

  阿加陀麻波 袁佐閇比迦禮杼 斯良多麻能
 
  赤球(あかだま)は 緒(を)さへ光れど 

  白玉(しらたま)の

  岐美何余曾比斯 多布斗久阿理祁理
 
  君が装(よそひ)し 貴くありけり

 といひき。

 爾に其の比古遲(ひこぢ)【三字は音を以ゐよ】

 答へて歌ひたまひしく、

  意岐都登理 加毛度久斯麻邇 和賀韋泥斯 
 
  沖つ鳥 鴨著(ど)く島に 我が率寝(ゐね)し

  伊毛波和須禮士 余能許登碁登邇
 
  妹(いも)は忘れじ 世のことごとに 

 とうたひたまひき。

 故、日子穗穗手見の命は、高千穗の宮に、

 伍佰捌拾歳(いほちまりやそとせ)坐(ま)しき。

 御陵(みはか)は、即ち其の高千穗の山の西に在り。

 是の天津日高日子波限建鵜葺草葺不合の命、

 其の姨(をば)、玉依毘賣の命を娶(めと)して、

 生みませる御子の名は、五瀬(いつせ)の命。

 次に稻氷(いなひめ)の命。次に御毛沼(みけぬの)の命。

 次に若御毛沼(わかみけぬ)の命、亦の名は豐御毛沼の命、

 亦の名は神倭伊波禮毘古(かむやまといはれひこ)の命。

 四柱 

 故、御毛沼の命は、

 浪の穗を跳(ふ)みて、常世(とこよ)の國に渡り坐(ま)し、

 稻氷の命は、妣(はは)の國と爲(し)て、海原に入り坐しき。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ
 

2015年9月29日火曜日

火遠理命:海神の宮訪問


 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪アズミ族の正体≫火遠理命:海神の宮訪問

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:「日本古典文学大系」:137~138頁
     発行:岩波書店

 於是其弟、泣患居海邊之時、

 鹽椎神來、問曰、

 何虚空津日高之泣患所由。答言、

 我與兄易鉤而、失其鉤。

 是乞其鉤故、雖償多鉤、不受、

 云猶欲得其本鉤。

 故、泣患之。

 爾鹽椎神、云我爲汝命、作善議、

 即造无間勝間之小船、載其船以教曰、

 我押流其船者、差暫往。

 將有味御路。

 乃乘其道往者、如魚鱗所造之宮室、

 其綿津見神之宮者也。

 到其神御門者、傍之井上、有湯津香木。

 故、坐其木上者、其海神之女、

 見相議者也。【訓香木云加都良】
 
 是(ここ)に其の弟、

 泣き患(うれ)ひて海邊(うみべ)に

 居(ゐ)ましし時に、

 鹽椎(しほつちの)神來て、

 問ひて曰(い)ひしく、

 「何(いか)にぞ虚空津日高(そらつひこ)の

  泣き患ひたまふ所由(ゆえ)は。」

 といえば、答へて言(の)りたまひしく

 「我と兄と鉤を易へて、其の鉤を失ひつ。

  是(ここ)に其の鉤を乞ふ故に、

  多くの鉤を償へども、受けずて、

  『猶其の本(もと)の鉤を得む』。と云ひき。

  故、泣き患ふぞ。」とのりたまひき。

 爾に鹽椎の神、

 「我(あれ)汝(いまし)命の爲に
 
  善き議(ことはかり)を作さむ。」

 と云ひて、

 即ち无間勝間(まなしかつま)の

 小船(をぶね)を造り、

 其の船に載せて、教へて曰ひしく、

 「我(あれ)其の船を押し流さば、

  差暫(ややしま)し往(い)でませ。

  味(うま)し御路(みち)有らむ。

  乃ち其の道に乘りて往でまさば、

  魚鱗(いろこ)の如(ごと)所造れる宮室(みや)

  其れ綿津見(わたつみ)の神の宮ぞ。

  其の神の御門(みかど)に到りましなば、

  傍(かたへ)の井(ゐ)の上(へ)に、

  湯津香木(ゆつかつら)有(あ)らむ。

  故、其の木の上に坐(ま)さば、

  其の海神(わたの)女(むすめ)、

  見て相議(あひはか)らむぞ。」

 【香木を訓みてカツラと云ふ。木】


 故、隨教少行、備如其言、即登其香木以坐。

 爾海神之女、豐玉毘賣之從婢、

 持玉器將酌水之時、於井有光。

 仰見者、有麗壯夫。【訓壯夫云遠登古下效此】

 以爲甚異奇。

 爾火遠理命、見其婢、乞欲得水。

 婢乃酌水、入玉器貢進。

 爾不飮水、解御頚之璵、含口唾入其玉器。

 於是其璵著器、

 婢不得離璵。

 故、璵任著以進豐玉毘賣命。

 爾見其璵問婢曰、若人有門外哉。

 答曰、有人坐我井上香木之上。

 甚麗壯夫也。

 益我王而甚貴。

 故、其人乞水故、奉水者、不飮水、唾入此璵、

 是不得離。

 故、任入將來而獻。

 爾豐玉毘賣命、思奇、出見、乃見感、目合而、

 白其父曰、吾門有麗人。

 爾海神自出見、云此人者、

 天津日高之御子、虚空津日高矣、

 即於内率入而、

 美知皮之疊敷八重、
 
 亦絁疊八重敷其上坐其上而、

 具百取机代物、爲御饗、

 即令婚其女豐玉毘賣。

 故、至三年、住其國。


 故、教の隨(まにま)に少し行きまししに、

 備(つぶ)さに其の言(こと)の如くなりしかば、

 即ち其の香木(かつら)に登りて坐(ま)しき。

 爾に海神(わたの)女、

 豐玉毘賣(とよたまひめ)從婢(まかだち)、

 玉器(たまもひ)を持ちて

 水を酌(く)まむとする時に、

 井に光(かげ)有りき。

 仰ぎ見れば、麗しき壯夫(をとこ)訓壯夫。

 【壯夫を訓みてヲトコと云ふ。下は此れに效へ。】
 
 有りき。

 甚異奇(いとあや)しと以爲(おも)ひき。

 甚異奇(いとあや)し以爲(おも)ひき。

 爾に火遠理の命、其の婢(まかだち)を見て、

 水を得まく欲(ほ)しと乞ひたまひき。

 婢乃ち水を酌みて、

 玉器に入れて貢進(たてまつ)りき。

 爾に不水を飮まさずて、

 御頚(みくび)の璵(たま)を

 解きて口に含(ふふ)みて、

 其の玉器に唾(つば)き入れたまひき。

 是(ここ)に其の璵、器(もひ)に著きて、

 婢璵を得離(えはな)たず。

 故、璵著ける任(まにま)に

 豐玉毘賣の命に進(たてまつ)りき。

 爾に其の璵を見て、婢に問ひて曰ひしく、

 「若(も)し人、門(かど)の外(と)に有りゃ。」

 といへば、

 答へて曰ひしく、

 「人有りて、我が井の上(へ)の

  香木(かつら)の上(うへ)に坐(ま)す。

  甚(いと)麗しき壯夫(をとこ)ぞ。

  我が王(きみ)に益(ま)して甚(と)貴し。

  故、其の人水乞はす故に、

  水を奉れば、水を飮まさずて、

  此の璵を唾き入れたまひき、

  是れ得離(えはな)たず。

  故、入れし任(まにま)に將(も)ち來て獻りぬ。」といひき。

 爾に豐玉毘賣の命、奇(あや)し思ひて、出で見て、

 乃ち見感(みめ)でて、

 目合(まぐはひ)して、白其の父に白ししく、

 「吾が門(かど)に麗しき人有り。」とまをしき。

 爾に海の神、自あら出で見て、

 「此の人は、天津日高(あまつひこ)の御子、

  虚空津日高(そらつひこ)ぞ、」云ひて、

 即ち於内に率(ゐ)て入りて、

 美知(みち)の皮の疊八重(やへ)を敷き、

 亦絁疊(きぬだたみ)八重を其の上に敷き、

 其の上に坐(ま)せて、

 百取(ももとり)の机代(つくゑ)物を具(そな)へ、

 御饗爲(みあへし)て、

 即ち其の女豐玉毘賣を婚(まぐはひ)せしめき。

 故、三年(みとせ)に至るまで、其の國住みたまひき。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年9月28日月曜日

火遠理命:海幸彦と山幸彦


 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪アズミ族の正体≫火遠理命:海幸彦と山幸彦

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:「日本古典文学大系」:135~136頁
     発行:岩波書店

 故、火照命者、爲海佐知毘古【此四字以音、下效此】

 而、取鰭廣物、鰭狹物、

 火遠理命者、爲山佐知毘古而、

 取毛麁物、毛柔物。

 爾火遠理命、謂其兄火照命、各相易佐知欲用、

 三度雖乞、不許。

 然遂纔得相易。

 爾火遠理命、以海佐知釣魚都不得魚、亦其鉤失海。

 於是其兄火照命、乞其鉤曰、

 山佐知母、己之佐知佐知、海佐知母、已之佐知佐知、

 今各謂返佐知之時、【佐知二字以音】

 其弟火遠理命答曰、

 汝鉤者、釣魚不得一魚、遂失海、

 然其兄強乞徴。

 故、其弟破御佩之十拳劔、

 作五百鉤、雖償不取。

 亦作一千鉤、雖償不受、

 云猶欲得其正本鉤。

 故、火照(ほでりの)命は、

 海佐知毘古(うみさちひこ)

 【此の四字は音を以ゐよ、下は此れに效へ】

 と爲(し)て

 鰭(はた)廣物(ひろもの)、

 鰭(はた)の狹物(さもの)を取(と)り、

 火遠理(ほをりの)命は、

 爲山佐知毘古(やまさちひこ)と爲(し)て、

 毛(け)の麁物(あらもの)、

 毛(け)の柔物(にこもの)を取りたまひき。

 爾に火遠理の命、其の兄火照の命に、

 「各(おのおの)佐知(さち)を

  相易(あひか)へて用ゐむ。」

 と謂ひて、

 三度(みたび)乞ひたまへども、許さざりき。

 然れども遂に纔(わづ)かに

 相易(あひか)ふることを得たまひき。

 爾に火遠理の命、以海佐知(うみさち)

 を以ちて魚釣らすに、

 都(かつ)て一つの不得魚も得たまはず、

 亦其の鉤(つりばり)を海に失ひたまひき。

 是(ここ)に其の兄火照の命、

 其の鉤を乞ひて曰ひしく、

 「山佐知も、己(おの)が

 佐知佐知、海佐知も、已が佐知佐知。

  今は各佐知(さち)返さむ。」と謂ひし時に、

 【佐知の二字は音を以ゐよ】

 其の弟(おと)火遠理の命、

 答へて曰(の)りたまひしく、

 「汝(いまし)の鉤は、

  魚釣りしに一つの魚も得ずて、

  遂に海に失ひつ。」とのりたまひき。

 然れども其の兄強(あなが)ちに

 乞ひ徴(はた)りき。

 故、其の弟、御佩(みはかし)の

 十拳劔(とつかつるぎ)を破りて、

 五百鉤(いほはり)を作りて、

 償(つぐの)ひたまへども取らず。

 亦一千鉤(ちはり)を作りて、

 償ひたまへども受けずて、

 「猶(なほ)其の正本(もと)の鉤を得む。」

 と云ひき。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年9月27日日曜日

邇邇芸命:木花の佐久夜毘売


 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪アズミ族の正体≫邇邇芸命:木花の佐久夜毘売

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:「日本古典文学大系」:132~133頁
     発行:岩波書店

 於是天津日高日子番能邇邇岐能命、

 於笠沙御前、遇麗美人。

 爾問誰女、答‐白‐之、

 大山津見神之女、名神阿多都比賣、【此神名以音。】

 亦名謂木花之佐久夜毘賣。【此五字以音。】

 又問有汝之兄弟乎、

 答白我姉石長比賣在。也

 爾詔、吾欲目合汝奈何。

 答白僕不得白。僕父大山津見神将白。

 故、乞遣其父大山津見神之時、

 大歓喜而、副其姉石長比賣、

 令持百取机代之物奉出。

 故雨其姉者、因甚凶醜、見畏而返送、

 唯留其弟木花之佐久夜毘賣以、

 一宿為婚。爾大山津見神、因返石長比賣而、

 大恥、白送言、我之女二並立奉由者、

 使石長比賣者、 

 天神御子之命、雖雪零風吹、恒如石而、

 常堅不動坐。

 亦使木花之佐久夜毘賣者、如木花之栄栄坐、

 宇気比弖【自宇下四字以音】貢進。

 此令返石長比賣而、濁留木花之佐久夜毘賣。

 故、天神御子之御嘉者、木花之阿摩比能微

 【此五字以音】坐。

 故、是以至于今、天皇命等之御命不長也。

 故、後木花之佐久夜毘賣、参出白、

 妾妊身、今臨産時。

 是天神之御子、私不可産。故、請。

 爾詔、佐久夜毘賣、一宿哉妊。

 是非我子。

 必國神之子。

 爾答白、吾妊之子、若國神之子者、産不幸。

 若天神之御子者幸。

 即作無戸八尋殿、入其殿内、以土塗塞而、

 方産時、以火著其殿而産也。

 故、其火盛焼時、所生之子名、火照命

 【此者隼人阿多君之祖】

 次生子名、火須勢理命。【須勢理三字以音】

 次生子御名、火遠理命。

 亦名、天津日高日子穂穂手見命。三柱


 是(ここ)に

 天津日高日子番能邇邇岐能

 (あまつひこほこほのににぎの)命、

 笠沙(かささ)の御前(みさき)に、

 麗(うるは)しき美人(をとめ)に遇ひたまひき。

 爾に「問誰が女(むすめ)ぞ。」、

 と問ひ玉へば、答へ白ししく、

 「大山津見(おおやまつみの)神の女、

  名は神阿多都比賣(かむあたつひめ)、

 【此の神の名は音を以ゐよ。】

  亦の名は謂木花之佐久夜毘賣
 
  (このはなのさくやひめ)。

  【此の五字を音を以ゐよ。】と謂ふ。」

  とまをしき。

 又「汝(いまし)の兄弟(はらから)有ろや。」

 と問ひたまへば、

 「我が姉、石長比賣(いはながひめ)在(あ)り。」

 と答へ白しき。

 爾に詔りたまひしく、

 「吾(あれ)汝(いまし)に目合(まぐはひ)せむと

  欲(おも)ふは奈何(いか)に。」とのりたまへば、

 「僕(あ)は不得白(えまを)さじ。

  僕(あ)が父大山津見の神白さむ。」と答へ白しき。

 故、其の父大山津見のに乞ひに遣はしたまひし時、

 大(いた)く歓喜(よろこ)びて、

 其の姉石長比賣を副(そ)へ、

 百取(ももとり)の机代(つくゑしろ)の物を持たしめて、

 奉(たてまつ)り出(いだ)しき。

 故雨に其の姉は、甚凶醜(いとみにく)きに因(よ)りて、

 見畏(みかしこ)みて返し送りて、 

 唯其の弟(おと)木花之佐久夜毘賣を留めて、

 一宿(ひとよ)婚(まぐはひし)為(し)たまひき。

 爾に大山津見の神、石長比賣を返したまひきに因りて、

 大(いた)く恥ぢて、白し送りて言ひしく、

 「我が女二(ふ)たり並(なら)べて立奉

 (たてまつりし由(ゆえ)は、

  石長比賣を使はさば、天つ神の御子の命(いのち)は、

  雪零(ふ)り風吹くとも、
 
  恒(つね)に石(いは)の如くに、

  常(とき)はに堅(かき)はに動かず坐(ま)さむ。

  亦木花之佐久夜毘賣を使はさば、

  木(こ)の花の栄ゆるが如(ごと)栄え坐さむと、

  宇気比弖(うけひて)

  【宇より下の四字は音を以ゐよ。】

  貢進(たてまつ)りき。

  此(か)くて石長比賣を返さしめて、

  濁(ひとり)木花之佐久夜毘賣を留めたまひき。

  故、天つ神の御子の御嘉(みいのち)は、

  木花之阿摩比能微(あまひのみ)

  【此の五字は音を以ゐよ。】

  坐(ま)さむ。」といひき。

 故、是を以ちて今に至るまで、

 天皇命等(すめらみことたち)の

 御命(みいのち)長くまさざるなり。

 故(かれ)、

 後(のち)に木花之佐久夜毘賣、

 参出(まゐで)て白ししく、

 「妾(あ)は妊身(はら)めるを、

  今産(う)む時に臨(な)りぬ。

  是の天つ神の御子は、私(わたくし)に産むばからず。

  故(かれ)、請(まを)す。」とまをしき。

 爾に詔りたまひしく、

 「佐久夜毘賣、一宿(ひとよ)にや妊める。

  是れ我が子に非じ。必ず國つ神の子ならむ。」

 とのりたまひき。

 爾に答へ白ししく、

 「吾が妊みし子、若し國つ神の子ならば、

  産むこと幸(さち)からじ。

  若し天つ神の御子ならば、幸からむ。」

 とまをして、

 即ち戸無き八尋殿(やひろどの)を作りて、

 其の殿の内に入り、

 土を以ちて塗り塞(ふた)ぎて、

 産む時に方(あた)りて、

 火を其の殿に著けて産みき。

 故、其の火の盛(さか)りに焼(もゆ)る時に、

 生める子の名は、火照(ほでりの)命。

 【此は隼人阿多君の祖。】

 次に生める子の名は、火須勢理(ほすせりの)命。

 【須勢理の三字は音を以ゐよ】

 次に生める子の名は、火遠理(ほをりの)命。

 亦の名は、天津日高日子穂穂手見

 (あまつひこひこほほでみの)命。

 三柱

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2015年9月25日金曜日

邇邇芸命:猨女の君


 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪アズミ族の正体≫邇邇芸命:猨女の君

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:「日本古典文学大系」:130~131頁
     発行:岩波書店

 故爾詔天宇受賣命、此立御前所仕奉、

 猨田毘古大神者、専所願申顯之汝、送奉。

 亦其神御名者、汝負仕奉。

 是以猨女君等、負其猨田毘古之男神名而、

 女呼猨女君之事是也。

 故、其猨田毘古神、坐阿邪訶【此三字以音。地名】時、

 為漁而、於比良夫貝【自比至夫以音】

 其手見咋合而、沈溺海藍。

 故、其沈居底之時名、謂底度久御魂【度久二字以音。】

 其海水之都夫多都時名、謂都夫多都御魂【自都下四字以音。】

 其阿和佐久時名、謂阿和佐久御魂【自阿至久以音。】

 於是送猨田毘古神而還到、

 乃悉追聚鰭廣物鰭挟物以問言汝者天神御子仕奉耶之時、

 諸魚皆、仕奉白之中、海鼠不白。

 爾天宇受賣命、謂海鼠云、此口乎、不答之口而、

 以紐小刀折其口。

 故、於今海鼠口折也。

 是以御世、嶋之速贅獻之時、給猨女君等也。


 故爾に天の宇受賣の命に詔りたまひしく、

 「此の御前(みさき)に立ちて仕へ奉りし、

  猨田毘古の大神は、専ら顯(あら)はし申せし汝(いまし)、

  送り奉れ。

  亦其の神の御名は、汝負仕へ奉れ。」とのりたまひき。

 是を以ちて猨女君等(さるめのきみども)、

 其の猨田毘古の男神(をがみ)の名を負ひて、

 女(をみな)を猨女の君と呼ぶ事是れなり。

 故、其の猨田毘古の神、

 阿邪訶(あざか)

 【此の三字は音を以ゐよ。地の名】に坐(ま)す時、

 漁(いざり)為(し)て、

 比良夫貝(ひらふがひ)【比より夫まで音を以ゐよ】に

 其の手を見咋(く)ひ合(あは)さえて、

 海藍(うしほ)に沈み溺(おぼ)れたまひき。

 故、其の底に沈み居(ゐ)たまひし時の名を、

 底度久御魂(そこどくみたま)

 【度久の二字は音を以ゐよ。】と謂ひ、

 其の海水(うしほ)の都夫多都(つぶたつ)時の名を、

 都夫多都(つぶたつ)御魂

 【都より下の四字は音を以ゐよ。】と謂ひ、

 其の阿和佐久(あわさく)時の名を、

 阿和佐久(あわさく)御魂【阿より久まで音を以ゐよ。】と謂ふ。

 是(ここ)に猨田毘古の神を送りて、還り到りて、

 乃ち悉(ことごと)に鰭(はた)廣物(ひろもの)、

 鰭(はた)挟物(さもの)を追ひ聚(あつ)めて、

 「汝(な)は天つ神の御子に仕へ奉らむや。」と以問言ひし時に、

 諸の魚皆、「仕へ奉らむ。」と白す中に、海鼠(こ)白さざりき。

 爾に天の宇受賣の命、海鼠云ひしく、

 「此の口や、不答へぬ口」謂ひて、

 紐小刀(ひもかたな)以ちて、其の口を折(さ)きき。

 故、今海鼠の口を折くるなり。

 是を以ちて御世(みよみよ)、嶋の速贅(はやにへ)獻る時に、

 猨女の君等に給ふなり。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱 

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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『古事記』邇邇芸命:天孫降臨


 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪アズミ族の正体≫『古事記』邇邇芸命:天孫降臨

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:「日本古典文学大系」:127~129頁
     発行:岩波書店

 爾天兒屋命、布刀玉命、天宇受賣命、

 伊斯許理度賣命、玉租命、并五伴緒矣支加而天降也。

 於是副賜其遠岐斯【此字三字以音】

 八尺勾璁、鏡、及草那芸剣、

 亦常世思金神、手力男神、天石門別神而詔者、

 此之鏡者、専為我御魂而、如拝吾前、伊都岐奉。

 次思金神者、取持前事為政。

 此二柱神者、拝祭佐久久斯侶、伊須受能宮。【自佐至能以音】

 次登由宇気神、此者坐外宮之度相神者也。

 次天石戸別神、亦名謂櫛石宺神、亦名謂豊石宺神。

 此神者、御門之神也。次手力男神者、坐佐那那懸也。

 故、其天兒屋命者、【中臣連等之祖】

 布刀玉命者、【忌部首等之祖】

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 Tell Arpachiyah (Iraq)
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

『古事記』邇邇芸命:猿田毘古神


 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪アズミ族の正体≫『古事記』邇邇芸命:猿田毘古神

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:「日本古典文学大系」:126~127頁
     発行:岩波書店

 爾日子番能邇邇芸命、

 将天降之時、

 居天之八街而、

 上光高天原、

 下光葦原中国之神、於是有。

 故爾天照大御神、

 高木神之命以、

 詔天宇受讀神、

 汝者雖有手弱女人、

 與伊牟迦布神、

 【自伊至布以音。】

 琴面勝神。

 故、専汝住将問者、

 吾御子為天降之道、

 誰如此而居。

 故、問賜之時、答白、

 僕者国神、

 名猨田毘古神也。

 所以出居者、

 聞天神御子天降坐故、

 仕奉御前而、

 参向之侍。


 爾に日子番能邇邇芸の命、

 天降りまさむとする時に、

 天(あめ)の八街(やちまた)に居(ゐ)て、

 上(かみ)は高天の原を光(てら)し、

 下(しも)は葦原の中つ国を光(てら)す神、ここにあり。

 故爾に天照大御神、

 高木の神の命以ちて、

 天の宇受讀め神に、詔りたまひしく、

 「汝(いまし)は手弱女人(たわやめ)にはあれども、

  伊牟迦布(いむかふ)神、

  【伊より布までは音を以ゐよ】

  と琴面勝(おもか)つ神なり。

  故、専(もは)ら汝住きて問はむは、
 
  『吾が御子の天降(あも)り為(す)る道を、

   誰ぞ如此(かく)て居る。』ととへ。」

  故、問ひ賜ふ時に、答へ白ししく、

 「僕(あ)は国つ神、名は猨田毘古(さるたひこ)の神ぞ。

  出で居る所以(ゆえ)は、

  天つ神の御子天降り坐すと聞きつる故に、

  御前(みさき)に仕(つか)へ奉(まつ)らむとして、

  参向(まゐむか)へ侍(さもら)ふぞ」。

  とまをしき。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
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2015年9月22日火曜日

『古事記』邇邇芸命:天孫の誕生


 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪アズミ族の正体≫『古事記』邇邇芸命:天孫の誕生
 
 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―
 
 出典:「日本古典文学大系」:124~125頁
     発行:岩波書店

 故、建御雷紳、返参上、復奏言向和平葦原中国之状。

 爾天照大御神、高木紳之命以、

 詔太子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命、

 今平訖葦原中国之白。

 故、随言依賜降坐而知者。

 爾其太子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命答白、

 僕者将に降装束之間、子生出。

 名天邇岐志国邇岐志【自邇至志以音】。

 天津日高日子番能邇邇芸命。

 此子應降也。

 此御子者、御合高木神之女、萬幡豊秋津師比賣命

 生子、天火明命。

 次日子番能邇邇芸命也。

 是以随白之、科詔日子番能邇邇芸命、

 此豊葦原水穂国者、汝将知国、言依賜。

 故、随命以可天降。 


 故、建御雷の神、返り参上(まゐのぼ)りて、

 葦原の中つ国を言向(ことむ)け和平(やは)しつる状(さま)を、

 復奏したまひき。

 爾に天照大御紳、高木の神の命以ちて、

 太子(ひつぎのみこと) 正勝吾勝勝速日天の忍穂耳の命に

 詔りたまひしく

 「今、葦原の中つ国を平(ことむけ)訖(を)へぬと白 せり。

  故、言依(ことよ)さし賜ひし随(まにま)に、

  降(くだ)り坐(ま)して知らしめせ。」とのりたまひき。

 爾に其の太子正勝吾勝勝速日天の忍穂耳の命、

 答へ白したまひしく

 「僕(あ)は降らむ装束(よそひ)しつる間、子生(れ)出でつ。

  名は天邇岐志国邇岐志(あめにきしくににきし)

  【邇より志までは音を似ゐよ】

  天津日高日子番能邇邇芸(あまつひこほのににぎの)命ぞ。

  此の子を降すべし。」とまをしたまひき。

 此の御子は、、高木の神の女(むすめ)、

 萬幡豊秋津師比賣(よろづはたとよあきづしひめの)命に

 御合(みあひ)して、生みませる子、

 天火明(あめのほあかりの)命。

 次に日子番能邇邇芸(ひこほのににぎの)命なり。

 是(ここ)を以ちて白したまひし随に、

 日子番能邇邇芸の命に詔(みこと)科(おほ)せて、

 「此の豊葦原の水穂の国は、

  汝(いまし)知(らさむ)国ぞと言依さし賜ふ。

  故、命の随に天降るべし。」

 とのりたまひき。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ